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小説「異端のKARASは闇夜に二度啼く」

世一の考える童話のような世界を顕した一作。
某所でもアップしているのですが、6カ月間で178ページビュー。月平均30件ほど_______コンスタントに読み続けてもらえている。不思議なことに落ちないのです。一日一人二人がぽつりぽつり。とても有難い足跡が残ってゆく。
 e-pubooの小説集のダウンロードも3シリーズ合計で90件に達した。わざわざダウンロードの必要もなく読むことが出来るのですが、ダウンロードのひと手間には頭が下がる。私の立ち回り先にコメントでも感想でも投げてくれたならお返事します。では、まだの皆さんは、小説「異端のKARASは闇夜に二度啼く」お楽しみください。

                ■ 

藍を塗り重ねたように。東の空は山向こうの底から一日の終わりを告げる。人間の棲む集落では陽の入り刻(とき)のお祈り時間が来たことを告げるムアッジン… お祈りの呼びかけ人が高い石の塔の上アザーンを唱えはじめた。
 人間がカッパドキアと呼ぶ地。夕日が西の山陰(やまかげ)へと吞(の)まれる様子はただただに美しい。
 陽が高いところにとどまっていれば太陽に焼かれた緑が山の麓で色濃くみせるのがこの地の日常でもある。村のはずれから東西それぞれの山にかけて広がる黄色い大きな花は人間がヒマワリと呼ぶ花の絨毯がつづく。
「ザッザッ…、カシャ、カシャ」集落の至る所に設えられた絨毯を織るための工場(こうば)の音にヒマワリの絨毯が織り重なる。
 真っ青な空をいただき茶褐色の荒涼とした痩せた土地に黄色いヒマワリ畑がつづき、やがて緑を深め岩肌の露出が際立つ山へといたる…。

人間が暮らす集落のあちらこちらに穿(うが)たわれた黒い穴は、人間たちの巣への入り口だ。粗末な身なりの人間たちが膝を地につけ暗い穴ぐらから四足(しそく)の生き物を想わせる如くにじり出てくる。
「カァ…カカァ…」そこかしこで班長が帰巣を告げる合図を鳴き上げると人間によるアザーンの声がかき消える。一斉に空へと舞い上がる我が部族。西の山の頂では太陽が一筋の線となりはじめていた。
 先導役が高いところで円を描きながら部族の動きを抜かりの無い目で追う。あらかたが空に舞い上がるのを観(み)止(と)めると、東の山の麓をめがけて翼を羽(は)たく。
 既に東の空は藍の深みを塗り重ねたように垂れ堕ちていた。天敵たちもこの日の狩りを切り上げ帰巣したのだろう、その姿は見止められない。 

「爺ちゃん、まだ帰らないの?」孫のロリンが儂の頭の上、八の字を書くように飛びかいながらそう啼いていた。
「おぉ~ ロリンか。儂はいつものように最後を見届けてからのんびり帰るとしよう。ロリンは先にお帰り。母さんも心配するじゃろう」
「爺ちゃん、今日は一緒に帰るよ」
 ロリンは深い紫を纏った羽を操ると、儂の横に降り立った。その羽色はさながら朝露に愛された山ブドウの色合いを想わせた。
「ロリン、今日もしっかりと食事は出来たかな」
この日の首尾を訊ねる。
「今日は豆とヒマワリの種…それとモグラ」
「ほぉ~、そうかモグラか。上出来だの~」
「このところ雨が降らないから、人間の畑では作物が枯れはじめているからね。出来るだけモグラを狙うようにって…、班長が」
「そうじゃのぉ…、食事場所の集積所でもすっかり人間の食べ残しが少なくなっているようだからのう」この周辺は普段から雨は少なく乾いた土地だった。それが今年は「干ばつ」と云えるほど雨を落とさず、このころでは人間たちの生活にも疲弊が覗(うかが)えた。
