見出し画像

インプットって気張らなくたって

毎日こうしてnoteを書き続けているからか、アウトプットの癖がついたように思う。

2019年はこのままうまくいけば、1月1日から12月31日までまるっと365日、noteを書き続けた1年間だった。いつも当たり前に書いていたけれど、改めて振り返るとすごいことをしたなぁって思う。

1年間365日の間、何かを当たり前に続けるのって、簡単なことではない。例えば毎日歯磨きをするとか、お風呂に入るとか、食事をとるとか、そういうことだったら難なくできると思う。だって、それをしないと生きていけないから。いや、別にお風呂入らなくたって生きてはいけるんだけど、でもできれば入りたいよね。それに対してnoteの更新ってさ、別にわざわざしなくても生きていけるわけ。そんな、特にやらなくてもいいことだったけれど、365日続けることができたっていうのは、誇っても良いことなのではとか思ってみたりもして。

こうして書き続けてみて、よくネタが途切れないよね、とか、書くテーマ見つからなくて悩んだりしないの?とか聞かれたりもする。でも、わたしはこの1年、そういうことには全然困った記憶がない。もしかしたら、わたしが覚えていないだけで「何書いたらいいのかわからない」って数日位なら悩んだ日もあるかもしれないけれど。でも、基本的には全然悩んだりはしていない。書きたいことはあるけれど、なんて書きだそうか、とか、どんな構成にしようか、みたいなことで悩むようなことはあるけれど。

で、どうしてネタが途切れないのかというと、まぁそもそもわたしが更新するのは日記ってこともあるから、何があったとしても、仮に何もなかったとしても、とりあえずその日の行動だったりとか考えたこととかを夜に文章にしたためれば更新はできる。


「アウトプットするためにはインプットが必要」ってわたしはすごく思っているのだけど、そのインプットって、良質であればあるほど良いものだと思う。

でも、そのインプットって、別に何も本を読むとか、どこかから情報を取ってくるとか、映画を観るとか、勉強をするとか、講演会に行くとか、そういうことに限らないと思う。
何気なく過ごしている日常だって、インプットの宝庫なんだ。「今日は特に何もない1日だった」って仮に思ったとしても、特に何もない1日なんて、実際にはあるわけがない。特に何もなくて、昨日と全く同じ1日でした、なんて、絶対にありえない。そりゃ、毎日同じ時間に起きて、身支度して、仕事に行って、返ってきてご飯食べてお風呂入って寝る、っていう一見変わらない生活だったとしても。きっと起床時間が違っているかもしれないし、通勤の電車の中で、いつもと違うことが起きている可能性だってある。仕事の内容だって昨日と全く同じなわけないはずだし(っていうか同じことしてたら仕事進んでないから普通にやばいよね)、食事だって全く同じものを食べているわけではないと思う。気温とかお天気とかだって違うはずだし、だから、全く同じ1日なんてないわけで。

だから、その自分のいつもと変わらないような日常を過ごすことだって、わたしは立派なインプットだと思っている。

その日常の中で、いかに些細な変化を見つけられるかとか、何気ない風景の中でいかに思考を巡らせることができるかとか。意識次第で、普段の日常をいくらでも良質なインプットに変える事だってできるはずで。


そんな気持ちで毎日を過ごしているから、noteのネタに困ることはほとんどない。そうして1年間を過ごしてこれたのって、なんだかちょっと誇らしい。1日も無駄にしない、濃い1年を作ってくれたのは、noteがあったからなのかな、なんて思ってみたりもして。


これからも、日々の中にたくさんの幸せだったり、ときめきだったりを見つけながら、思うままに感じたことをnoteに綴っていきたいなって思う。



今日もおつかれさまでした。





#日記 #エッセイ #ひとりごと #あやめしのひとりごと #まいにち日記部 #毎日更新倶楽部 #毎日note #毎日更新 #1000日更新 #1000日修行 #1000日チャレンジ #noteのつづけ方 #461日目

この記事が参加している募集

noteのつづけ方

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。