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【映画感想】『歓びを歌にのせて』 /ケイ・ポラック監督

「歓びを歌にのせて」というスウェーデン映画で震えた話。DVを受ける妻役を演じたミュージカル女優ヘレン・ヒョホルムの歌声に問答無用に魂を持っていかれる。役者たち、演出、素朴で瑞々しい景色、混然一体となった映画そのものに命の底から震えた。

~あらすじ~
天才指揮者のダニエル(ミカエル・ニュクビスト)は、あるとき舞台で倒れてしまう。現役を退いた彼は幼少時代を過ごした村に戻り、レナ(フリーダ・ハルグレン)ら教会のコーラス隊のメンバーと知り合う。

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ちょうど10年くらい前になるのかなあ。
スランプで心が硬直しつつあった時に見て、
震えた。

胸のそこから突き上げてくる、
荘厳なまでの命の旋律に、
思わず心が開いてしまった。

宇宙にひとつしかない、自分の声を
ありのまんま響かせていく。
それでいい。それでいいんだと思えた。

この映画によって、心を開かれてしまったのは
なぜなのだろう?

ケイ・ポラックというこの監督は、
実に18年ぶりの映画界への復帰だったそうだ。
スウェーデンの首相が暗殺されて、国民全体が
ショック受けた事件があった。
彼はその事件をきっかけに、映像をとるのをやめていた。

だが「人間」についての探究心はずっと持ちつづけていたらしい。

奥さんは毎週聖歌隊に熱心に通っていて、
彼はその送り迎えをしていた。
そこで彼が垣間見たのもは、なんだったのだろう。

老若男女、忙しいものもそうでないものも、
集まっては、笑い、泣き、歌う人々。
それぞれに悩みや苦しみを背負っているであろうに、
それでもひとつになって歌う赤裸々な人間、
そんな姿だったのかもしれない。

これは、なんだ?
聖歌隊の歌にはなにがある?

ともあれ監督はそこで何かを感じ、
何かを見いだしたのは間違いない。
そしてそれは、監督を表現の道に帰らせるのに
十分な何かだった。

監督は、聖歌隊のリーダーに綿密に取材し、
この映画の企画を煮詰めていった。

やがて、18年ぶりに映画が完成し、彼は帰ってきた。
スウェーデンでは記録やぶりなヒット作となる
この映画をひっさげて。

映画の中で、
主人公か誰かに確か、こんな感じセリフを
言わせていた――

「小さい頃から夢があって、
それは人々の心を開放する“音楽”を作ることだった。
それは今も変わっていないよ」

――このセリフの“音楽”の部分を
“映画”にかえてみると、

「小さい頃から夢があって、
それは人々の心を開放する“映画”を作ることだった」

となる。
これが監督の願いだったのかもしれない。

そして、この「歓びを歌にのせて」という映画を見て、
間違いなく心を開放する映画になりえていると、
僕は感じてしまった。
実際にガチガチになっていた僕の心、
僕の命は開いたのだから間違いない。

最後に、「心がつながる」というキーワードから
吉元由美という作詞家の話もしておこうと思う。

平原綾香のジュピター――
「Everyday I listen to my heart
一人じゃない 深い胸の奥で繋がってる」
――深い呼吸を感じるこのフレーズで有名だと思うけど、
「ONENESS」?とかなんとか言って、
とにかく、人はみな深いところで繋がってるんだと、
深層心理の奥の奥を突き抜けていけば、
たぶん宇宙とも一体で、みんな一人じゃないと、
つながってるんだと、とまぁ、こういうわけで
ございますよね。彼女は。

や、それはきしみファンならご存知の通り、あたくしも事あるごとに言うてることではありますし、いわずもがな、信じようと信じまいと、透徹した目をもった昔の偉人や学者もずっと言うてきてることではあるとは思う。

で、「歓びを歌にのせて」という映画の震えるような一体感は、
まさにこの「一人じゃないって感じ」を、
“実感”としてつかませてくれてるような
そんな映画ではなかったかしら、と思ったのでございます。

宇宙にひとつしかない、自分だけの声をそれぞれ響かせて、
重ね合わせた時、心と心が手をつなぎあうような、
それでみんながひとつになっていくような、
そんな感じで…。

♪(゚∀゚)人(゚∀゚)♪

逆説的ですが、人が人に何か伝えて、怒ったり、泣いたり、
笑ったりするのは、底でつながってるからなんじゃないの?
繋がってるから、響いたり、感じたりできるんじゃないの? と思ったり。

そう、人が土足で心に入れるのは
繋がってしまっているからなんだ、
とか書いたりしてきたわけでつね。

では、閉じて感じないようにしてる人には響かせられないのか?