 頭上まで藍が深く垂れ込め、星たちがその姿を顕(あらわ)しはじめたころ。白く、まあるい月はその姿を東の山の頂(いただき)へと載せた。それはまるで生まれたばかりの鶏(にわとり)の卵を想わせた。なんとも美味(うま)そうに思える。
 地を這うように穴ぐらからにじり出た人間たちは、立ち上がると二本足で歩きながらひと際大きな穴へと吸い込まれてゆく。
 なんとも不思議な歩きかたをする生き物よ。二本しかない足を交互に送りながら前へと進む。更に面妖なのは羽(はね)のない腕を交互に振って歩くという行動だ。飛べもしないのに腕を振るに何の意味があろうか。無駄に疲弊を深めるだけである。
 燃える水が灯(とも)されているのだろう。穴ぐらの中は明るく照らし出されている。人間たちも班で動く習性なのか、一つの穴ぐらには五十ほどの頭数が集い、川魚の稚魚たちの泳ぎを想わせるように皆が同じ向きに頭をそろえ、祈りを捧げている。歌うような声も漏れ出していた。

「爺ちゃん、人間は一日に五回も六回もあぁして集まって何を祈っているのだろうね…。空からの水が落ちて来るようにかな」
「先祖の言い伝えでは、昔は違う神様に祈りを捧げていたらしいがのう、今でも画の描かれた洞窟が残っているじゃろう」
「母さんが近寄るなと云ってた石の煙突みたいな処だよね……」
 すっかり陽の落ちた西の空。暗くなった空を不規則に舞う闇の番人たちがその姿を見せはじめた。闇の番人たちは音を立てて飛ぶことは無い。飛ぶ方向は予測できない。我が種族のものたちなら、ぶつかるような至近距離に至ってさえ器用に方向を変えた。
 様子を見ていると人間たちがペリバジャと呼ぶ「妖精の煙突」の上に黒い塊がひとつだけ舞い降りるや「クワァークワァー」と我が部族とは異なる啼き声を発した。
「来たね……」ロリンは待っていたのか、そう云うと嬉しそうに自らも一声啼いてみせた。
「カカァー カァー」
「これ、ロリンやめないか。儂らの支配時間はもう終わっているのだ」
 妖精の煙突に降り立った黒い塊の頭が動いたように見えた。目が月明かりを吸って光ったように見えた。足が動いているのだろうか。 
 土を削ってでもいるような音がかすかに聞こえる。カサッ…カサッ…カリ…と。
「爺ちゃん、あいつ、どうして違う種族に交じっているのだろう」ロリンはそう呟いた。
「…… さぁ、ロリン。陽も落ちた。儂らも帰るとしようか」儂はそう告げると返事を待たずに羽をばたつかせ暗くなった空へと舞った。
「待ってよ、爺ちゃん」ロリンが後に続く。
 空の上から妖精の煙突を振り返り眺めると、月明かりを浴びたその姿は真っすぐに西の空を見据え、右足で妖精の煙突の土くれを蹴っていた。それは「クワァークワァー」ともう一度啼く。狩りの始まりの合図だ。
 スッと広げた翼に月が明かりを注ぎ込む。その羽色は濃い紫を湛え、夜露の寵愛(ちょうあい)を受けた山ブドウの輝きを想わせるほどに美しかった。我が部族の神なる祖先、ムギンとフギンを想わせるほどに。ただ羽の形が儂たち部族、いや種族と違っていた。羽の先端が「くの字」に折れ曲がっているのだ。
 儂はその羽の姿にあの者の生きすがらを観た思いを刻まずにはいられなかった。
 不規則に空を行き来する種族「蝙蝠」達に向けての狩りの合図…、闇の番人たちの縄張り時間を誇示するように啼いたそれはあたりを睥睨(へいげい)する。
         ※

 帰巣すると部族の数を数えることが習慣(ならわし)となっていた。トンビやタカをはじめとする天敵にやられるものも少なくないためだ。
