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なんかスキ

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よくわからないけど、スキだと直観的に感じた記事を集めてみた。  何がスキなのかは、集めているうちに気が付くかもしれない大笑。
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#読書感想文

河合隼雄先生のこと

臨床心理学といえば…河合先生の本がない… 先日、久しぶりに臨床心理士の友達に会ったとき、なにかの話のついでに、「今の心理職の中には、河合先生を知らない人もいるんだからね…」と彼女がいいました。 一瞬、虚を突かれたような感じで、私は黙り込んでしまいました。 彼女はもちろん、全く信じられないことに…というニュアンスでの発言だったのですが、私自身、自院の患者さんとの会話のなかで、心理学に興味があるという方と、どんな著書をよんでいるかというような話をしたり、誰の影響を受けている

日曜日に金曜日の本を(読書記録18)

■金曜日の本サムネイル画像は「金曜日の本」で生成AIが作成したもの。金曜日らしさとは? 今回読書記録をつけるのは、吉田篤弘著、『金曜日の本』。 こちらはエッセイ集である「金曜日の本」、短編小説「窮鼠、夜を往く」、書下ろしエッセイの「九人のおじさん」を収録した本だ。 「金曜日の本」では吉田篤弘さんの幼少期、概ね12歳頃までの記憶が語られる。親戚一同から大人しい子だったと語られる吉田さんは、本当は何を考え、どんなことをしていた子どもだったのか。 子どもの頃に流行っていた遊

【読書日記】11/18 大人の階段のぼる。「十一月の扉/高楼方子」

十一月の扉 高楼方子 著 新潮文庫 十一月荘、と名づけられた白い壁に赤い屋根の洋館。 ずんぐりした鉛筆形の看板の下げられた「文房具ラピス」で見つけたドードー鳥の細密画が型押しされたノート。 これらの道具立ては、かつての児童文学愛好家の心をそわそわと騒がせます。 中学二年生の爽子は、十一月の初め、親の転勤が決まったものの二学期が終わるまで、との約束で「十一月荘」に下宿することになりました。 約二か月の下宿生活の中で、爽子は家庭と学校を中心とした閉じた世界から一歩出た外の

アナログ派の愉しみ/本◎シートン著『ロボ、コランポーの王様』

シェイクスピア劇の 登場人物のように 『シートン動物記』という本が実在しないと知って拍子抜けしてしまうのは、わたしだけではあるまい。アーネスト・トンプソン・シートンがしたためた動物たちの物語を、戦前の日本で初めて翻訳出版するときに『ファーブル昆虫記』にならってタイトルがつけられたところ、爆発的な人気を博して定着し、やがて小学校の図書室などに常備されるようになったという。まあ、テレビがふんだんに野生動物のドキュメンタリーを流す現在にあっては、子どもだってもう思い入れがないかも

原人にだけ見える風景~梶井基次郎『檸檬』(他)

今回は、有名な『檸檬』を中心に、梶井基次郎の作品といくつかのエピソードをあわせて紹介していきます。 野性の「詩美」夜の果物屋に陳列された果物たちを、彼はこんなふうに描写します。 文庫版で10頁ほどの『檸檬』は、「私小説」とも「掌編小説」とも言えます。あるいは、「起承転結のある散文詩」というのがより具体的かも知れません。 既存のどんなジャンルも枠をも超えたエネルギーと独特な詩情が、『檸檬』には満ちあふれているのです。 この異才に対して、多くの文学者が様々な賛辞を送ってき

書くべきものを書いてしまう人たち

 この人は自分の書くべきものを書いている。そう思わせる作家がいます。作品の細部を読めば読むほど、その思いは強くなります。細部に勢いがあるのです。書くべきものを「書こうとしている」のではなく「書いてしまっている」気がしてきます。  この記事は、以下の「くり返すというよりも、くり返してしまう」の続編として書いたものです。 ◆「ワンパターン」は褒め言葉*楽曲、小説、芝居、映画、ダンス  語弊はありますが「ワンパターン」は褒め言葉だと思います。いま頭にあるのは、水戸黄門や笑点で

おだしやミックスジュースやお好み焼きやだしまき、そして、てっちり 田辺聖子『ジョゼと虎と魚たち』

かわいいという言葉に違和感を感じることやときがある。 かわいいという言葉に「対象物を下にみる」意味が時に含まれているような。 とは、ちいさきもの、みたいなところからの連想かもしれないが。 例えば「あのおじいちゃん、かわいー」とかに「ん?」ってなったりすることも少なくない。いや、悪い意味じゃなく褒め言葉やよね。でも。あ、言い方かな、それだけかな。せやな。 ほな「かわいげ」はどうだろう。 これも、上とか下とかが付いて回る? かもなあ。せやな。 なのに、なんでやろ、おせいさん、 田

アナログ派の愉しみ/本◎ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)著『怪談』

その瞬間、わが家の 表札が砕け散ったわけ 30年前の晩秋11月の午後、わたしの母は東京・小平市の自宅のトイレで倒れた。救急車で最寄りの公立病院の集中治療室(ICU)へ運ばれて、脳動脈瘤破裂によるクモ膜下出血と診断されたのち、ベッドで人工呼吸器をあてがわれたまま約2週間後、心停止に至った。享年57。 この間、脳死判定を下された母はいかにも穏やかに眠っているように見受けられたのに、若い医師が「もう脳は腐りかけているのです」と説明したものだから、家族・親族は激昂して、病院に