見出し画像

エッセイストに対する憧れと、ゆとりを持って生きること

エッセイを書いている人たちは、どうしてあんなにも些細な日常を素敵に、面白く、読み応えのある感じに切り取れるんだろう。

最近、以前の記事でも書いたさくらももこさんと星野源さんのエッセイを改めて読み直しているところなんだけれど、すごいなあという感想しか出てこない。

本当に、誰でもありそうな日常を切り取っているだけなのに、ここまで面白いというか、ついつい読んでしまうというか、そんな不思議なパワーはどこから来るのだろう。
どうして、こんなにも些細な日常を、こんなにも切り取れるんだろうって思う。というか、日常を暮らしていて、「あ、この出来事エッセイに書こう」みたいなものを思い浮かぶものなんだろうか。すごく気になる。どうしてるんだろう。

エッセイを書く方は、書くことが前提で日常を生きているのか、それとも日常の延長線上に書くことがあるのか。どんなスタンスなんだろうな。まぁ、人それぞれなんだろうけど。なんだろう。エッセイでもブログでも、みんなどうやって書く題材を決めてるんだろう。ネタ帳とか持ってるの?

わたしはいつも行きあたりばったりで、特に何を書こうって準備もないままnoteの白紙のページに向かうことが多い。むしろ最近はそういうことがほとんど。ちゃんとあらかじめこういうことを書こう!って思ってきっちり書いている人たちは本当にすごいなぁと思う。わたしなんて完全にフィーリングなんだけど。超感覚的。だから、やり方なんて他の人に説明とかできないんだよね。ほんと、なるようになると思って今もこれを書いてるんだから。

だから、わたしのこの文字の羅列のようなnoteは、毎回特にどこかのゴールに向かっているわけでもなく、何かを伝えたいわけでもなく。ただただ、文字を打ち込んでいるような感じで。でも、そうやってただただ文章を書いているだけのこの時間が、たまらなく好きだったりもして。あ、だから書くことは趣味だなんて考えになるのだけど。


あ、そうそう。そういえば今日からどうやら7月が始まったみたいなので、今月のテーマを決めてみた。

最近毎朝モーニングページを30分かけて書いているのだけど。毎朝自分の心の声というか、自分が考えていることと向き合う時間をきっちりとっているもんだから、わたしが今後どうしていきたいだとか、こんな生活を送りたいだとか、どんなスタンスで毎日暮らしたいのかとか、そういうものがより明確になってきて。

それでふっと出てきたものが、「ゆとりを持って生活する」というものだった。最近ずっと、断捨離だのミニマリストだの持たない暮らしだのていねいな暮らしだのっていうそんな感じのスタイルにすっごく憧れを抱いているというか、マイブームで。その延長線上っていうとちょっとあれなんだけど、余白みたいなものをすごく大切にしたいなと思っていて。

わたしは平成5年生まれで、正真正銘のゆとり世代。「これだからゆとりは」なんて言われたり、「ゆとりは失敗だった」なんて言われたり、あんまり「ゆとり」という言葉に対して良い印象を抱いていない世代の人も少なくはないのかもしれない。でも、生きていく上で「ゆとり」ってすごく大事だと思ってる。

別にだらけたら良いとか、さぼれば良いとかそんなことじゃなくて。なんでもぎちぎちに予定を立てすぎないだとか、ちょっと余裕を持って行動するとか。身体的にも精神的にも時間的にも金銭的にも、あらゆることに対しての「ゆとり」をしっかりと持って、心身ともに健康で過ごすこと。

前から意識していたことだけど、今月は特にそんな「ゆとり」を意識しながら生きていこうって思った。なんだか、この「ゆとり」という3文字がふっと頭に浮かんだ時に、これだな!みたいなピンときたものがあったから。


今月も、元気に楽しく幸せに、生きていられたらいいなって思う。

7月も、わたしらしくやっていこう。




今日もおつかれさまでした。




#日記 #エッセイ #ひとりごと #あやめしのひとりごと #まいにち日記部 #どっころまいにち日記部 #今日のあのね #dotcolony #毎日更新 #毎日note #毎日更新倶楽部 #280日目

サポートいただいた分は、なんだかちょっとときめくものとか、心がうきうきするもののために使わせて頂きます。それをまた、noteに書いてみなさんにお裾分けできればいいなって思ってます。読んでくださってありがとうございます。