「みなの衆、すまなんだの待たせて」
「父さん、わたしの班は無事でした」息子のキロンが安堵したように報告する。
「長老… 私のところでは二柱(ふたはしら)ほど帰巣していません」次々に班長が報告をする。
「結局今日は七柱か…」疲れたように息子のキロンが呟くと、儂の後ろに居たロリンが口を開いた。
「カァー…、父さんきっと大丈夫さ、村に残って夜明かしをしているんだよ。明日になったら村で合流するさ」
 ロリンは父や大人たちを気遣うようにそう明るく言葉にした。
「あのね爺ちゃん…、皆にも聞いてほしいことがあるんだけど」ロリンは大人たちの話を切り上げるように言葉をつづけた。
「なんじゃ……」幾分の苛立ちが嘴(くちばし)に滲む。
「あいつ…どうして種族の違う中に居るんだろう。僕はどうしても気になるんだ。父さんや爺ちゃんは知らないの?母さんに訊いてもなんか…クワクワ、クワクワ云うだけで…埒(らち)があかないし」
「これロリン、母さんのことをそんな風にいうものではない」儂は強く咎めた。
「ごめんなさい…」

 ロリンは素直な子だった。部族の他の子たちは皆の前で意見を云える子も少なく見て見ぬふりをするものが殆どであった。
 どうやら部族の間でも流行していたのだろう。云いたいことを面と向かって確認するわけでも無く、裏山の「啼き捨ての樹」に誰が書いたものか判らぬよう爪で書く。自らの名前を伏せたり偽名にしたままに。中には回りくどい言葉を使い種族や部族の尊厳すら貶める愚か者もいた。そういう者たちは物事の真実を問うわけではなく、自ら確認するわけでもなく興味本位や聞きかじりを面白がるという "お里" に、親KARASの躾に難を抱えた者たちだった。責任からは逃れたいのであろう。勝手気ままに思い付いた噂や誹謗中傷を流布し扇情を面白がる者たちも少なくはなく、部族の間でも問題となっていたのである。

 あの者についても、変り者・異物と揶揄(やゆ)することが精々だ。しかし、孫のロリンは違った。あの「妖精の煙突」に留まるKARASを変り者…異物…として扱うことは無かった。
 部族を纏める者として、それぞれの多様な個性を尊重できる生まれながらのリーダーの資質を備えているのだろう。
 息子夫婦は自分たちの子供ロリンの問いには答えなかった。
「……さぁ、明日も早い。自分の梢(こずえ)に戻って寝るのだ」儂はそう皆(みな)を促した。
 夜明け前、息子のキロンが血相を変えてわたしの梢を揺らした。
「父さん、ロリンが居ないんです。ロリンが」
 あとを追ってきた嫁のニヒトが息子の後ろでクワクワ云いながら羽をバタつかせている。
「…いつからいないんだ?」
「わかりません。梢に戻ったのは一緒だったのですが、出がけ準備の合図を啼き上げようとしたところ、もう梢には居なくて…」
「…… 村におるじゃろう。夕べ、誰も答えをくれないものだから…ロリンは自分で答えを探しに行ったのかもしれんのぉ」
「それは……父さん…、どうしたらいいのでしょうか、夕べは雲も深く垂れ込めてましたから…」
「キロン、お前の息子は利口な子じゃ。鳶(とんび)が鷹(たか)を生んだと云われるほどにの。仕方ないじゃろて。知る時が来たのなら抗(あらが)うことは出来まいて。殊更(ことさら)に事を荒立てぬことじゃ。ほれ云うてる間にも先頭が村に向かいはじめようて」 東の空、山の頂が白(しら)んできた。                      
               ※
