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母の伝説✧♡

 先日、自由人の自由詩に投稿し忘れた短歌がある。

お彼岸の月命日も忘れてる彼岸団子は忘れないけど

あやのん

 お彼岸に墓参りもしなかったし、お彼岸に含まれていた母の月命日さえ、思い出しもしなかった。
 しかし、彼岸団子は道の駅で見つけて買って、黒帯と食べた。甘いものがすきなところは、ちゃんと母のDNAを受け継いでいる。でも、仏様を大事にしていないところは似ていない。母の仏前にあげるとかすればよかったと反省している。きっとあと3年もしたら命日は忘れてしまい、母の誕生日しか覚えていないかも。
 命日に関係なく、思い出した時に、母にアクセスしていると思って生きているのだ。
 きっと母はそれでいいよと笑ってくれそうだ。
 生きてるものを先にしなさい、そんな口癖もあった。

 母は2022年の8月に95歳で亡くなって、2年も経っていないから、いつも思い出していると言っていい。母は甘いものが好きだった。

 弘前は、美味しい和菓子屋が多い。
 どこそこのそば餅、どこそこの最中、と親子3人で和菓子を買ってきては、お茶タイムがあった。
 お湯を沸かしてお茶が入る前に、母は、お菓子を一つ、ぺろっと食べる。
 速い。
 私と姉はお茶が入るのを待ってから(3人のうちの誰かが淹れていた)食べるのに、母はそんなふうだから、一度にぺろっと3個ぐらい和菓子を食べるのは朝飯前だった。甘いものへの手の速さは、どんなに年をとっても変わらなかった。誰よりも速かった。
 
 甘みの足りないものを食べると、
「ああ、これは砂糖屋の前をはっけだ味だ」と言った。
 はっけだというのは、走ったと言う意味。砂糖屋の前は走って通り過ぎたから甘くないと言うことだ。

 甘いものが好きだった。
 そしてその結果、糖尿病だったが、
「私はこの病気があるから気をつけて長生きしているの。病気の無い人は先にどんどん死んでいく」と言っていた。

 玄関に卵売りのお婆さんが来ると卵を100個買っていたし、作った小さな草鞋とか工芸的な小物も、話を聞いて同情しているうちに買っていた。お人好しだった。きっとおばあさんたちのお人よし顧客リストに載っていたかもしれない。

 そんな母には伝説があった。

 羊羹を100本買って、押し入れに入れて、一日一本ずつ食べていた、という伝説が。

 その話が出ると、母はクククと腹を抱えて笑っていたので、本当の話なのか、今となってはわからない。
 しかし、私と姉は、その伝説を信じていた。正確に言うと、今も信じていると言っていい。

 仕事を辞めて、秋田に嫁いで嫁になっていたのに、父が肺結核で亡くなった。父の兄弟たちが、オヤジの財産が、長男亡き後の嫁や子供にいくのは面白くないと言われるのを見て、こんなところで子供を育ててはマズイ!と、嫁いだ家を小さな子供2人を抱えて出て、青森県に帰って来た。教師に復職して、私と姉を育て、大学まで出した。
 母が頼れるはずの祖父母も早くこの世を去っていたし、夫も亡くなっている。頼れない人が誰もいないところで、働く母のことだ。
 羊羹を一日一本食べなければ、やっていられないことがあったのだろう。
 それは一日羊羹一本分のエネルギーを必要としたのではないか?
と子供心ながらに、納得していた。

 最近、そのことを思い出し、その話は本当なのか?気になってきた。
 昨日、大鰐町にある「石の塔見ねうぢ、でっけごど、しゃべらいねぞ」という話を投稿したせいもある。
 ちゃかしでもつけの母の作り話だったりは、しないのだろうか。
 いや、まずこの話が本当だとしよう。
 いったいそれはどこの菓子屋の羊羹だったの?

 弘前の、世が世であれば我々庶民の口には入らない殿様への献上品の大阪屋の羊羹?それとも、もっと安価なリーズブナルな羊羹だったのだろうか?

 大阪屋の羊羹の1本の値段をためしに調べてみる。
 ちゃんとした情報が見つからないが(どうやら本店のHPは無い)誰かのブログの1本、もっともオーソドックスな練り羊羹の値段は1000円ぐらいだった。

 1000円×100本=10万円

 むむむ、母が100本買った時はもっと安い値段だったろうが、10万円も出して、100本も買うかな?( ´艸`)一度に。

 大阪屋の羊羹、100本。ずっしり重いぞ?
 どうやって運んだ?

 考えれば考える程、なんだか嘘のような気がしてきた。
 生きているうちに聞いておけばよかった、と思う夜である。

 今晩、夢の中で、母に聞こう✧♡











 
 

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