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闇の中で踠く時

高校時代はただ辛かったので、正直そんなに沢山の記憶がない。

ただ、周りにはかなり迷惑をかけたという自覚はある。

当時はどうしたら良いのかわからなかったのだ。


・・


結局県でトップクラスの高校には運良く合格出来た。

しかし入ってみたら、完全国公立大学主義の厳しい高校だった。

興味のない勉強だらけの生活を強いられることにストレスを抱えて、

徐々に体調を崩すようになった。


高校の推薦を蹴っていたので、水泳部に入るつもりはなかった。

入部強制だったので、体育の時間に毎回勧誘され続け、

入りたい部活のなかった私は、結局水泳部に入ることになった。


クラブチームでは謎の引き抜きでコーチを変えられてしまい、

部活でも顧問の先生の過剰な期待が重くて正直辛かったので、

好きだったはずの水泳は、ますます嫌になってしまった。

ただそれまでの積み上げがあったので、サボっても県大会では入賞出来たし、

その先の大会にもちゃんと出場は出来た。


この頃から一緒に暮らしていた曽祖母が認知症気味になり、

家庭でも言い合いが頻繁に起こることとなる。

曽祖母っ子でもあった私には、辛くてたまらなかった。

みんな私より辛くて、不満や憤りを抱えているのは分かっていた。

見ているのも嫌で、でも何も出来ない自分は不甲斐なかった。

更には勉強のことで祖父母にまでうるさく言われ、うんざりした。

本当に家にいるのが苦痛で、あまり部屋から出なかった。


その代わりに、逃げるように夜遊びをするようになった。

そしてこの頃からギャルになっていった。


当時まだ自撮りをする人はいなかったが、自撮りをしてメイクの練習をした。

ギャルメイクで違う自分になれるのがとても楽しかった。

つけまつげは上下つけて、派手な服を買いあさっていたので、

SNSでも街でも変な人まで沢山寄ってきた。

人を信じられず、適当に男の子と付き合ってはすぐ別れていた。

今思えば、生きていることをあらゆる手で実感しようともしていた。

多分、誰かに必要とされたかった。虚無感ばかりに支配された。

心配されていることもわからず、親には何故産んだのかと怒鳴ったこともある。



そんな私は受験期になると流石に夜遊びも控えた。

が、とうとうストレスのピークがきて、体調を崩してしまった。

センター試験では腹痛に耐えて朦朧としながら挑んだので、

見事にびっくりするような点数をとってしまったのである。


・・


言い訳なら何とでも出来るので、もうこれ以上の言及は控える。



そして私は一人暮らしをしたいとの思惑から、周りには無理を言って、

とりあえずで受けた公立の短大に進む。

一人暮らしが許されないとも知らずに。



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