【あいつは僕と同じ種族の仲間だよ。なのに何故違う種族の蝙蝠と一緒に居るんだろう。今日こそ話を聞いてみよう。それにしても今夜の雲は重くて低いよ…。暗いよ…。方向が判らなくなるよ…。こんなに暗いんじゃ食事だってさがせやしないよ。夜は暗いから仲間だって見つけられやしない。なのにあいつはどうして闇の番人種族の蝙蝠たちと居るんだろ……。よぉし、今のうちに雲の上まで出てみよう。月があれば山の影も見えるだろう。山さえ見えれば何とかなるさ……。よし、雲の色が白っぽくなってきた。あと少し……。  
 出られた! 山も見える。月は僕の味方をしてくれてる! 月が僕の真上だよ。星がたくさん出ている…、どれ程出ているのだろう。行きすがら数えてみようか……。ム・ニ・ンサ・マ・フギ・ン・サマ…、イチ末裔。ムニン・サマ・フ・ギ・ンサマ…、ニ末裔…二十か……、チェッまだまだあるよキリがないや。でも空が暗くて静かだ。これならトンビやタカにも襲われることは無いだろう。
 爺ちゃん凄いよ。夜の月はあんなに白く光るんだ。空や山を飾るように散りばめられた星たちはあんなにも沢山あって優しく瞬く。
 あいつはずっとこの景色を見ていたのか。
 でも、食事はどうするのだろう。食事はみつけられるのだろうか……、僕だったらきっと無理だろうなぁ。この辺かな?そろそろ雲の下へ降りてみよう。あっ! ようし蝙蝠種族を見つけたぞ。もう少し南…、居たっ! あいつ、また土を蹴ってる…。
 どうしよう…、直接隣に降りたら驚くだろうな。攻撃されるかもしれないし。蝙蝠たちも驚いて襲ってくるかもしれない……。しょうがないや、まずは上から声を掛けてみよう】

「カー、カカァー」
「なんだお前クワァー。何をしに来たんだ。お前たちは寝ている時間だろう?今は俺たちの支配時間だぜ」
「僕だけなんだけど、横に降りてもいいかな」
「好きにすりゃいいさ…でもチョット待てよ、仲間に何でもないっていう合図を送るから」
「うん」
「……クワッカー」
「ありがとう…凄いね、あんなに沢山いたのに一声で居なくなっちゃうなんて…、えっ?当たり前? そりゃぁ同じ種族だったら分かるけど、君は僕と同じ種族じゃないか…、なのに一声で…」
「馬鹿馬鹿しい…、そんな話をしにきたのかい?種族だ部族だって執着するからいつまでも争うんだろう?蝙蝠たちは自分たちから争いを仕掛けることは無いのは知ってるよな」
「うん……、いつも僕の種族がけしかけてるのは知っているよ」
「だいたい俺がこうして無事に育ったのだって、卵を置き忘れたお前たちの雌の代わりに育ての蝙蝠母が俺を温めてくれたお陰なのさ」
「エーッ!君は蝙蝠に育てられたの?」
「そうさ……、だから俺はお前たちを見る度に腹を立てていたんだ。でも蝙蝠母が俺に云うんだ。お前は神様のお使いの末裔なんだから心を広く持たなければね…って。だから俺も我慢することにしたのさ」
「神様のお使いの末裔?それって、ムニンとフギンのこと?」
「あぁ。なんかそんな名前だったかな」
「じゃぁ、君(きみ)、僕と同じ部族の子じゃないか…、僕はロリン。部族の長老の孫。君の名はなんていうの?」
「俺はベガ。俺の蝙蝠母は部族のシャーマンなんだ。結構長生きしてんだぜ」
「ベガ…、君の羽の色…、僕と同じ色だよね。でも、羽の形がチョット違うよね」
「あぁ…これか。自分で折ったんだ。何でかって?蝙蝠族の方向転換についていけなかったから、嘴(くちばし)で銜(くわえ)て折ったのさ。おかげで急旋回やホバリング転回も出来るんだぜ……」
         ※
 東の空が山の頂を橙色に染めはじめた。村までもう一息だ。闇の番人たちが西の森に向けて帰って行くのが目に入る。
