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【雑記】“一回性”について考えたことをnoteっぽく書いてみた

運動会シーズン。
小学生のお姉ちゃんがいる子のお母さんが
「運動会とか泣いちゃう」と言っていて。
めっちゃ分かる。。
私も子どもが小学生になったら行事のたびに泣くわ。。

なぜ泣いちゃうのか。
私は練習のストーリー性と、イベントの一回性が涙を誘うのだと思う。

一回性。
小学生の頃からずっと考えてきたこの一回性という概念について、書いてみようと思う。

◯小学校の音楽会で感じた勿体なさ

一回性について、なんとなく考え始めたのは小学校の音楽会だった。
何回も何回も練習して迎える一回きりの本番。
本番のために練習するのか、練習したから本番があるのか。
「こんなにたくさん練習して、一回だけ本番をして終わるのってもったいないなぁ」
と思ったのが一回性について考え始めた瞬間だと思う。
このもったいないなぁという気持ち。
なんとも言えない切ない気持ち。
1番近いのは、大好きな本や漫画のシリーズが最終回を迎えた時の気持ちだと思う。

◯演奏会の一回性の切なさを乗り越えた楽しさ

音楽会でたくさん練習したのに本番が一回なんてもったいないと思った私だが、中学高校は吹奏楽部に入り、練習練習の毎日。
中学時代のマーチングなんて、先輩や先生に怒られながら汗水垂らして必死に練習するのに、本番は一回きりの一瞬の出来事。
やっぱり、もったいないなぁと思いながらやっていた。
ただ、高校に入ると、本番でしか味わえないお客さんとの一体感みたいなものを感じるようになった。
一回きりの本番。もったいないけれど、これはなんだか楽しいぞ。このために練習するのかな。なんて思うようになった。

演奏会の一回性に関しては、この本番にしか味わえない気分を味わうことで、もったいなさを乗り越えたと思う。

◯人生は一回性が繋がって出来ている

大学時代、祖母が亡くなった。
友達が病気になった。
そんな出来事から、生死について意識するようになった。
自分がどう生きたいかなんてことを考え始めるようになった。

人間の致死率は100%だ、とか、ただ1つ決まってるのはいつか死ぬってことだ、とか、そんなことが書いてある本をたくさん読んだ。

人生は一度きり。

一回性は人生にも言えること。
人生は一回性の連続で出来る大きな一回性をもったもの。
頭では分かるけれど、このことを肝に銘じて毎日を過ごすことは私には出来ないなーなんて思う。

◯子どもの感性と大人の感性

一回性。
大人になっても、やっぱりこの言葉から真っ先に感じるのは、好きなシリーズが最終回を迎えた時のような気持ち。

子どもを育てるようになって思うのは、子どもの頃に“特別”を感じるアンテナが敏感なのは、経験してきたイベントの分母が少ないからなのかなということ。
大人になると経験の引き出しが増えて、なんとなく分類されて、日常の中に溶けてしまう。
たとえ毎日が一回性の連続だとしても。

“特別な日常”なんてキラキラした言葉は飾りの言葉だと思ってしまうけれど、子どもたちはもしかしたら毎日が特別で一回性を感じているのかもしれないなと思う。

運動会で涙が出る。
鈍感になってしまった大人が
「自分も頑張らないとな」と思う機会。
子どもから学ぶことは本当に沢山あるんだろなと思う。

◯終わりに

一回性について、なんとなくnoteっぽくつらつらと書いてみた。
ただそれだけの雑記を最後まで読んでいただき、有り難うございました!

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