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「普通」って……なに?

今までの人生、よく言われたんです。

「普通にして」「普通を目指して」「なんで普通にできないの」
行動、考え方、生き方、性格、人生観、結婚観について、自分で伝えた時の「普通」にしてくれ。……そう言われて、言われた人(特に親)の言う「普通」を生きていました。

今はこう思います。「普通」ってなに? どうすればいいんですが? つまり、あなたの普通を目指して生きればいいんですか? それで自分が納得のいく後悔のない人生が送れますか? 後悔した時の責任が取れますか? そもそも普通ってなんですか? 

結論、人の価値観や考え方、仕事の仕方や人生の生き方について、「普通」なんて存在しないと思います。

手元にある辞書での紹介になりますが、副詞的な用法で「関係する大多数の事例にあてはまる様子」とされ、名詞的用法では、「その類のものとしてごく平均的な水準を保っていて良くも悪くもないこと」とされています。普通という言葉自体、一定の物差しがあります。
逆に多くもののを足して合計数で割ったものは、「普通」ではなくて「平均」です。

「普通にして!」とか命令形で価値観や人生観について言ってくるのは、一定の物差しで測った一部の価値観の押し付けです。
大勢を割ったもののように見えて、大勢でも狭い世界の中での大勢。

別に誰に限ったことでもありませんが、このような例があったら、ここから出された「普通」は「普通」ではありません。平均値を取るときに、狭い世界の同じような価値観を持った人の中でしか対象としていないからです。違う世界の、自分とは違った価値観を持つ人々のことは、対象外。受け入れることなく偏見を持って話を聞くこともしない。そんな姿勢を持って狭い範囲で「普通」を語っていたら要注意です。平均でもないし普通でもない。

生まれや環境、遺伝や先天的かどうか、一人として同じ人はいません。人それぞれ価値観や考え方の物差しは違います。だからこそ、自分の「普通」を自分以外の人に押し付けるように求めるのは、相手を否定しているようなものだと思います。

コントロールされないようにして不利益を被る相手より立場の弱い存在ならば、否定されて従うしかありません。子どもだとしたら、親という養育者から見放されないように逆うことはできません。その立場をとって子どもを自分の価値観になるようコントロールする親だっています。もはやハラスメントになりかねない事態です。(もちろん子どもが客観的に見ても明らかにダメなことをしていたら、わかってもらわなければいけないんですけど。)


そもそも基準はみんな違う。普通の定義は誰かの物差しの中の平均値や価値観、目指す方向性。それは誰かの物差しである以上、みんな違うし、自分とも違う。
「普通」も場所が違えばまた違う。日本での普通と外国の普通はまた違うし、時代や世代によって違う。考えたらキリがない。
つまり普通ほど、難しい言葉はないと思います。曖昧すぎて一つに絞れない。


人の価値観や考え方、仕事の仕方や人生の生き方について、「普通」なんて存在しない概念なのかもしれませんね。

自分で書いていて頭混乱してきました。


あやさわえりこ

※写真は「多様性」で検索して、この記事にしっくりくるものを選ばせていただきました。普通なんてなくて、みんなそれぞれの色を持っているよね。

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