 しんがりを飛んでゆくのはあの子だろう。少し曲がった羽の先を器用に使いながら右へ左へ上へ下へと飛んで行く。と、それは左へと急旋回をみせると滑空体制に入った。
 早い!フクロウが若い小さな蝙蝠を狙っていた。それは自らの体を矢羽根と化し嘴(くちばし)からフクロウに体当(たいあ)たりをしてみせたのだ。
 流石(さすが)の夜の知恵者、フクロウも堪らず大きな翼を翻し山に向かって逃げ飛んで行く。
「やりよるわい。どうやら育ての恩は返せているようじゃの」儂はひとり呟いた。
 息子夫婦がロリンを見つけたようだ。
 人間が妖精の煙突と呼ぶ岩の上、留まっているのがロリンだろう。息子夫婦はロリンの頭上で啼き叫んでいる。
「よさないか。無事に見つかったのだから良いではないか。あとは巣に戻ってからにすればよいだろう」
 儂は息子夫婦のそばに行くと、咎めるように嘴をはさみロリンの留まる妖精の煙突に羽をおろした。
「爺ちゃんごめんなさい。心配かけて」ロリンは謝罪をみせた。
「心配をかけるようなことはするべきではないな……。それで、どうだった。目的は果たせたのかな」
「うん。面白かったよ。あいついい奴だったし頭も良くって、僕たちが知らないことをたくさん知っているんだ。でも、チョット変わったやつだよね……。あいつの羽が曲がっている理由も分かったのだけど。それから…あいつ蝙蝠種族のシャーマンに育てられたんだって云ってたよ。で、ムニンとフギンの末裔だって」ロリンは一気にまくし立てた。
【そうか…、やはりそこまで知ってしまったのか…。どうやらあのシャーマンの蝙蝠婆さん…、上手に育ててくれたようだのぉ。さて、あとは帰ってからにしておくとしようか。どの道、按配(・・・・)も(・)頃合い(・・・・)じゃて。息子夫婦と話をしてから決めるとしようか】
「楽しかったようじゃの。良いか。その陰で心を痛める者たちが居たことは忘れるでないぞ。お前もムニンとフギンの末裔。智慧と記憶を掌(つかさど)る使い魔の末裔じゃ。そのことをよくよく心に留めておきなさい。ほれ、飯じゃ飯の時間じゃ…、あとは帰ってからじゃ」
 そう云いながら目線を足元に移すと、自分の立つ足元の土が抉(えぐ)れたように掘り込まれていることに気付く。
【ここはあの子が立っていた場所なのか…、何故…、何故ここだけが掘り込まれたここだけが黒く濡れている?いや…魔坂(まさか)…】
「うん。爺ちゃん。じゃあ食事に行ってくるよ」ロリンはそう告げると妖精の煙突を蹴り上げ空高く駆け上がった。
「ほう…、ロリンお前もか…」そこの岩肌は確かに湿り気を帯びていたのだが、登り始めた東の空の太陽が早くもその湿りを乾かしはじめる。儂は左足でその痕跡を隠すように掻きならした。

 ムアッジンが朝のお祈り時間の到来を告げるアザーンを唱えると、谷間には東の山むこうからの朝日が差し込む。あちらこちらで我が種族の啼き声が響いていた。食事の取り合いなのか、天敵にでも襲われているのか…仲間同士で食事を巡って争う姿も目にした。
 穴ぐらからは、人間たちが四足動物のようににじり出てくると飛べない腕を振っていた。
【おっ… あれは蝙蝠種族のシャーマンの婆様ではないか…、あんなところで今頃何をしているのだろう。仲間はみな帰巣した頃合い。あの土の塔は赤ん坊を抱いた女の神様が描かれていた塔だ。なんで今頃あんな中に入ってゆくのか】後をつけるつもりは無かったが、ロリンとあの子のこともあり、塔の中へと入ってみた。
 飛び交うには狭かった。壁には人間達が描いた赤ん坊を抱く女の神様の姿や、人間の背中に羽をはやしたおかしな鳥(とり)種族(しゅぞく)の画が描かれていた。
