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死生活

或る賞レースから1週間、私は穏やかな興奮状態にあった。変わり映えのない日々も家に引きこもる生活もずっとそれは1年前から変わりないのだけど、気持ちは前を向いていた。

何かしたい気持ちに溢れていた。あぁこれはいい。鬱はもう治るんだろう、連れ添ってきた鬱もミスiDも、この1年は通過儀礼だったのだ。むくむくと湧く元気とともにそう感じていた。だけどやっぱり長くは続かなかった。木曜日、金曜日、と日が進むごと、確実に何かが薄まっていくのを感じていた。代わりにやはり黒い影が、肺の辺りを侵食していた。

鬱は治らない、
鬱になってから、鬱に対してアンテナが張ってから何度も目にしたこと。今私がだいぶ元気、なのはきっと一時的な麻薬のような興奮の余韻のようなものなのだろう。だけどそういうものが私には、少なくとも今の私には必要で、そんなもので日々を繋いでいくようなことが私の生き方なのかもしれないと同時に思う。望みもしない刺激をただ求めているしかないのだ。

このままの今の生活が嫌だなんて私が1番思ってる。本当に本当に私はただ普通に働いて自分の好きなものを集めて愛でて生きたかっただけなのに。私だけどうしてうまく生きられないのといつも思う。勿論私だけではないことなんてわかってる、なんなら幾分か恵まれているのかもしれない。生きづらいなんて言葉を簡単に蔓延させてしまう世界も嫌いだ。

今の生活が嫌だからといってももう私はかつての私になりたいわけではないし(今までの生き方で鬱になったんだから)、元気になったらはい外に出ようね、なんて、社会に戻ることを目的にさせられるなら私が元気になる意味はないんじゃないか。

社会に出るその先の何かが輝いていないから、私はまだ外に出られないし今でも形もなく消えてしまいたい。それすらもきっと傲慢なのだろうと、ずっと自分を責め続ける毎日。

おかえり。





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