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【座右の銘を教えてください】「世界中にさだめられた どんな記念日なんかより—。」(36歳・作家A&R)

【本企画の趣旨について】
この企画は、私、あじしおが、見ず知らずの人にインタビューをし、その人の人生を根掘り葉掘り聞きながら、「座右の銘」を教えてもらうというものです。

■職業「作家A&R」

※以下「あ」=あじしお(インタビュアー)

あ:本日はよろしくお願いします!まずは現在の仕事について教えてもらえますか?

こちらこそよろしくお願いします。仕事は、音楽の作家マネジメント会社で、A&Rをしています。

あ:なかなか聞き慣れない言葉のご職業です。「音楽の作家」とは、つまり作詞家・作曲家ということであってますか?

はい、そうです。作詞家・作曲家さんをマネジメントする職業ですね。
事業名で言うと「音楽出版社」って言ったりします。

あ:なるほど。A&Rとはどういう意味ですか?

アーティスト&レパートリーの略です。新人作家を発掘して、育てて、売り出す仕事です。加えて、作家さんの曲作りの手伝いもしたりします。

あ:その作家さんはどこから見つけてくるのですか?

将来、作家になりたい子たちが通っている専門学校に出向いたり、知り合いのツテだったり。あとはウチの会社のwebページに募集窓口を用意しているので、そこから応募してくるパターンもあります。

あ:何となくイメージが湧いてきました。もう少し教えてください。そうやって育てた作家さんたちの楽曲をどこかに売り込んでいく訳ですよね?作家さんたちの楽曲は、具体的にどういうところに売り込みをしていくんですか?

作家が作成した楽曲は、レコード会社に売り込みます。例えば分かりやすいケースで言うと、そのレコード会社に所属しているアーティストさんの新曲として使ってもらうために、「この楽曲どうですか?」といったような営業をするのが1つのパターンですね。

あ:楽曲の営業をかけるのって、じっくり聞いてもらわないといけないので、飛び込みで営業をするのが難しそうなイメージです。新規でアポイントを取得するのは難しくないですか?

新規で聞いてもらうというのは意外と簡単なんです。レコード会社はいつでも良い楽曲を探してるので、ウチのような会社から楽曲の候補を集めてコンペを開催する訳です。レコード会社からしたら手間はかかってもコストはかからないんですよ。なので最初の入り口である「ウチの作家の楽曲を聞いてください!」は意外と通るんですよね。レコード会社は見積もり(楽曲)をたくさん取って楽曲を選ぶ。そんなイメージです。

まあ、そこから実際に楽曲を使ってもらうまでが難しいんですけどね……

あ:僕も営業の経験があるので分かります。その場で急に商品の話を聞いてもらったり、売ったりは難しいので、「とりあえず見積もり作らせてください!」みたいな。飛び込みの場合、お客様との会話の入り口って意外とそんなもんですよね。

ほんとその通りです。

あ:ところで今の仕事をやりはじめて何年目ですか?というかご年齢はおいくつでしょうか?

今の仕事は3年目ですね。年齢は36歳になります。

あ:今の会社は3年ですか。では、その前は何を?

えっと、アマチュアバンドマンをやりながら、営業の会社で働いてました。

あ:アマチュアバンドマン!これは興味深いお言葉が出てきました。1つ1つ掘り下げさせてください。アマチュアバンドマンは話が深くなりそうですので、後でお伺いするとして、営業の会社では何を売っていたんですか?

「ゲームの検証」を売っていました。

あ:ゲームの検証?具体的に教えてもらえますか。

例えば、ドラゴンクエストみたいなRPGゲームってありますよね?ああいうゲームがあったときに、発売前の最作段階において、キャラクターが壁を通り抜けてしまったりする、いわゆる「バグ」があるんですよ。

そのまま市場に出ると問題なので、そういうゲーム完成前のバグを無くす作業、つまり、「ゲームの検証」をゲーム会社に売っていました。「ゲームを検証」することを「デバック」って言ったりするんですけど。

あ:それはまた珍しい仕事ですね。世の中のどんなシーンも仕事になり得ると認識しました。それで、ゲームの検証って実際売れるもんなんですか?

