自分の感情に蓋をしたくなくて、毎日noteを書いている
自分のその時思ったことや考えたこと、気づいたことを記す。
それが、わたしがこのnoteを始めてからずっと書き続けているテーマ。今現在のわたしが、何をして、どのように感じて、それに対してどう思っているのか。自分が何を考えていて、どんなことに気が付いたのか。それを、ありのままに言語化して、このアカウントに記しておく。
noteでつらつらと自分の気持ちを書き始めてから、ずっとずっと意識していることがある。
それは、「自分の感じた気持ちに間違いはないのだ」ということ。
性格上、わたしはどうしても正解を選びたい気持ちになってしまう。「こんな考えは間違っているのではないか」「この感想は普通ではないのではないか」。正解・不正解なんて、誰が判断しているか分からないものを気にしたり、普通なんて、一体どこの基準の何なのかよく分からないものにこだわってみたり。でも、一般的に正解だと言われているものを選べば、少なくとも失敗はしない気がして。普通と言われるメジャーな道を進めば、恥をかくようなこともない気がして。
そうして、正解や普通を気にして、自分の本当に抱いた気持ちに対して見て見ぬフリをしていた時もあった。
だけど、それではだめだと思った。自分の本音に蓋をし続けていれば、いずれどこかでほころびが生じてしまう。「本当はこう思っているのに」という、その「本当は」が、見えなくなってしまう。そして、いつの間にか自分の首を絞めてしまう。
わたしはかつて、自分の気持ちに色んなものが追い付いてこなくって、メンタルダウンして休職した過去がある。その時に思った。
もうこれ以上、自分の気持ちに蓋をしてはいけない。
正解や普通を求めるのではなく、自分が感じたものを大切にしよう。
わたしがnoteで文章を綴り始めたのは、自分が何をして、それに何を感じたのか、ありのままに記録しようと思ったから。嘘偽りのない今の自分を、ちゃんと吐き出しておく場所を作りたいと思ったから。自分の気持ちを書くことで、きちんとアウトプットすることで、わたしの心の内に思っていたことが昇華されるような気がしたから。
自分が感じたことに、間違いなんてない。
昨日のわたしの考えと、今日のわたしの考えはちがうかもしれない。今日のわたしの考えと、明日のわたしの考えもちがうかもしれない。でも、それでいいのだ。10年前に考えていたことと、今考えていることは全然ちがう。きっと、今考えていることと10年後考えていることも全然ちがう。現に、このnoteの初期の頃の記事を読み返してみると、やっぱり今のわたしとは全然異なる考え方を持っている。
人間は変化する生き物なのだ。考えだって、その時の自分がおかれている状況や環境で、いくらだって変わる。でも、自分は常にその時々の精一杯で生きている。だから、何も間違っていない。
今のわたしの等身大は、何も間違っていない。だから、ありのままの気持ちを日々記しておく。
そんな気持ちで毎日書いている。気が付けば、そんな毎日更新ももうすぐ6年が経とうとしている。
たくさん考え方が変わった。価値観も変わった。過去のnoteを読み返すと「そういえばあの時こんなこと考えてたよな~」と思い出せて、とても面白い。
今を精一杯生きているわたしの等身大の文章は、何も間違っていない。だからわたしはこれからも、自信を持って今のわたしを書き綴っていく。