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続・チョコレイト✧♡


 大学生時代、チョコレイトを互いにプレゼントし合っていた話の、ふと、その続きを思い出した。
 同級生たちの間でそんなのどかなことをしていたが、ある時、いつも彫塑の部屋で、1人卒業制作を創る伊藤先輩に、私は、何の気なしに、チョコレイトを差し出したのだ。
 その日は、折しも、バレンタインデーであったと思う。
 そして、私は、銀紙をすでにやぶった食べかけたのチョコレイトを先輩に差し出した。先輩も、チョコレイトどうですか?と気さくな感じで。

 するとチョコレイトを受け取った先輩は、

「あ・・・愛を貰ってしまった!」

 とちょっと大げさな感じで言った。

 私はそれを聞いて、ぎょっとした。先輩のことは作品を作るのにマジメそうで尊敬していたけれど、愛というほど、大それたものをプレゼントした気はなかったからだ。それは、いつもの同級生同志の、お手と甘いもの交換であった。

 でも、それを聞いて私は、背筋が伸びた。

 バレンタインデーに、贈ると、それは、愛というものに変化してしまうことに。これは、ちょっと気をつけなければならないな、と思った。
 ただ、先輩は、チャラチャラした男でもなんでもなく、自分が何気なく贈ったチョコレイトの本質を言われて、とにかくびっくりしたのだ。

 その他にも、先輩に、何かを見抜かれたことがあった。

 ある時、授業でお世話になっている彫塑の部屋を綺麗にしようかという気になって有志で、その場を掃除した。
 その時も、卒業制作で、その部屋に来た先輩に、私は得意そうに言った。

「センパイ!今日、この部屋をみんなで掃除しました♪」

 しばらく部屋を眺めた先輩は。

「掃除の仕方、知らないんだな」と一言。

 が、が、が、が~~~~~~~ん。

 物腰の優しい先輩だったけど、そんな風にはっきり言った。
 それを聞いて、得意気だった自分の、調子の良さは吹っ飛んだ。
 我々はまだまだ全然何もわかってないらしい。

 ということが、先輩の発言から、はっきりとわかった。

 そして、その伊藤先輩のことを、なんとなく、尊敬していたのは、その作品からだった。
 先輩が、卒業制作で発表した作品は、麦わら帽子の作品だった。
 麦わら帽子と言うより、かなりつばの大きな繊細な白い帽子といった作品は、細い鉄線の上にちょこんと置かれ、それが10個ぐらいあったのだろうか?その作品が縦一列に置かれた通路を、鑑賞者が、通ると、作品はゆらゆらと鑑賞者の気配で揺れるのだ。

 全く、抒情的で、素敵な作品だった。

 そんな素敵な作品を作る先輩に、自分がしてきたことと言えば、得意気に、なってもいない掃除を自慢したこと、そして、同級生にするように、自分の食べかけのチョコレイトをバレンタインデーにあげたこと、その2つしかない。

「あ・・・愛を貰ってしまった!」

 そんな風に言った先輩の言葉は私のココロに刻まれ、バレンタインデーにチョコレイトをあげることは、ただのおやつであるチョコレイトが「愛」になるんだと受け取った。

 それは、今、思い出してみても、ふざけているのでもなんでもなく、とても真摯な言葉だったのだなと思うのである。

 作品と同じく、先輩の言葉は、真摯なものだった。



                                  

本文(1300字)
 「ある男」の表紙で気に入ったアントニー・ゴームリーの彫刻をヘッダー写真に借りてみた。小説も、全く、好みだったが、この作家も、全く好きだと検索してみて思う。本文に出てきた先輩も彫刻を専攻していたから、彫刻つながりで。もしかして、私は、絵画よりも彫刻が本当は、好きだったりするかもしれない✧♡。