なかなか売れないですね。笑

あ:なるほど。笑 それは何年くらいやってたんですか?

3年くらいですね。30歳から33歳くらいだと思います。

30歳になったときにさっき言ったバンドメンバーと話したんですよ。ずっとバイトをしながらバンド活動をしていたんですけど、夜勤明けとかで音楽活動していたら、いつか誰か潰れるぞと。まともな仕事についてしっかり休みがある中で、バンド活動を続けた方が良いんじゃないかっていう話になりました。それで、このゲーム検証会社に入ったっていう感じですね。

あ:やりたくてこの会社に入った訳ではないんですね。

そうですね。でも、その会社での経験は物凄く勉強になりましたよ。普通であれば、大学を卒業してすぐ学ぶような社会人としての基礎を30歳のタイミングで学ぶ訳ですので。それこそ名刺の渡し方とか、そんなとこからスタートですよ。

■20代を捧げたバンド活動

あ:では、先程からお話が出ているバンド時代の話を聞かせてください。どんな経緯でバンドを始めたのですか?

高田馬場にある、音楽の専門学校に通っていたんですけど、そのときの仲間とバンドを組みました。19、20歳のときくらいかな。そこから将来音楽で食っていくことを目標に活動し始めました。

あ:ちなみに、バンド名は何というお名前で?

恥ずかしいんですが、「Aree No Many(アリーノーマニー)」って言います。

あ:「Aree No Many(アリーノーマニー)!」なんかカッコいい名前ですね! 音楽のジャンルで言うとどんな方向感でしたか?

J−ROCKですね。ウルフルズとか、エレカシとか、イエローモンキーとか。
ああいったバンドの音楽性に近いと思います。

あ:いいですね。僕の世代でいうとRADとかORANGE RANGEとかが近いのかな。夢を追っているバンドマンって日本にたくさんいると思うんですけど、日常はどんな生活を送るんですか?

家では毎日毎日、音楽を練習するんですけど、みんなで集まるバンド練習は週に2回くらいかな。それ意外は毎日バイトですね。で、稼いだバイト代をスタジオ費用に使うっていう連続です。

あ:当時はどんなバイトを?

居酒屋とカラオケをやっていました。

あ:おー!バイトの代名詞2つですね。

面白いバイト先で、半分居酒屋、半分カラオケ屋なんですよ。飲んだ後にすぐカラオケに行けるみたいな。海鮮系の居酒屋だったんですけど、長いことバイトしていたので、最後の方は、マグロの解体ショーとかまでやっていました。

あ:そんなことも出来るんですか!でも、バイトしながらバンドマン生活って厳しそう。バイト代はどれくらいもらえたんですか?

大体月に20万〜30万くらい稼いでましたね。がっつりシフト入っていたので結構稼げました。でも、家賃払ったりとか、スタジオの費用とかで消えていきますけどね。

あ:へー、意外とバイトで稼ぎながら生活できるもんなんですね。バンド活動はどんなところで活動していたんですか?

東京です。渋谷のLa.mama(ラママ)とかでライブしてました。

あ:La.mama!なんか渋谷La.mamaって、音楽に詳しくない僕でも聞いたことがあります!

ミスチルさんとか、ジュディマリさんとかそういう方が出ていたライブハウスですね。東京の中でも歴史のある有名なハコだと思います。

あ:でも、そんな有名なライブハウスにアマチュアバンドが出るのって条件があったりするんじゃないですか?

ありますね。チケットノルマです。

あ:出ました!チケットノルマ!聞いたことあります!どんな悪い制度なんですか?なんか搾取されるイメージがあるのですが……。

決して悪い制度ではないです。えーと、なんて言えばいいかな。まず、バンドがライブハウスからお客様に売るチケットを買うっていう制度です。

例えば、バンドがライブハウスからチケットを25枚買います。ライブハウスから「ここまでは売りなさいよ」と「チケット販売のノルマ」を課されるイメージですね。

あ:なるほど。

それで26枚以上売れたら、その先は何%かはバンドにバックされるみたいな制度ですね。

あ:じゃあ、売れば利益が出ると。

そうですね。ただ、そんな簡単じゃないんですけどね。課されたノルマの分のチケットを捌けなかったら、お客さんが来なかったとしてもバンドがノルマ分を払わないといけないのでそこは辛いですね。

あ:ライブハウスの裏側にそんなドラマがあったとは・・・・。ライブハウスのビジネスモデルを学べました。ところで、Aree No Manyの音楽活動の目標としてはどんなところだったんですかね?メジャーデビューですか?

