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30年前の記憶(後編)

こんにちは、あずみんです。
今日は表題の30年前の記憶の後編、完結編です。
「明日でいいや」は後悔のもとになるかもしれない。
このお話はあずみんの実話に基づいて、
実際のその地で写真を撮り、ストーリー風にしています。


彼女と色々話をして、
中学生になってから考え方が変わったのは、自分だけじゃなかったことを実感しました。
色々と歩いて話して、そして夕方にバイバイして、
過去の思い出が色々思い出されました。
色んな事を考えていたから、彼女がどんな顔でバイバイしたのか、
どんな声をかけてくれたのか、思い出せません。
それよりも、

「成長に伴い、少しずつ人は変わっていく」
「いつかみんなとは別れがくる」

そんなことを考えていて、
そう思うと、なんだか心がキュッと締め付けられるような、
寂しい気持ち、悲しい気持ちがあった半面、それはそれで仕方ないことなのかな、とか考えてました。

なぜか?
何よりもこの夏、祖母の家に行くことに抵抗を感じて自分がいました。
その時点でみんなに会いたくてたまらない気持ちが薄れていた証拠だったので。
今までだったら、早く夏休み来い、冬休み来い、早くあいつらと遊びたい、今年は川でこんなことしたい、とか、祖母の家に行くことが楽しみで、ワクワクしていたのに、その気持ちがまずほとんど湧かなくなってしまっていました。

彼女と二人で話した翌日、
朝から友達たちが遊びに来て、いつものように川へ行き、海へ行きました。
ただ、そこには彼女の姿はありませんでした。
多分、女の子は彼女一人しかいなかったから、余計に恥ずかしさや抵抗があったのかもしれません。

その日、空がオレンジにになっていた記憶がないので、
夕方にはまだなっていなかった時間帯、多分午後2時か3時頃、
2人の友達が親戚の家に行くからと解散して、
私は一人でハゼとドンコの仕掛けを見に行きました。

路地裏の道から更に川へと続く細い道を出た瞬間、
足が止まり、すぐに隠れた記憶があります。
なぜか、

その先には、一人の制服の女性がいました。

誰?

と考えることもなく、あれは彼女だと分かりました。
むしろ、「誰?」と思うよりも、「なぜ制服?」と
思った記憶があります。
だって、彼女の学校は大阪なわけで、ここで通学しているわけじゃなかったので、制服を着ていることが違和感しかなく…。

もしかして、ここに住むことになったとか?

そう思いましたが、朝に川に行った時に弟君が
「3日後に大阪に帰る」
と言っていたので、ここに住むのは無いなと。
そういえばその時に、こうも言っていたのを思い出しました。
「ずっと制服に憧れてたみたいで、わざわざここまで制服を持ってきてた。大阪帰ったらいくらでも着れるのに、アホやわ姉ちゃん」
なるほど、それでここで制服を着ていると?

スカートをひらひらさせて、ちょっと笑顔になったり、川を眺めたり、傍から見ると怪しい女の子がいるという感じではあるけども、それよりもきっと、その姿を隠れて眺める自分の方が怪しい不審者になっていた気がします。

確かに中学になった時、「制服だ!かっこいい!」って思いました。
自分が小学生の頃、映画の「ビー・バップ・ハイスクール」が人気だったので、制服に憧れはありました。
余テルの「なかまぁ~」が今でも忘れられません。あと、服屋さんに入った時のテルの「おぅっ」が(笑)

話がそれましたが、
楽しそうにしているので、声をかけていいものか迷いまして。
多分、誰にも見られたくないって気持ちもあるんじゃないかな、と。
でも、自分も仕掛けを見に来たわけなので、
自然に、自然感じに声を掛ければいいかなと。

そう色々考えている時、彼女はじっと遠くを見つめていて、
その姿を見ると、
今わざわざ声を掛けなくていいかなと思う自分がいまして。

まだ大阪に帰るわけじゃないし、明日にでも話せばいいかな、って。
その時は本当に軽い気持ちでした。
もしかしたら自分から制服姿を披露してくれるかも、とか思ったり。

制服を披露してくれて、いつもの路地裏の道で、
「似合う?」とか話してくれたりしないかな~、とか。

いつもの日常だと、
「明日でいいや」とか「後でやろう」とか思うことがあると思いますが、
本当にそんな感じで。
今は一人でいたい気分かもしれないし、今話しかけなくてもいいやって。


でも、その時見た彼女の姿が、今の自分に残っている最後の姿です。
「明日でいいや」の明日は来ませんでした。
あの時の制服姿を見たのが最後で、
その後30年間、彼女とは会えていません。

今でも鮮明に思い出せます。
そして、いくら悔やんでも仕方ないですが、
あの時、
「自分も用事があって行ったんだから、あの時話しかけておけばよかった」
思い出す度に、そう思います。
話していればどうなっていたかなんて分かりません。
見られたくない姿を見られて喧嘩をしていたかもしれません。
もしくは、見られてしまった~、と、軽い感じだったかもしれません。

でも、話しかけていれば、何かが変わっていたかもしれない。
結局あの日が最後だったとしても、
最後に話した言葉を覚えていたかもしれない。
最後の自分に向けられた顔を覚えていたかもしれない。

「明日でいいや」とか「後でやろう」とか、
その時点では、その「明日」や「後」が二度と来ないなんて、夢にも思わないと思います。
どうでもいいことだから明日でいいやって思っても、
その時はどうでもいいことでも、時間が経てばどうでもいいことではなくなっているかもしれません。
大切なことは、そんな日常に隠れて潜んでいるんだと思います。
自分もあの時、その時話しかけなきゃ!なんて全く思いませんでした。
でも声をかけておくべきだったと、今でもその枷に捕らわれている気分です。

「明日でいいや」とか「後でやろう」
今一度、本当に明日でいいのか、後でいいのか、考えてみてください。


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