 天井に目をやると、シャーマンの婆様が天上に足でつかまりぶら下がるように羽で顔を隠し休んでいた。
「婆様…、蝙蝠の婆様…、休んでいるところ申し訳ないが少し時間を貰えるだろうか」
「何だい、誰だいこんな朝早くから。わたしゃ今から寝るんだよ。こんな婆を喰ったところで、しわくて食えたもんじゃないよ。もう少し脂ののった餌を探しに行きな…」
「婆様、儂じゃよ、ドゥワじゃ」
「なんだあんたかい。どうしたのさこんな早く。ハハァ……、あれじゃろ…、あの子達のことで来たんじゃろ」蝙蝠のシャーマンの婆様は見透かしたように嬉々としてそう云った。
「夕べから今朝にかけて随分話し込んでいたからね、あの子達」
「婆様、あの子達がどこまで話をしていたか分からんじゃろか」
「相変わらずお前様たちは都合が先行するのぉ…、そうではないだろう。使い魔の末裔だか何だか知らぬが、常に気にするのは体裁と自分の都合ばかりじゃ」蝙蝠のシャーマンの婆様は歯に衣着せぬ物言いで儂を責めた。
「いやこのとおり申し訳ない。確かにあんたが云うように、儂らはあんたに借りがある。後にも先にもそれを抜きには話は出来ない。婆様、ずっと天井を見上げていると首が痛くて仕方がない。チョット降りて来てはくれぬか…」
「爺さん。あんたなにかい、この朝日が昇って凡てを晒(さら)し出す時間に、私に地に降りろというのかい? ネズミや蛇にでもこの老骨を差し出すつもりかえ?」
 これはいかん。藪蛇である。
「婆様悪かった。今そこまで飛んでいくので許してほしい」
 儂はそう云うと蝙蝠のシャーマンの婆様がぶら下がる天井付近の張り出しに身を折るようにねじ込んだ。人間たちが蠟燭(ろうそく)を灯す場所なのか、足元が気持ち悪い。
「フン…、なんの用か知らないけどサッサとしておくれ。あたしゃ眠いんだよ」
「婆様…、まずはあんなに立派にあの子を育ててくれたことに衷心より礼を申し上げる。ありがとう」儂は頭を下げた。
「何を今さら言ってるんだい。元はと云えばお前さんの息子の嫁が巣への帰り間際、急に産気(さんけ)づいて妖精の煙突の上で卵を産んだことがはじまり。嫁しかいなかったから抱卵できたのは一つだけ。もう一つの卵……、あの子を持ってはいけなかったのさ。そこに首尾よくあたしが通りかかったから抱えて温めてやっただけのこと……、それもあたしゃ、お告げを聞いていたから通りかかることもできた。だけどね、ベガは本当にいい子に育ってくれたよ。今じゃあたしの部族の中でも皆に頼りにされて…。あぁ~判っているさ、いつかはあんたたちの元に帰る日が来るぐらいのことはね。だけど爺様、あたしゃね、口が裂けても云いたかなかったけどね。他の種族の手に塗(まみ)れたKARASの恐ろしい末路など」
 儂は嘴(くちばし)を差し挟むことなく蝙蝠のシャーマンの婆様に話をさせた。儂らの種族は他の種族の匂いがついたものを受け入れることは無かった。卵なら母親自らが割る。雛なら父親自ら巣から蹴落とす。それが部族の暗黙の了解。
 一度蝙蝠種族の手が及んだものであれば、部族に戻るためには自ら戦い道を開く時を待つしかなかった。
 それがベガの宿命であり、双子兄弟のロリンとその親、キロンとニヒトの抱えた運命だった。
 いつの間にか人間の洞窟の中には明かりが灯されていた。壁に描き込まれた赤ん坊を抱いた女の神様の前では、蝋燭の炎が風に揺らいでいる。人間に羽をはやしたおかしな鳥種族が女の神様の脇を固める。明かりを吸った故なのか、暗がりに浮かぶそれらの姿はただただに美しかった。儂はその美しさにしばし見入った。婆様の存在を忘れたように見入った。いや祈ったのかもしれぬ。