そうですね。音楽で食べていければいいなという目標がありました。

あ:メジャーデビューの定義とかってあるんですか?

当時は、しっかりとしたレコード会社からCDを出すのがメジャーデビューとされていたんじゃないかな。でも、今、こうして音楽業界で働いて思うのは、なるべく早い段階で辞めたほうが良かったなって思います。

あ:若くないと成功するのは難しいと?

やはりそうでしょうね。育てる側からしたら育成の幅もありますし。若い分コストはかからないですしね。当然、年齢を重ねてからのチャンスもあるとは思いますが。

あ:言い方は悪いかもしれませんが、アーティストを商品として見たときに若い方が価値があるって感じなんですかね。まあ、そこは現実問題致し方ないのかもしれませんね。

そうですね。

あ:で、Aree No Manyは結局どうなっていくんですか?事務所とかに所属したり?

いえ、事務所は入りませんでした。お声がけを頂いたことはあったんですが。

あ:それはもったいない。どうして入らなかったんですか?

事務所にも大小様々あるので何とも言えないのですが、所属したところで何が変わるんだと、当時はそう思ってました。

あと、若かったのもあって、業界についてあまり分かっていなかったっていうのもあるかもしれないです。良い音楽を現場でやっていれば結果はついてくるだろうと、ある意味、楽観的だったんですね。ライブハウスで認められれば、そこから芽が出るはずだって。

あ:なんとなく気持ちが分かる気もします。若いからこそのストロングスタイルというか。実力さえあれば関係ねーよみたいな。それで、その先はどうなっていくんですか?

えーと、25歳くらいのときに解散します。

あ:Aree No Many……。あれ、でも、まだ25歳くらいですよね。ゲームの検証会社に行くまであと5年間ありますよ?どうなるんですか。まだ音楽活動を?

そうですね。音楽活動を続けることになりました。

あ:おお!何か新しいバンドを作るんですか?

いえ、作りはしませんでした。当時mixiの掲示板で音楽関連の掲示板を覗くと、面白そうな人がいて、連絡を取ってみました。ドラマーの人がリーダーのバンドでした。このドラムの人がプロでもやっている人で、めちゃめちゃうまい人でしたね。メジャーの方の後ろでも叩いていた方なんで。

あ:結構すごいバンドじゃないですか?それはあとから加入するってことですよね?

はい、僕だけあとから加入した感じですね。

あ:バンド名は何というのでしょう?

Tweeeener(トゥイーナー)って言います。

あ:Tweeeener(トゥイーナー)は音楽のジャンルでいうとどんなだったんですか。

ヘビーロックですかね。

あ:活動内容は今までと変わらずって感じですか?

そうですね。集まってスタジオ練習してって感じです。で、さっき言った通り、ドラマーがプロだったんですけど、忙しくて。あまり活動できないまま2年くらいで事実上の解散っていう状況になりました。

あ:あらら、そのときはおいくつくらいですか?
 
27、8歳くらいですね。

あ:あれ、まだ30歳まで時間がありますね。そのあとはどうするんでしょうか?

もう一回くらい最後に何か出来ないかなと思って、またバンドを探したんです。確かmixiで見つけたのかな。

あ:mixi全盛の時代ですね。最後はどんなバンドだったんですか?

パンクバンドみたいな感じですね。Green Dayのようなイメージで、洋楽系ですね。ボーカルが帰国子女だったんで。

あ:となると、これまでの3つのバンドで結構音楽のジャンルが変わっている気がするのですが、それは問題ないんですか?

僕は全然大丈夫ですね。ギターを弾くって行為が好きだったんで。

あ:そういう考え方も出来るのか。バンド名は何ですか?

「No Name 101」って言います。

あ:なんか、アーティスティックな名前ですね。どんな由来ですか?
 
