栗井文花

Forget me not.

栗井文花

Forget me not.

    マガジン

    • ひとりごと

      日記、遺書。私のひろいあつめ。

    • いいたいこと

      世界に思うこと、丁寧に書くやつ。

    • ふぃくしょん

      読んだ本や観た映画から、浮かんだこと。

    最近の記事

    月報、というには余りあるもの

    久しぶりに文章を書きました、 ずっと書いていなかった 外の世界に目を向ける以上に、自分の内側に触れることをずっとずっと拒絶していたから どんな自分もどんな感情も取りこぼさないようにと今まで必死に大切に紡いでいたものを、自分で指の隙間からぼろぼろと零してぐちゃぐちゃにしたくせに、今更またかき集めてくっつけようとするなんて、とても滑稽だったから でもまた最近心が文章として浮かんでくるようになって、なんだかまた文字に起こしたいのかもしれないなとおもって、少し委ねてみることにしま

      • 深窓の魂

        クモの上から見えるその世界が、私には羨ましくて堪らなかった ここは人間界に限りなく近く、それでいて"にんげん"に1番大切な何かが欠けていたから  雲の上での生活、 天使や妖精たちのお付きの仕事は退屈だ みな美しいけど 欲しいものも心も何もない 下の人間の世界になんて そこに憧れていたって届かない誰も気づいてはくれない 私はここにいるのに そこで苦しんでもがいて幸せに生きている人間たちが羨ましくて羨ましくて 私は見ているしかできない 目が覚めると、空が遠くに見えた 雲が

        • 芸術の深淵

          また、表現が糾弾される現場を見た。 芸術や創作物を構成する表現というものに、不適切という概念をあてはめてもいいものか。  「芸術」と「広告」は全く別物なのだということ。 本人のエゴによって表現者の内側から絞り出して生み出される「芸術」と、世の中の人々を啓蒙するため、明確な意識の変化を目的として作られる「広告」とでは、性質が全く違っていることをわかっていてほしい。  広告には適切さが求められている。誇大広告ではないか、差別の意図が含まれていないか、世間の意識を惹き付け、時に

          • 幸せなことが かなしかった

            「毎日楽しいけど、でもたまに辛くなる。夜、眠るときなんかに。 その一日が楽しかったら、楽しいだけ、辛くなる」 そう彼は言った。 この言葉にかつてないほど心を触れられた。 たくさん優しさを向けられた日、愛を向けられた日、笑顔で溢れた日、私という人間を生きられた日。決まって夜、間接照明のオレンジの光に照らされながら、ベッドの上で悲しくなった。寂しさとは少し違う、申し訳なさと喪失感を混ぜたような、確実に自分の中の何か大切なものが抜け落ちたような感覚、もしくは毒に蝕まれているよう

          マガジン

          マガジンをすべて見る すべて見る
          • ひとりごと
            栗井文花
          • いいたいこと
            栗井文花
          • ふぃくしょん
            栗井文花

          記事

          記事をすべて見る すべて見る

            死生活

            ミスiDから1週間、私は穏やかな興奮状態にあった。変わり映えのない日々も家に引きこもる生活もずっとそれは1年前から変わりないのだけど、気持ちは前を向いていた。 何かしたい気持ちに溢れていた。あぁこれはいい。鬱はもう治るんだろう、連れ添ってきた鬱もミスiDも、この1年は通過儀礼だったのだ。むくむくと湧く元気とともにそう感じていた。だけどやっぱり長くは続かなかった。木曜日、金曜日、と日が進むごと、確実に何かが薄まっていくのを感じていた。代わりにやはり黒い影が、肺の辺りを侵食して

            みえるものしかほめられない

            りすとかっと、 その言葉をツイッターの検索タブに入力した日があった その先には私の英知を越えたせかいが、という話はあまりしたくない 世の中では目に見えるものしか判断されない.  こんなだったけどここまでかわいくなったよ、太ってたけど私こんなに痩せたよ、虐められてたけど 今こうして輝いてます、 好きでしょそういうの、目に見えるから. 努力した人も努力本体も否定するつもりはないけれど、目に見えてすごいものって当たり前にすごいじゃん、そんなすごいものをすごいって言うことなんかす

            好きとは愛とは恋愛とは、について

            恋愛感情を持って好きになる相手の特徴ってなんですか 恋愛感情を抱く相手に求めるものってなんですか 一緒にいて楽しい、困ったときにそばにいてくれる 頼れる分類の相手なら恋人でなくてもいいはずだし ではそれは私にとって恋人に求めることではないんだと思う ならばどんな人が好きかと考える 私は弱さと強さを表裏一体で持ち合わせているような 人間味のある人が好きだ その人なりの苦しみや葛藤があって、そんな自分の弱さを受け入れる強さがある人、そんな自分を一生抱えて生きいてく覚悟のある人

            消化と昇華、埋葬。

            序抽象的な質問が嫌いだ。 これについてどう思いますか、この間のイベントはどうでしたか、最近どう、という質問の意図が読み取れない質問。 私の個人的な感想が求められているのか、説明的解説を求められているのか、そもそも大して興味がないのか、 質問の背景を明確にしてくれないと、さ。 きっと人の求めることがわからないのが私にとって人間関係も今の活動も問題なんだろうけど。 みすiDここまできてどう、2020どうだった、という会話だって 言いたいこと?誰に言いたいこと?環境の変化のこと?

