みつきぶりの月報

赦されたくて生きている、
罰かのような気持ちで生かされているとでも言いたげな
生きているというにもおこがましいほど、ただ意識だけがここに置かれている。

今までの私を作ってきたもの、そんなものになんでもなかったような顔をして笑って幸せに生きることが世界への復讐だなんて、ぎらついていたこともあったのだけど
ここに存在する肉体と魂はとにかくとくとくとすべてが希薄である。

言葉が頭と思考を覆いつくすような感覚がほとんどなくなってしまった。
というより、イヤーワームのように頭に言葉が停滞し飽和するような現象にほぼ遭遇しなくなった、陥らなくなった。
それは歳故に感覚が鈍くなってしまったからなのか、私が私の中の大切にすべき何かを知らぬ間に後回しにしてしまったせいなのか。あの時間だけが私を感じられる時間だったのに。
自分の中のおおきなメモリがごっそりと抜けてしまった気分だ。
今だって、文章を出力することがかなり苦痛である。

心の旅を人生の指針としている私が、その精神世界で息をすることはもうかなわないのだろうか。そう思っていた。



ところで、先日3日間、東京に行きました、
"ひとに会う”ために東京に行きました。
たくさんの予定を入れて、たくさんの人に会いました。
ぷろおごのバーにもなんかせっかくだから行きました。

今までの私のエネルギーでは考えられないくらい、
ほんとうにたくさんのひとに会いました。

そこで気づいたことがありました。
私はちゃんと目の前の人と関わりたいと思っているのだということ。
まだ普通の会話も距離の詰め方もわからないけれど、ちゃんと目の前の人のことを知りたいと思っているのだということ。

私は、現実世界を生きようとしているのではなかろうか。
自分が存在し認知する狭い世界とは裏腹に、どこまでも広くなってしまった精神世界から外に出て、自分の身で物事を体験して、自分の目で見て、たくさん考えて。
そうやって現実世界で私を生きる準備を自分の中の何かがさせているのではないだろうか。

メモリはごっそり抜けたままで、自分の中は空っぽ同然なのだけれど、外に向き始めたこの心のアンテナに少し従っていたいと思う。

だって本当は、フィクションに浸って精神世界に閉じこもることが心の旅ではないと知っていたから。
世界を見て、人を知って、知らないこと体験して、そうやってたくさんの感情や心の動きを知ることが私の望んだ心の旅だってこと、わかっていたから。

だから一度、空っぽなりに世界に出ることを怖がらないでいようと思う。

ゴールは違くても、その先にまた私が息ができる精神世界に出会えるような気がしているから。









■蛇足■

東京に行った3日間、とても素敵な旅でした。
たくさんの出会いがあったけれど、ぷろおごのバーで出会った女の子(スタッフさん)に、「誰もが気づかないところに気づく優しさがある」と言われたことが心に残っています。
会って数時間、しかもみんなわいわい楽しんでいるようなお酒の場で、そんな日陰のようなところに気づいてくれる人がいるなんて、多分貴女の方がとてもとても優しい心を持っているんだよって思っていました。
確かに私のことを優しいと言ってくれる私の周りの人は、心が綺麗で優しい人が多い。

と同時に、それは優しいで多くが赦される空間に私が甘えているのかもしれなくて、私には私の無自覚な優しさに全く気づくことなく、私を構成する全てをなんか私という存在として漠然と適当に認識したり認識できなかったりしてくれるような人も必要なんじゃないかと思った。
なんかうまく言えないけど。。。

そういったことも、これからいろんな人に会っていろんな人を知って、解像度を上げていくんだ~~~心の旅やるぞ~~~~



栗井


ありがとうございます。貴方になにか届いたのなら、それで幸せです。