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月報、というには余りあるもの

久しぶりに文章を書きました、
ずっと書いていなかった

外の世界に目を向ける以上に、自分の内側に触れることをずっとずっと拒絶していたから
どんな自分もどんな感情も取りこぼさないようにと今まで必死に大切に紡いでいたものを、自分で指の隙間からぼろぼろと零してぐちゃぐちゃにしたくせに、今更またかき集めてくっつけようとするなんて、とても滑稽だったから

でもまた最近心が文章として浮かんでくるようになって、なんだかまた文字に起こしたいのかもしれないなとおもって、少し委ねてみることにしました

みたいなことで、月報を書くことにしました
勿論3月にはもう書く気がなくなっているかもしれないし、書くためにメモしたり綺麗な文章にしようとしたりなんてしたらそれこそ気持ちが悪いので、月報(2月の徒然)を書くことにしました


しにたい日々は続いています
生きるために自分を殺しているような日々です
でも、しにたいと思うことは減りました
どうせしねなくて生きなきゃいけなくて仕方ないから、何もしなくても生きられるようになってしまったから、何かしようかなと思うようになりました

相変わらず諦めという概念を奪われて自死するしかなかった人の話と、自分を救い続ける少女にお前がいるせいで死ねないと少女を殺す話とお前のその楽観主義の皮を被った悲観主義が気持ち悪くて大嫌いだと吐き捨てられる話が好きです
人生コスメならぬ人生小説というやつだ

久しぶりに映画をみました、みれるようになりました
ちひろさんも公開でしたねという話はしたかったけど3月になってしまったのでまたいつか、長くないけど深くなるので

ひとに会いたいとも思うようになりました
文章を書こうとしたのは、ひとに会うことを考えたからだとおもう

人に会うのがこわい
栗井の中には皆が見えているような栗井はいないから
自分の言葉が出ない
つまらない人間だとばれるのを恐れている
というより、期待させた栗井と会わせられないことに対する罪悪感がずっとつきまとっている

自分にないものを他人に求めるなという話と人は自分と違うものを持つ人に惹かれるという話はいつも共存しますよね、どちらが健全なんでしょうか

一緒に踊りたいと思っていた女の子はアイドルになりました

誰の期待にも応えるな、そこはまだ地獄だからと
綺麗で無責任な言葉を私に吐いた人間みたいな大人のことを思い出しました

そんな今月(先月)、

 相変わらず諦めを奪われて自死した人の話と自分を救い続ける殺す話と楽観主義の皮を被った悲観主義の人間の話が好きです

けれど4つめに好きなのは、2人の男子中学生が出会い、でこぼこを埋め合って特別な世界ができて、そんな自分たちだけの特別な世界を冒険する、小学生向けのあのお話です。

ありがとうございます。貴方になにか届いたのなら、それで幸せです。