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赤報鯛素麺

夏になるとよく食べられる食材が素麺。
自分では買わないのですが先日、お中元の御裾分けで少々、頂いたので普通に麺つゆにつけるよりも郷土料理風に料理しながら、明治維新の暗黒面を妄想した記録。


材料

鯛  1尾
昆布 5センチ
素麺 3束
生姜 半欠け
水  100㎖と茹でる分
酒  50㎖
醤油 大匙2
味醂 大匙1

大政奉還が為された後、薩長は困っていました。
武力倒幕を行って、名実ともに自分達が新時代の盟主であるとアピールしたかったのが、幕府が政権を返上してしまったのでは戦を仕掛ける大義名分がない。というより、裏で薩長をコントロールしていたDSにとっては日本国内で戦争してくれないと武器が売れないし、混乱に乗じた日本乗っ取りが上手くいかないという思惑。
そこで考えたのが江戸で騒動を起こして、幕府を挑発する手口。
やくざ者とかならず者を集めて、江戸で喧嘩や暴力沙汰、押し込み強盗。
ついには薩摩出身である篤姫が住む江戸城二の丸にまで放火。
そうした連中は薩摩御用盗と呼ばれ、三田にあった薩摩藩邸に出入り。
西郷隆盛の指示で、こうした行為を行っていた一人が相楽総三。
江戸市中の見回りを行っていた新徴組はついに怒り爆発。薩摩藩邸を焼き討ち。
待ってましたとばかりに、幕府が先に攻撃してきたと主張した。これが戊辰戦争のきっかけ。


鯛の切り身を半分にして、皮に切り込み。

天保十年(1839)江戸に生まれた小島四郎左衛門が後の相楽総三。
実家は豪農で金貸しもしていたようで裕福。その資金で國学や兵学を学んで尊王攘夷運動に挺身。
名前を変えたのは実家に迷惑が掛からないようにという配慮?
天朝組の赤城山挙兵や水戸天狗党に加わろうとしたものの、上手くいかず。
武士階級出身ではなかったのが原因か?或いは自分が指揮を取りたがる性格だったのかもしれません。
江戸で頼ったのが乾退助(板垣退助)
その仲介で薩摩の西郷隆盛の知遇を得て、先述の御用盗を務めた。


昆布を敷いて、鯛を置く。

幕府に手を出させて開戦の口実作りに成功した相楽達は江戸を去り、西へ。
王政復古の大号令が出され、錦の御旗を掲げた官軍の魁を務めるべく、近江(滋賀県)の金剛輪寺で赤報隊を結成。
赤心つまり真心を持って君恩に報いるというのが隊名の由来。
相楽は一番隊隊長。元新選組で御陵衛士だった伊東甲子太郎の弟、鈴木三木三郎が二番隊を率いた。
水口藩士を中心としたのが三番隊。
重要なミッションを授けられました。
「年貢半減」を沿道の民衆に布告して、新政府への支持を集めろというもの。
相楽達は勇んで東山道を江戸へ向けて進軍。


細切りの生姜、醤油と味醂、水、酒を投入して煮る。

その間に上方では困ったこと発生。
維新政府は豪商、三井に資金援助を依頼。
その担保として三井は年貢の徴収権を要求。三井からすれば年貢の半減等、とんでもないこと。それでは金は貸せないと返答。
ついに年貢半減の撤回を決定。
赤報隊にも進軍を止めて一旦、戻れと命令。二番と三番隊はそれに応じて戻ったが相楽率いる一番隊は命令を無視して進む。難所である碓氷峠攻略を目指す。
相楽からすれば今更、年貢半減を撤回など言い出せるものではない。それでは自分が嘘つきとなって民衆の恨みを買う。それならばこのまま進んで碓氷峠攻略という功績を挙げれば、新政府も撤回を撤回せざるを得なくなると考えた?


沸騰したら落し蓋をして5分から10分、弱火で煮る。

進軍している内に、仲間達は味方である筈の新政府軍に次々と捕縛。捕まった者達の助命嘆願のために相楽は出頭。
そのまま拘束され、一切の弁明は許されず、尋問もなく下諏訪にて斬首。
この時、共に首切りの場に引き出された者達は
「俺達は命令に従っただけだ。岩倉を呼べ」等と叫んでいたが、相楽のみは一切の申し開きもせず、黙って死を待った。
その様子を見た民衆は
「悪人でも頭目は違う」と感心したとか。
享年三十歳。これを聞いた妻は自害。


素麺を茹でる。

年貢半減を布告させておいて、都合が悪くなったので相楽達は偽官軍だったとして切り捨てられた。
明治三年(1870)に処刑された下諏訪に魁塚が作られたが長らく偽官軍の汚名を着せられたままだった。
名実ともに名誉回復が成ったのは昭和三年(1928)
孫が名誉回復の運動を行い、昭和天皇の即位に伴い、正五位が追贈。翌年には靖国神社に合祀。

近年、明治政府に使い捨てにされた悲劇の人として語られることが多い相楽総三。
漫画『るろうに剣心』でもそう描かれた。
年貢半減を告げて民衆を味方に付けようとしておきながら、名もなき民衆よりも豪商から金を引き出すために反故にした新政府は確かに悪い。
しかし私は相楽自身にも問題があったと考えます。


赤報鯛素麺

茹で上がった素麺に鯛と生姜を散らして、煮汁をかける。
愛媛県とか香川県の郷土料理がこの鯛素麺。おめで鯛席でよく食べられるとか、
鯛の赤い皮が赤心を示している。鯛から出たいい出汁を昆布の出汁が引き締める。
冷たくして頂きましたが冷たい物ばかりでは宜しくないが、アクセントの生姜が体を温めてくれる。
鯛からタンパク質やビタミンAやD、EPAを頂ける。
頂いた素麺は揖保乃糸の最高級品、黒帯というそうです。道理でのど越しも味も素晴らしい。

戻れという命令を相楽は無視した。そもそも相楽達は桑名へ進めと命令されていたのを無視して東山道を進んでいた。軍隊なのに上の命令に従わないのは問題。
実際、戻った鈴木三木三郎にはお咎めはなかった。
実績を挙げて民衆のために年貢半減を勝ち取るつもりだったのか、自分が民衆の恨みを買わないように進むしかなかったのか?相楽は一切の申し開きをしなかったので真意は不明。
江戸で行った御用盗という行為自体が平穏な生活を望む庶民には迷惑な話。
革命という大義のためには多少の犠牲は止むを得ないと考えたのか?

明治政府にしても後ろめたい気持ちがあったからこそ、最終的には名誉回復を認めたのだろうし、そうでなければ明治三年に塚を作ることも認めなかったことでしょう。
蜥蜴の尻尾のように切り捨てられたと言われるけれど、それなりに問題もある人物だったかもしれないと相楽総三を妄想しながら、赤報鯛素麺をご馳走様でした。




#夏の旬食材レシピ

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