たぶん正面や上からじゃ手(声)が届かない。
何重にもロックしてあるから。
僕もあの当時、ちっとやそっとの感動じゃ
こじあけられないほど、ガチガチに閉じていたと思う。

でも、深い気持ちや、人間の根っこの方にあるような
大きな何かを表現した時はどう?

その感動は上や正面からじゃなく、本源的な部分、つまり、
下の根っこの方からぐわっと立ち上がってくるものだから、
閉じてガードしてた人にも響いてしまう!?

深い芸術や文化が、絶望して閉じてしまった人間にも
再生を促す力があるのは、実にそういうメカニズムなのでないかしら?

「歓びを歌にのせて」の映画のレベルは人間賛歌として
そこまでの深い表現できていたのでは?

あの胸の奥から揺さぶられるような感動の正体は、
人間の命の奥底(みんな繋がってる深淵の宇宙)を
片鱗でも表現できた時に起こる浄化作用だったのでは?

根源的、かつ超不変的なものを表現できたものは、
人間の命の底の方から感動がやってくるから、
ガードしようにも守りようがない。

人間の命は、小宇宙という個でありつつも、
その深淵は果てない宇宙と地続きである。

深い芸術に出あったり、大自然の荘厳な風景などに出会って、
その真理の一端でも実感できた人間は、次の瞬間、
己が卑小さの奥に、どこまでも果てしなく広がる
「命の海」をぐわっと感じ、その実感を胸に、
自分という可能性をもう一度信じてみようと、
復活への一歩を踏み出すことができるのではないだろうか。

それが芸術の正体なんじゃないのか。

かのヴィクトル・ユゴーも言うておられる。
「海よりも広いものがある。それは空だ。
空よりも広いものがある。それは人の心だ」と。

思わず、昔読んだ宮本輝の『ひとたびはポプラに臥す①』も思い出す。

これは宮本輝がシルクロードを旅した時のルポで、そこに――
「宇宙が無辺ならば、この俺という人間も無限なのだ。
だから俺に行き詰まりはないのだ」
っていう言葉が出てて、これが好きで、
僕はこれに励まされながら生きてきた人生だったと思う。
(僕の引き出しの中はそういう言葉たちがいつもひしめいている。
みんないつも僕を支えてくれてありがとう!)

ともあれ、普遍的で不変的な
いつでも心に響くすんばらしい映画なので
まだ見てない人は、今すぐ
観ておくといいと思います。

人生観変わる人もいると思います。
これはそういう映画です。

※本当は名場面の歌のシーンを
翻訳とともに見れるものを貼り付けたかったけど
ファンが多くて、不正の通報がしっかりしてて
今は見れないので(大事なことね)w
翻訳なしのシーンを貼っておきますね。
※DVを受けていた女性が表舞台に立って歌います。DV夫も見に来ています

歌詞は別途下記に記載。歌詞も絶品で深い! 魂の自立。

本当の感動は実際に映画でどうぞ!
たぶん。実際見て、このシーンに出てる一人ひとりの人生が
重なってこないと、僕がいってることはわからないと思うので;

『ガブリエラの歌』

私の人生は 今こそ私のもの

この世に生きるのはつかの間だけど

希望にすがってここまで歩んできた

私に欠けていたもの そして得たもの

でも それが自分で選んだ道

言葉を超えたものを信じ続けて

天国は見つからなかったけど

ほんの少しだけ それを垣間見た

生きている喜びを心から感じたい

私に残されたこれからの日々に

自分の思うままに生きていこう

生きている喜びを心から感じたい

私は それに価すると誇れる人間だから

自分を見失ったことはない

今まで それは胸の奥で眠ってた

チャンスに恵まれない人生だったけど

生きたいという意志が私を支えてくれた

今の私が望むのは日々の幸せ

何にも負けず強くそして自由に

夜の暗闇から光が生まれるように

そう 私の人生は 私のもの!

探し求めていた幻の天国

それは近くにある どこか近くに

私はこう感じたい

「私は自分の人生を生きた!」と

(原語はスウェーデン語。翻訳は、DVDの付録より。)

水もしたたる真っ白い豆腐がひどく焦った様子で煙草屋の角を曲がっていくのが見えた。醤油か猫にでも追いかけられているのだろう。今日はいい日になりそうだ。 ありがとうございます。貴方のサポートでなけなしの脳が新たな世界を紡いでくれることでしょう。恩に着ます。より刺激的な日々を貴方に。