ボーカルがカナダにホームステイしていたんですけど、そのときのホストファザーに、「バンド名は何だ?」って聞かれたらしいんですよ。それで「名前無いんですよ」って答えたら、じゃあ「No name」だなって。それがピンときてバンド名に決めたらしいです。「101」ってのは上限の「100」より1個だけいい事があったらいいと「101」にしたと聞いてます。

あ:なんか自分には一生無いようなオシャレなやり取りで悔しいです。
「No name 101」での活動はどうだったんですか?

今までで一番活動的でしたね。

ハードロックカフェってありますよね?そこで、勝ち進むと最終的にアメリカでライブに出られますみたいなイベントがあって。それの東京代表になりました。

あ:それ、すごくないですか。やっと、世に出るときが来たんですか?
 
いえ、それで東京代表になって世界戦に出たんですが、オンラインでの戦いだったんですけど、ボロ負けでした。

あ:世界の壁は厚いですね。No nameはいままでで一番精力的に活動したということですが、どんなところでライブしていたのですか?

クロコダイルですね。東京のライブハウスでは、結構古い方だと思います。

あ:クロコダイル!ライブハウスの名前ってなんでこう絶妙にカッコいいんでしょう。それはLa.mamaより有名ですか?

比べられませんが、クロコダイルはほんとに実力がある人しか出れないっていう印象です。クロコダイルでは、ムッシュかまやつさんとも対バンさせて頂きました。

あ:ムッシュかまやつさんと対バンはすごいですね!で、そんな活動をされていた訳ですけど、「No name101」はどうなっていくんですか。
 
僕が30歳になるタイミングで、そろそろ定職に就こうかっていう話になって。仕事をやりながら音楽活動をすることにしました。それで、就職したのが「ゲーム検証」の会社ですね。
 
あ:なるほど。こうしてサラリーマン編へと繋がるわけですね。
 
はい。定職に就き始めたんですが、バンド内で怠け者のメンバーもいたりして。いろんな要素が重なり、だんだんとギクシャクして解散する運びになります。

あ:解散……感慨深いです。約10年間、3バンドに渡り音楽活動をされていた訳ですが、メジャーデビュー出来る人と、出来ない人の違いって何だと思いますか?

努力を出来る人が、更に運を持っていたら、メジャーデビュー出来ると思います。

あ:やはり、運って関係ありますかね?
 
確実にありますね。同じ実力でも、タイミングの良し悪しとか、自分ではコントロールできない要素があったりするんですよ。そこはほんとどうしようもない、運ってやつがあるとしか言いようがないですね。

あ:あー、分かるかもなあ。日本人ってどこか、努力は必ず報われるとか、頑張っていれば成果が出るって考え方を昔から植え付けられているような気がして。でも、実は、努力って平気で折られることがあるって27歳になったここ最近気づきました。

まあ、努力もめちゃめちゃ大事ですけどね。ですが、それはあくまで前提条件というか。音楽で夢を追う人はみんな努力をしているので。

■軽井沢生まれ

あ:さて、少し話題を変えまして生い立ちについて教えて下さい。生まれはどちらですか?  

長野県の軽井沢です。

あ:軽井沢ですか!いいですね、観光地じゃないですか。どんな家庭でした?

アパート暮らしで、どちらかと言うと貧乏だったと思います。

あ:軽井沢の暮らしってどんな感じなんですか?軽井沢出身の人と初めて会いました。

夏はすごい忙しくて、冬はあまり仕事がないんですよね。観光客の増減と比例して生活が変わるイメージです。

あ:親御さんは軽井沢でお仕事を?

はい。父親はホテルマンで、母親はアルバイトをしていましたね。

あ:なるほど。やはり軽井沢ならではというか、地域に根付いたお仕事をされていたんですね。小学校のときは何に憧れていたんですか?

サッカーのキング・カズに憧れていましたね。小学校のときに、Jリーグが始まったり、漫画もスラムダンク、るろうに剣心、ドラゴンボールとか、ジャンプ全盛期で。とても楽しい小学校時代でした。 

あ:コンテンツの底力が半端ないですね。なんか日本が元気だった頃のコンテンツというか。まだ、音楽が出てきませんが、いつ頃音楽に触れていくんでしょう。
 
中学ですね。コウジって仲いいやつがいて。そいつがギターをやっていたんですよ。それで興味が湧いてやり始めたのがギターですね。

あ:中学時代のギターがバンドマン人生の始まりでしたか。最初はアコギですか?

