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創作小説『ねこじた』

ぼくが、生まれて初めて車に長い時間乗って『とうきよ』に連れてこられたとき、ぼくらは3人家族だった。

ぼくを可愛がり「ピカソ」と名付けたのはまきちゃん。まきちゃんは夜になるといなくなって朝方帰ってきた。『オネエチャン』をやっているのだそうだ。帰ってくるまきちゃんはタバコの匂いがして、ぼくはちょっと遠くに離れてた。

まきちゃんがいない間、ぼくと一緒にいてくれたのがしんちゃん。しんちゃんは『びようし』をやっているらしい。

まきちゃんとしんちゃんとぼくピカソ。完璧なトライアングルだった。しんちゃんの腕の中で眠りながら、まきちゃんがぼくの鼻とおでこの間を撫でてくれているとき、ぼくは世界一幸せなねこだった。

二人が『しきじょう』とか『しょうたいきゃく』とかを相談しているときの幸せな顔を見るのが好きだった。

あるとき、しんちゃんがしばらく帰ってこない日々が続いた。そんな夜は、大抵まきちゃんはお酒を飲んで泣いていた。

「ねぇ、ピカソ。二人家族になってもいいかな?」そういってシクシクまきちゃんは泣きだす。いつもは自由気ままなぼくも、こういうときは僕のかわいいお尻をまきちゃんの右のくるぶし辺りにピッタリくっつける。

鼻とおでこの間を撫でてくれたら、自慢のザラザラの舌でまきちゃんの指を舐めてあげる。「ピカソ、ザラザラで痛いよ。」って、ちょっと笑うまきちゃんが見たいからさ。

結局、しんちゃんは戻ってこなかった。正確にはまきちゃんのいないときに一度戻ってきたけれど、それはしんちゃんのお気に入りのギターや、洋服を持ち帰りに来ただけだった。

しんちゃんの荷物がなくなって、部屋の広さが増した。ぼくは遊び場が増えて嬉しかった。だけど、まきちゃんはその空白を見つめてはため息をついたり、涙を浮かべたりした。
いつもキレイにしていたまきちゃんは、ボロボロの部屋着で顔に色を乗せない日が増えていった。お風呂に入らない日も増えて、いつものいい匂いがしなかった。

しばらくして、またぼくは長い間車に乗せられた。新しいおうちに連れてこられたんだ。窓が多くて日向ぼっこがたくさん出来る、いいおうちだった。

「ピカソ、今日から二人で楽しく暮らそうね。」とまきちゃんは、吹っ切れたようにぼくに声をかけた。新しいおうちにはしんちゃんの作った余白はない。最初は広いと思っていた部屋も、ぼくとまきちゃんの好きなもので、満ちていった。

新しいキャットタワーも買ってもらって、遠くの空を眺めることも出来たんだ。そのままカーテンレールに登っては、まきちゃんには怒られたけどね。

まきちゃんは、たまに男の人を連れて来るようになった。予告がある方が珍しくて、ぼくは玄関にいつもと違う足音が混じるたびに緊張した。

だいたいまきちゃんたちはお酒の匂いをさせて、ソファやベッドで抱き合っては、ぼくみたいに裸になってあーあー言っていた。

いつもはぼくに腕枕してくれるのに、男の人が来るとまきちゃんが腕枕されて眠った。さみしかったけれど、安心して眠るまきちゃんの顔を見てたら、ぼくは男前な雄猫なので許せた。

おひさまが登れば、男の人は帰っていった。まきちゃんはいつも「また連絡するね。」と言っていたけど、同じ人が来ることはなかった。だからまた、新しい足音がするたびに、ぼくは緊張することになった。

あるお昼のこと、おやつをもらってお昼寝をしていたら、まきちゃんが猫なで声で話しかけてきた。まさにねこを撫でながらね。「ねぇ、ピカソ。今日男の人がうちに来るの。わたしの大好きな人だから、ピカソとも仲良くして欲しいな。」