「さぁ、爺様。あんたどうするつもりじゃ。あんた自分で判っていると思うが、もうそれほど長くは飛べんよ。それとあんたも薄々気づいておるじゃろうが、あの子達…、数百年ぶりの生まれ変わりぞ」
「あぁ……、少し前からなんとなくな。今朝、はっきりと判ったわい…、飛べなくなることも、あの子達のことも……。婆様、どうじゃろう、ここはひとつ儂に任せてくれんか」
「任せ云われて落としどころも判らずに、任せた云えると思うてかこの戯(たわ)けKARASめ」
「相変わらず厳しいのぉ~(笑) こういうのはどうじゃろう…………」                             
                 ※
 女の神様が描き込まれた洞窟をあとにすると、外では太陽が頭上に昇っていた。薄くなりはじめた羽を広げ地を叩くと体が浮いた。
 祈りを終えた人間たちが頭を寄せ合い話し込んでいる。どうやら干ばつによる被害について相談しているようだった。
【だいぶ酷いようじゃのぉ。人も死にはじめているという話も聞こえてきている。儂たちの部族はそこまでではないが…、他の部族では人の死肉をついばんだKARASが人間に殺されたという話も伝わり始めている。ほかの土地の人間たちの間では、鳥葬という儀式もあるらしいが、儂たち種族は厄介者のようだ。さて、なんとか雨が落ちてくれればよいが】
 空の上から川の水や用水路の水の具合を眺めても、渇水は明らかなようだった。
【これは部族で餌場についても相談しなければならぬかのう。山裾の森は今のところ水の心配はない。が問題はこの人間たちの生活でもある。これまで持ちつ持たれつでやってきた一面もある。ネズミやモグラといった作物に害なす動物が減ったことに、一部の人間の間では木彫りKARASを祀(まつ)り上げ、信仰の対象として祈りを捧げるものも居る。雨が欲しいところだ】
 日が陰ってきた。地面から空に向けて吹き上げる乾いた風に緩みがみえはじめる。雲が広がりはじめていた。風が変わる……。地面からの風が緩むと羽を叩かなくてはならなくなる。儂のような年寄りには些かこたえるのだ。「どれ、一度降りて休むとしようか」目線を地上に移し着地するに手ごろな場所を探した刹那(せつな)、儂の頭上を二つの影がかすめた。
「グガワァ…、いかん!抜かったわ!」声に出し方向転換を試みるも、二つの影がかすめた際に大きく強い羽が儂の羽を折ったようだった。自由がきかない。失速する。このままでは乾いた谷間に体を打ち付ける。方向は選べない。まずは水平に、少しでも怪我を小さくすることが……。儂は傷んだ羽を我慢して広げ、かすめた二つの影を目で追った。
 いた。あれは…鷹だ。そしてもう一つの影は……、雲間から覗いた太陽を背にしたそれの大きさは空を駆け降りる羽のある馬の如くに見えた。まるで金色の鬣(たてがみ)をもつ馬だ。
「あれは……」羽を背負った馬…そう口に出しかけると、孫のロリンが大声をだした。
「爺ちゃぁーん…大丈夫―」少し離れたところから、ロリンが儂の元めがけ飛んできた。
「ロリン…儂は大丈夫じゃ。羽を少しやられたがの」儂の目は空でまみえる二つの影を追っていた。
「爺ちゃん、もう少しだ。あそこに降りよう。右だね、怪我した羽は右だね? よし、僕が右を支えるから、爺ちゃんは左の羽で舵を取って! いくよ!」
「すまんのロリン」
 返事をしないロリンをみると泣いていた。嘴をギュッと噛み締め泣いていた。地面へと着地し折れた羽をたたむと、二つの影を求めるように空を見上げた。鷹はその姿を消したようだった。太陽に照らされた山ブドウの色合いを想わせる羽…、その羽の先端はくの字に曲がっている。