            夢と幸福のはなし-凶器は壊れた黒の叫び

            「ねぇ、マナちゃん。夢と幸福が矛盾したとき、どちらを追いかけるべきなの?」 理想のために傷つくことができますか。 理想に向かって走ることで 傷ついてぼろぼろになる大切な人を見て、あなたならどうやって手を差し伸べますか。 彼女の理想を壊すことも、傷つき続ける彼女を見守ることも、どっちも耐えられない。 だけどたぶん正確には、道はこのどちらかしかない。 私は選べなくて、最終的には自分を壊してしまうだろうと思った。 この物語に触れると、苦しむ姿が美しいとか、健気な姿が美しいとか、

            四月になれば彼女は。

            人は孤独だ。 この世に生まれて生きて、世界に馴染んで流されて、それでも孤独だ。 愛を求めて、それでいてどこまでも愛することができない。 そんな中を進んで、逃げながら進んで、孤独に進むしかない。 そうして生きている瞬間が、時々誰かと重なるだけ。 愛を必然とか運命とか、そんな綺麗な言葉で形容してもいいかもしれないけれど、本質はそんな美しいものでもなくて。 本当に、ただお互いの一瞬が重なった、それだけ。 ほんとは誰でもいいのかもしれない。そんなもの。 出会いうる人にしか出会わない

            恋に至る病

            150人を自殺に追い込んだ女の子の話。 「彼女は誰一人として愛さなかった化物か、ただ一人だけは愛した化物かの物語であり、夜河景そのものを謎としたミステリーです」 とあとがきにありました。 ヒントは作中に散らばっているとのことですが、判断が私たちに委ねられるのであれば、私は誰も愛さなかった、完全な悪で貫き通してほしいと思う。大量の人を自殺に追い込むまで狂ってしまった人間でも、たった一人は愛していた、人間の心は持っていたんだ、なんて美談で終わってしまったら、あまりにも救いようが

            どうしても生きてる

            朝井リョウさんの「どうしても生きてる」を読みました。 6編からなる短編小説です。短編小説と言うには壮大すぎるほどの、どうしようもなく生かされている6つの、いやそれ以上の人生たちです。 その人生のそれぞれについて 私の中で浮かんだことを。 1、健やかな論理  再配達を頼んだ人間は自殺をしないのか。違和感なく存在する論理を嫌う狂気。世の中は矛盾こそが美しい。(ただ、意図された、美しさのために計算された矛盾は美しくないとおもう。) 大きなきっかけがなくても、まあいっか、とすべてを

            私が大好きな小説家を殺すまで、読了

            自分をどん底から救ってくれた人、大好きで憧れて、尊敬して崇めている相手が朽ちてゆく姿を見て、私は耐えられるだろうか。何かしたい、自分の無力さと相まって心を痛めるばかり、になるだろう。 純粋で誠実だったはずの愛と祈り、期待と信頼は呪いに姿を化えて、相手の崩壊を助けていくばかりになるでしょう。そんなお話です。 努力で守ってきた自分の大切なものが、只の才能に喰われていく感覚。お互いがお互いを殺した。だけど人と人のすれ違いの物語、なんて陳腐な表現では間に合わないくらい、神聖な2人

            普通に生きたくて必死に生きている私が、これから生きていく為のことば

            物語に関わって生きていくこと、それが私のゆめ。 物語は誰かの人生であり、物語に関わることは誰かの人生に関わるということである。 その物語は人が作り出したフィクションかもしれないし、誰かの生きざまになるものかもしれない。ストーリーに関わることで誰か、特に生きづらいと感じている人たちの世界や選択肢を広げるきっかけになりたい、少し世界が明るく見えるような、そんなきっかけになりたいと思っていた。 わたしみたいに生きづらい思いをする人が少しでも少なくなればいいと思った、そうすれば私も救

            怒るおじいさん

            周りに大声で当たっていたおじいさんを見て、何故か泣いてしまいそうになったこと、を思い出した。 あのおじいさんはどうして怒っていたのだろう、 怒りに任せ、言葉をぶつけることしかできなかったのかもしれない。 それでも、言葉にする、思いを吐き出す、という行為は綺麗なものに見えてしまう。 何を言っても、どう伝えようとも、届かないことがある、分かり合えないことがある。 誰に対してもひどく気を遣う、という話をしたことがあります。 話した相手は、私が気を遣わずに人と関われる方法を懸命

            ”どうしても”得たものはあった

            今日は文花としてではなく、私としての、感想文です。 とあるビューティーコンテストの予選に出た話。 過去、ミスコンを変えたくて挑戦したと言った先輩がいました。 強さも正論も美しさも、人を押さえつけるものであってはならない。私も思う。 だからそこに潰されない私でいるために、私は私を貫くために、受け入れられないことに遭遇すると、多分みんなの中で嫌な態度をとったこともありました。 どんな言葉も、説得力がないと届かないのだと。 その説得力とは、圧倒的な美しさであることで、グランプリ