あやこはん日和

裁判傍聴、ラジオ視聴(AM1008) 、お笑い観覧、食べ歩き、いろんなバイトをやって…

あやこはん日和

裁判傍聴、ラジオ視聴(AM1008) 、お笑い観覧、食べ歩き、いろんなバイトをやってみる事などを趣味としています。主に飲食業、万引きGメン、セレモニースタッフ。バイトで感じた事、裁判傍聴記録などを残せたら、とnoteを始めてみます。

最近の記事

裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ⑥ 弁護人 最終弁論

(裁判傍聴の内容を忠実に再現しておりますので生々しい表現があります。) 2015年6月18日(木) 弁護人最終弁論 3年前の6月10日、二人の尊い命が突然奪われました。 その理不尽さは到底言葉に表せません。 永遠の別れを家族に告げることもできなかった。 この痛ましい事件を 私達は社会の一員として受け止めなければなりません。 社会の中で誰かが礒飛さんに対してどんな刑を与えるのか決めなければなりません。 今回は、まったく無作為に抽出された一般市民である裁判員の皆さん。

    • 裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ⑤ 検察 論告弁論及び求刑 ・遺族弁護士の主張

      (傍聴の内容を忠実に再現しておりますので、生々しい描写があります。) 2015年 6月18日 検察 論告弁論及び求刑 被告人、礒飛京三にいかなる刑罰を課すべきか、検察側で結論を出しました。 結論 求刑 死刑に処すが相当 犯行罪質と結果 犯行態様 遺族の被害感情 社会への影響 全てが悪質で残虐である。 無関係で落ち度のない二人の尊い命を奪っている。 肉体的苦痛はもちろん、精神的苦痛 恐怖 無理矢理人生を終えさせられる絶望 それらは計り知れない。 南野さんを18ヶ所

      • 裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ④被害者遺族の意見陳述

        (裁判傍聴の内容を忠実に再現しておりますので、生々しい描写があります。) (書き起こしの為の手元資料にある句読点や、語尾の「!」「?」『しばらく嗚咽される』『しばらく泣き伏される』『被告人に向かいゆっくりと』のメモは私の主観要素がある部分を省きました。) 2015年6月16日 南野浩二さんより 礒飛京三被告及び法廷へ 私は かねてより 息子 南野信吾には 人様には迷惑をかけるな もちろん暴力を振るってはならないと伝えてきました 事件から三年 あなたは拘置所にはいます

        • 裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ③被害者の証人尋問

          (裁判記録を忠実に記載いたしますので生々しい描写があります。) 被害者証人 丹まさきさん 被害者佐々木トシさんの長男 佐々木トシさんは北海道出身。 息子、丹まさきさんが3歳の時に離婚。 経済的理由からまさきさんを引き取ることが出来ずに丹さんは元夫の母親の養子として離れ離れになった。 知り合いの話では、佐々木さんはいつも息子の話ばかり。 「まさきはどうしてるかな。」 実の母として再会出来たのが10年前。 「本当の親子だけど、これからは本当に本当の親子になろうね。」

        裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ⑥ 弁護人 最終弁論

          裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ②磯飛京三の生い立ち 

          1975年生まれ 当時39歳 両親、兄二人の末っ子 被告人が、5歳の時に母が病気で死去 歳の離れた兄は家を出ていたので、ほぼ父と二人暮らしの日々。 小学生時代はやんちゃで活発。 運転代行業の父は夕方から朝にかけて仕事のため不在。ずっと学校から帰宅してからは一人で過ごす日々。 中学校時代 サッカー部所属 喧嘩が多かった。 2年生の時の担任の先生が高校へは行くように勧めてくれる。 放課後時間をとってくれて「二人で話そうや」と自分の話を聞いてくれた。 弁護士「どう感じ

          裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ②磯飛京三の生い立ち 

          裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ①事件概要と冒頭陳述

          (裁判の内容をそのまま記載するので生々しい描写が多いです。) 初公判は2015年5月25日大阪地方裁判所にて一般の裁判員6名 石川恭司裁判長 他裁判官2名 検察官3名 弁護団4名。 [事件概要] 2012年6月10日(日)13時頃 磯飛被告は大阪市中央区東心斎橋路上で南野信吾さん(42)を、所持していた包丁で突然切りつけた。 倒れた南野さんは大きな声で「助けてくれ!助けてくれ!」と被告人に請うていたことが防犯カメラの映像で確認できる。 更に南野さんに馬乗りになって腹や

          裁判傍聴 2012年 心斎橋無差別殺人事件 ①事件概要と冒頭陳述

          セレモニースタッフにおいて、結局慣れることが出来なかったのは、

          結論 故人様のご遺体と業務として向き合うことに慣れることが出来なかった。 に至る。 ほんの半年前まで、故人様もお通夜もご葬儀も、ご遺族様も、生活から遠いところにあった。 しかしセレモニーに関わる回数を経て、お通夜、告別式、ご遺族様の対応に徐々に慣れ、執り行わせていただくお仕事にやり甲斐を抱いていた。 生活圏内に入ってきてくれた景色。 でも、最後まで、故人様の身支度を行う作業は先輩の側でそれを見守ることしか出来なかった。 先輩方は言う 「ここの場所に慣れていってく

          セレモニースタッフにおいて、結局慣れることが出来なかったのは、

          セレモニースタッフの過酷な業務。

          セレモニースタッフは、式典の進行やご案内以外にも、たくさんの業務がある。 まず、設営。 会場の規模はオーダーされた式典の価格によって変わり、それぞれのコースの祭壇の見本写真を見ながら、3段じゃない5段だ6段だ、と急いで創っていく。 細かい作業だけれども軍手をはめてリンゴをピカピカに磨くところから始まる。 祭壇という場所は、やがて仏様になられた故人様も安置される所なので心を込めて一つ一つ設営していかなければならない。 祭壇が出来上がったら、ホール周りの設営。 ご遺族

          セレモニースタッフの過酷な業務。

          セレモニースタッフに向いていたはずなのに。

          20代、セレモニースタッフに従事していた。 いわゆる「町の葬儀屋さん」。 私の仕事はお通夜と告別式における式典ホールスタッフであった。 通夜にて、兎にも角にもと一目散に駆けつけてくださった方々を出迎える最初の顔。 「ご焼香の最後尾はこちらとなってございます。階段に沿ってゆっくりとお進みください。」 笑顔だなんてとんでもない。 口元を引き締めて、しかし声は張る。 列の最後尾を示す。 その日は勤務して以来初めての大規模な急なお通夜であった。 大手会社のお若い故人様ほ

          セレモニースタッフに向いていたはずなのに。

          Gメンに向いちゃいない。

          仏心は捨てて検挙せよ。 これはマニュアルには無いが、指導してくれた先輩方にはハッキリと言われてきた。 万引き犯の中には貧困故に、生きる為仕方なく、という理由によるものが圧倒的に多く、中には我が子を用いて犯行に及ぶケースが後を絶たない。 そうなると、目の前に、訳もわからず万引きさせられるか弱い小さな背中があるわけだから、検挙に二の足を踏む感情がどうしても芽生えてしまう。 我が子を用いて犯行に及ぶ親側の中にはその感情に漬け込んで、平気で事を達成していく者が確かにいる。

          Gメンに向いちゃいない。

          Gメンは孤独という名の鬼に頭からガリガリかじられちゃう

          それが、5年前、万引きGメンをやってみて一番辛かった事だった。 バイトに求めるもののひとつに、 「そこが自分の居場所になる」という事がある。 Gメンにはそれが無い。 一人でシフトインして、誰にも挨拶もされず、8時間スーパーを買い物客に紛れて彷徨うのだ。 気が狂いそうになる。 違う。 店舗のチームの一員として、今日も来てくれたお得意さんと笑顔で挨拶を交わしたり、スタッフ同士でスタッフ同士にしか分かち合えないニヤニヤを共有したり、お疲れっしたー!って言い合いたい。

          Gメンは孤独という名の鬼に頭からガリガリかじられちゃう