【さっき儂が見たものは一体…】そう考えていると、それは儂たちをめがけて着地した。
「ベガ! どうしてこんな時間に君がここに居るんだい?」ベガはそれには答えず儂に言葉をかける。
「爺さん… 大丈夫かい? 危ないところだったな」そう云うベガの体中の羽は戦いの激しさを物語るようにささくれ立っていた。
 更にベガは左目をつぶされていた。儂を助けるために自分の目を差し出したのだ。
「面目ないのぉ。ロリン。儂はベガに助けられたのじゃ。ベガ、済まぬ。目を潰されたか」儂がそう告げるとロリンは嗚咽を漏らし泣きはじめた。
「そう。良かった。ありがとうベガ。目はどうなの?見えないの?怪我しちゃったの?」
「なぁに、二つあるうちの一つが減っただけさ。ちょっと痛いけどな、俺の婆様が帰っていないって皆心配してたから探しに来たんだけど、そしたら爺さんが鷹に狙われてるのが見えたから……。爺さんがロリンの云う長老かい? 俺のシャーマンの婆さんとも知り合いなんだってな…」
「うん。僕の爺ちゃんだよ」ロリンが告げた。
「……ベガ、儂はお前の爺さんでもある」儂は告げてしまった。蝙蝠のシャーマンの婆様と交わした作戦など何の役にも立たずに。儂は告げていた。「爺さん?」「爺ちゃん?」
「そしてお前たちは双子の兄弟じゃ……」
「なんだいなんだい騒々しいねぇ、カァーカァークワークワー。誰だい蝙蝠の眠りを妨げるのは……、おや、ベガ。何してるんだいこんな時間に。お前、その目はどうしたんだい!」
「大したことねぇよ。それより、いつまでも帰ってこない婆ちゃんを探しに来たんじゃないか」
「そりゃ済まなんだねぇ。にしてもその目…おまえ潰れちまったねその目…。おや、そっちは爺さんとお孫さんかえ、なんだってんだよ皆でこんな時間に……、爺さん、あんた魔坂(まさか)……」
「婆さん…申し訳ない。たった今凡てを話してしまったところじゃ。のっぴきならない事情が降りかかってのぉ、本当にすまん。それからベガの目じゃが、儂を鷹から助けるために怪我をしたんじゃ。許してくれ」
「ふん。どうせそんなところじゃろう。それもKARASの勝手というものさ。さて、ではこれからどうするかという話には、私も混ぜてくれるんだろうね爺さん」
「僕たちが兄弟ということは、シャーマンお婆さん。あなたは僕にとってもお婆ちゃんです。だから…僕は爺ちゃんと婆ちゃんに云いたい。まずは僕とベガで話をするよ」
「おやこの子。爺さん、血は争えないねぇ。しっかり自分を主張する子じゃないのさ」
「俺もロリンと話をしてから道を探す」
「このKARASどもと来たひにゃ、好きにおしよ。ただベガ判っているね…、楽(らく)じゃないよ」
「もちろんさ。俺は婆ちゃんたちも守る」ベガはそう云うと足で地面を掻き削っていた。
 どうしたことか、そのベガの足元からは水が滾々(こんこん)と湧きい出、たちまち小さな水たまりをつくりはじめたではないか。
【ほお…、やはり。この子の足はグングニルの杖か。さしづめ湧き出す水はミーミルの泉となるやもしれぬ。この子達がムニンとフギンの生まれ変わりであるのなら自分の目を犠牲に命あるもの達の役に立つのも定め。もう少しゆく末を眺めてみたいものじゃて】
 三羽のKARASと一匹の蝙蝠のやり取りを眺めていた人間たちが水たまりを見つけて騒ぎだしている。飛べない腕を振りながら。
 儂は折れた羽を引き摺り、蝙蝠婆さんとともに「赤ん坊を抱いた女の神様」の穴ぐらへとその身をあずけた。 

      了


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