「ぼくを誰だと思ってるの?男前な雄猫ピカソだよ?当然仲良くしてやるさ」そう思いを込めてまきちゃんの座った右の太ももあたりを頭でぐりぐりしてやった。

その晩、玄関の外から新しい足音。でも今回は予告ありだったからちょっとしか緊張しなかった。ぼくは男前な雄猫だからね。

「ただいまー!ピカソ帰ったよー!」いつもよりワントーン高い声でまきちゃんがぼくを呼ぶ。まきちゃん一人なら玄関でお迎えするところだけど、今日はいつもとは違う。玄関から少し離れた場所からにゃーんと返事する。言っておくけど別に怖いわけじゃない。

二人は軽いおしゃべりをして、買ってきたアイスを食べたりして、やがてくっつき始めた。まきちゃんはぼくにするみたいに、そいつの口に優しくキスをした。

そいつとまきちゃんは、やっぱりぼくみたいに裸になって、ベッドであーあー言い始めた。ただいつもと違ったのは、ひとしきり熱戦が終わった頃、ぼくがそいつにスリスリしてやったことだ。

まきちゃんはとても嬉しそうだった。ぼくだって、空気の読める猫だ。いつもは読んだ上で行動しないだけで、まきちゃんがして欲しいことはいつもわかってるんだ。

おひさまが昇ってからも、しばらくそいつはうちにいて、まきちゃんは嬉しそうに朝ごはんを作っていた。いつもこの時間は眠ってるくせに!朝ごはんなんて食べないくせに!


それから、たまにまきちゃんは朝帰りをした。帰ってくるとアイツの匂いがしたし、まきちゃんは幸せそうだった。朝帰りをするかもしれない日はちゃんと申告するし、夜ご飯も多めに出してくれた。

ぼくが大事なまきちゃんの時計を壊してしまっても、「わたしも帰って来られない日もあって迷惑かけてるしね。」と許してくれた。ぼくもまきちゃんもお互いに幸せだった。

そんなまきちゃんの様子が変わったのは、1ヶ月後のことだった。まきちゃんは『すまほ』を見てはため息をついていた。

「ねぇ、ピカソ。彼氏が出来れば幸せになれると思ったんだけどなぁ。」とまきちゃんは少し寂しげに笑った。たまにアイツの匂いをつけてまきちゃんは帰ってくる。それでも、まきちゃんは寂しそうだった。アイツは『あいてぃーのひと』で忙しいらしい。

まきちゃんはもう『オネエチャン』ではなくなって、『ふりいらんす』になって、夜出かけてタバコの匂いと一緒に帰って来ないし、ずっと家でぼくといてくれた。でも、時間もエネルギーも有り余っているようだった。ねこの目から見ればわかる。まきちゃんは稀に見る熱量を持ち合わせた人だった。

アイツはまきちゃんのその熱量を受け止めきれるほどの器が、まだ育っていないんだ。ねこの目からみれば、そんなこと火を見るより明らかだ。でも、まきちゃんはわからなかったみたいなんだ。

しばらく、まきちゃんのため息の日々は続いた。それでも、たまにアイツの匂いをつけてまきちゃんは帰ってきた。

ある朝、久しぶりにまきちゃんが朝帰りした。予告なしのやつだ。帰ってきたまきちゃんはご機嫌だった。初めて嗅ぐシャンプーの香りがした。

また、別の日の朝も、予告なしの朝帰り。今度は知らない部屋の匂いと一緒にまきちゃんは帰ってきた。

それでいて時々、アイツの匂いもつけて帰ってきた。まきちゃんは前と変わらず幸せそうだった。

「あのね、ピカソ。わたし今、幸せなんだ。きっと間違ってるけど。でも、これがわたしの幸せみたい。」と、ある夜、腕枕しながらまきちゃんはぼくに呟いた。

まきちゃん、ぼくは正しいとか間違っているとかはわからないし、興味がないけど、君が幸せってぼくに言ってくれれば、ぼくも幸せなんだ。

そうやってかっこよく言いたかったけど、僕は男前の雄猫だからまきちゃんの喉のあたりを自慢の舌で舐めて、「ピカソ、ザラザラで痛いよ。」って、まきちゃんをちょっと笑わせてあげたんだ。


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