アコギとエレキ両方弾いていました。GLAYのコピーとかをしていて。高校時代もひたすらギターを弾いてましたね。手にマメが出来るまで弾いてました。学園祭でGreen Dayを演奏するのでみんなで上半身裸で緑に塗って演奏したりとか。

あ:青春ですね。当時好きだったバントとかアーティストとかっているんですか?

僕の場合はマーシーですね。THE BLUE HEARTSとかの。

あ:ブルーハーツ!僕も中学生時代通りました。僕の時にはすでにクロマニヨンズになってましたが。マーシーは何がいいんですかね?

動きと、音、歌詞、全部いいですね。自分がいいと思う楽曲はマーシーが作詞・作曲の物が多かったですね。

あ:徐々にバンドマン人生への片鱗が見え始めました。で、ギターの専門に進路を決めるわけですね。親からは反対はされませんでしたか。

反対されましたね。でも、最終的に反対した上でやりたいなら、やれと。
それで音楽の道へ進みました。

あ:人生の選択のタイミングですね。今でも親御さんとは仲いいですか?

実は父親が、高校3年生のときにガンで亡くなってしまって。 

あ:なんと。それは辛いご経験ですね。家庭や生活などは崩れなかったんですか。

実は僕、中3から高2にかけての3年にかけて、おじいちゃん、おばあちゃんの計4人が全員亡くなってしまったんですよ。毎年、葬式があるみたいな。それである程度の免疫が出来ていましたね。

あ:精神的に強くなっていたんですかね。
 
そうですね。まあ母親は一人になってしまった訳なんですが、今は東京から2週間に1回くらい電話で話しています。それくらいしか親孝行出来ないかなと思いまして。

あ:僕も親が元気なうちに親孝行をしておきます。そんな、36歳のリアルを教えて欲しいのですが、今って将来的な不安はありますか。

やっぱり、お金ですかね。こういう人生を送ってきたんで、ろくな貯金も無いんで。でも、不安っていってもそのレベルで基本的にはどうにでもなると思っています。最悪、マグロも解体出来るんで。
 
あ:頼もしいです。なんでもやっておくべきですね。

■座右の銘を教えて下さい。

あ:さて、いろいろとお話を聞いて来ましたが、このインタビューのメインイベントです。座右の銘を聞いていいですか。
 
そうですよね。座右の銘っていうのかな。マーシーの言葉なんですけど。
 
あ:お!座右の銘もマーシーですか!何でも大丈夫ですよ。教えて下さい。
 
はい。TRAIN−TRAINの歌詞の一節なんですが、
「世界中にさだめられた どんな記念日なんかより
 あなたが生きている今日は どんなにすばらしいだろう
 世界中に建てられてる どんな記念碑なんかより
 あなたが生きている今日は どんなに意味があるだろう」

です。長くてすいません。こんな長くて大丈夫ですか。

あ:大丈夫です。どうにかします。めちゃめちゃ良い言葉ですね。なぜこの歌詞が座右の銘なんですか?

父親があと半年で亡くりそうってなって、そろそろダメかもってときに、ずっと聞いていたTRAIN-TRAINのこの歌詞がスッと入ってきたんですよね。
 
先を不安に思うのではなくて、今父親が生きているこのときを大切に生きようと思いました。それで父親が亡くなるっていう事態でも、不思議と落ち着けたんです。
 
あ:音楽は人を救いますね。その経験とか考え方って、のちの「音楽で生きていく」っていう選択のきっかけになっているんですか。

きっかけの一つではあると思いますね。ある意味、歌詞に救ってもらったと思っていて。今度は救う側に立ちたい、作る側になりたいって思いは、強く芽生えましたね。今は裏方っていう立場ですけど、それはそれで全然良くて、ただ、自分が死んだ後も聞かれる曲を作った一員になりたいと思っています。

たとえば、TRAIN−TRAINは、ヒロトさんとマーシーさんが亡くなった後も人を救い続けると思うんです。そういうものを作ることができたら嬉しいです。


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