人見知りって失礼

いきなりですが皆さんは自分のことを人見知りと思いますか?

私は人見知りと思っています。
そう思っていたことで次のことに気づきました。

人見知り=自分に矢印が向いている
自分のことしか気にしていないせいで周りに気を遣わしている。

今日はそう思った体験を書いていきたいと思います。
人見知りを否定するわけではなく、私の主観的な考えなので、ひとつの意見として捉えていただけたら嬉しいです。

言葉の壁を言い訳にしてきた

フランスに留学に来てから言葉が通じない場面なんて数えきれないくらい経験した。私の住んでいる街は小さい街なので英語を話せる人は少ない。なので家の外にでるとフランス語を話せない私はコミュニケーションなんて全く取れない。(友達は全員英語が話せるので今はコミュニケーションに問題はない)

日本人は圧倒的にマイノリティー。というか私は日本人の知り合いはいない。ヨーロッパからの留学生が沢山いるので留学生でも自分たちの国のコミュニティーがありみんな母国語を話す場所がある。

なので基本的にどこに行っても私は一人と感じることが多かった。
もちろん優しい面白い人たちが沢山いて楽しい時間を過ごしてきた。しかしその人たちが本当になんでも話せる友達になったかと言われると、んー、とちょっと言葉が詰まる。

私は『よかったら一緒にどお?』と誘ってもらうことが多かった。フランス人5〜10人の中に私。イタリア人10人ぐらいプラス私。スペイン語を母国語とする人たち7、8人の中に私。こんな感じのところに混じっていた。

もちろん嫌なら行かなければいい。それだけ。でも私は誘ってくれたし行こー!と思い毎回食事やちょっとしたパーティーなどに参加していた。

行くともちろんみんなネイティブ言語で話している。当たり前。私が参加すると英語で話そ!っていって英語で話してくれる。ですが英語はみんなにとって第二言語。もちろん言葉が出でこない、詰まる時はある。そして盛り上がるとついネイティブ言語で話したくなる。それは当然。私も日本人が沢山いる場面だったら日本語で話していたと思う。

何が言いたいかっていうと、こういう場面で私は人見知りだから、そこいいるみんなのネイティブ言語は分からないから、とかいう言い訳をして自分から輪に入っていこうとはしていなかった。本当にいつまで経っても受け身。結局矢印は自分にしか向いていなかったということに気がつきました。

ごめんな、英語で話すわ、とか途中で通訳してくれたのが何回もあって気づいた。

『ごめんな英語で話すわ』とかめっちゃ気使わしてるやん!せっかくその楽しい場に呼んでくれたのに何自分のことばっかり気にしてんの?その場を楽しむことより、楽しめなかった時の言い訳探してない?と思いました。

話題を沢山振ってくれたり日本について知っていること、興味のあることを質問してくれたり、私を含めこの場を盛り上げてくれようとしているんやなと感じた。そして私はなんて子供なんだ。と強く思いました。

もちろん言語が同じでも全くついていけない話は沢山あるが、せっかくその場にいるんだったらちょっとは興味持つとか分からないならなんの話?と聞いてみるとか、話に参加する方法はいくらでもあるなと。

そしてそれらを気遣える、数人でいる場でみんなが話に入れるように話題を振ってくれるその気遣いは本当に尊敬でしかないなと思いました。

もちろん性格的に外交的、内向的な部分はあり得意不得意はあると思います。でもその場に行ったのなら、その場に居なければならないのなら、自分の性格がどうこうではなく、その場を楽しもう、その場におる人にたのしかったって言ってもらえるような振る舞いをできる人になろう!と思いました。

初対面の人だと緊張したり、何話していいか分からないとか色々ありますが、少しずつだけど、周りの人に矢印を向け興味を持って一緒に楽しめるようにしたいなと思いました。

人見知り=話せなくて当然ということで自分を防御しているそんな気がしました。それはそれで全然いいんです。でも私はせっかく色んな人と出会えるチャンスがあるのにそんなこと言っていてはもったいないなと思いました。

なので逃げの体制ではなくもっと自分から積極的にのマインドで生きていきたいなと思いました。

すぐに変えるの無理でも経験を重ねてる少しずつ成長していけたらなと思っています。

ここまで読んでいただきありがとうございました!
それではまた!
À bientôt🥖

サポートしていただけるととても嬉しいです!サポートして頂いた分は留学費用と留学を支えてくれている両親への恩返しに使わせていただきます☺️