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退職の練習㉔ときめきの片付け祭りⅣ~母親の呪縛

 自分の部屋のときめかない本と戦っていた。
 てか、戦わなくてもよくない?ときめかないのであれば。

 こんまりさんの指導通りじゃなく、ついつい自己流でやっていると、遠回りしているかもしれない。しかし、祭りとして連続してやるということは、ケッコウ重要な気がする。
 前回も今も、思い出の品や本と戦っていたのだが、昨日すてれなかったものが、今日は、関係なくない?と捨てれたりしていた。
 自分の中で、今日、これを捨てれたのであれば、昨日のアレ、捨てれるっしょと、自分の中に物差しが出来ているようなのだ。
 やはり、年に一度祭りをやるよりも、連続して毎日やって、終わっちゃうのもいいことだと思えてきた。

 母親が買っていた日本美術全集という凄く重たい本が出てきた。日本美術、興味があるし、前任校にもあった全集だ。
 しかし、今日、開くまで、何年も一度も、この本を見たことが無かった。
 ってか、ちょっと、子供の頃のことが思い出される。

 母親が買った美術全集が、一冊ずつ、届く。

 見る前に手を洗うんだよと言われて「は~い」と返事をして、恐る恐る美術全集を開く。メドゥーサ号の絵とか?気持ちわり~とか思って見ていた。決してそれで、大して絵画に目覚めない大笑。西洋画は別にピンと来ない。
 自分が絵を描きだしたのは、たぶん、父親が小説家で、家に自画像が在ったせいだ。パパがやるなら自分ができるだろうと思っていた。
 この日本美術全集も、いったいいつから母が買い始めたのだろう?

 母は、なんだか全集を買う人だった。

 家には西洋美術全集もあったし、日本美術全集もあった。世界の文学全集もあり、日本の文学全集もあった。私は美術、姉は国語という分野に進んだので、それぞれの教科の全集が、あった。

 でも、それを娘たちが読みたいかと言うと、それはわからない。

 なんとなく自分もこの日本美術全集が気になって、これからは西洋美術じゃなくて日本美術を勉強しなくちゃと思って母の家から持ってきたけれど、あれから、1回も開いたことあったろうか?と、疑問に思った。

 私が進んだ方面の全集を買ってくれるのは、母の愛だったかもしれない。しかし、それは今思えば余計なお世話だなと思った。
 私は、その本に責任を感じて自分の家に運んでみたのだが、やはり、1回も開かなかった。今、片付けていると、自分が欲しくて買った本でさえ、開かずにときめかなくなった本があるのだ。

 自分の部屋を見まわし、まあ、90%がときめかないかも?と思った笑。

 自分が好きだったものたちで埋め尽くされている部屋なのに。

 この部屋にいても新しい情報や、素敵なものが入ってこないのかもしれないと、ときめかないものたちを見て思った。

 自分がこれから作り出す素敵なものを置く場所が必要だ。

 ふと、母親の家を片付けたことを思い出す。
 母が倒れたから、母のいないうちにと始めたことだったが、八戸にいる自分が弘前まで通うのは結構大変なことだった。青森県の端と端である。別方向。南部と津軽。
 半年間、金曜の夜に行き、月曜の朝、仕事場に出勤ということを続けたが、その間、自分の家の掃除はできなかったし、私のダンナも、全く記憶が無いと言う。いつも週末、自分じゃなくて、親や姉の家を片付けていて、何だろうな、これと思っていたこともしばしばあった。

 その時に一つ一つ母の家の部屋を攻略していった。玄関前→玄関→応接間→仏壇の部屋というように一部屋一部屋攻略して、達成感を得ていた。
 中でも一番、キモイと思っていたのは、母の台所だった。
 母親が行かなくなってから3年ぐらいつけっぱなしの冷蔵庫に何が入っているのかも恐ろしかったが、一番、ネックだったのは、母が親戚友人からもらういろんな瓶詰類、漬物類だった。
 私の記憶では、その瓶詰類は、私の中学生ぐらいから、あった気がする。掃除しようかなと思っても、瓶詰類にぶちあたって、挫折するみたいな。
 そのすべてを片付けた時、本当に、心の底からさっぱりした。

 もう、あの、何が入っているかわからない気持ち悪いものと金輪際付き合う必要が消えたのだ。それを意識しているしないに関わらず、中学生から親片付けをした50代前半まで引きずっていたのは、すごいことだな、と片付けた時に気が付いた。

 大好きな母であったが、全くものを捨てない人だったから、親片付けの時に、母の20代の時の転勤の荷物を片付けた時に、ちょっと、殺意が湧いた笑。いいかげんにしろよ、てめ~!みたいな殺意が。

 そんな母が勝手に買った日本美術大全集から、自分は、解放されて自由になっていいな!と思った今日だった。

 だって、全くときめかないんだもん笑!

 お母さん、ありがとう!
 でも、ちょっと有難迷惑だったから笑!
 日本美術大全集、さようなら💖