見出し画像

02:当たり前を疑う/自己認知

ADのいないこの世界で若手クリエイターに伝えたい10の事 』の中で前半、人が判断の前提とする認知をテーマにした2つ目のnoteです。

自分が当たり前だと思っている事のいくつかが他者にとって当たり前では無い事は、出身地と異なる場所で生活し始めると方言や、地方の製品に関する知識の差で気づく事がありますね。その土地で得た経験なども含め、私達は生まれてから見聞きした全てを、物事の判断材料に使っています。その経験が人それぞれ違うのに、認識の差分確認を怠っているとユーザーさんの求めるものはもちろん、メンバー同士でも行き違いが生まれ、仕上がりがちぐはぐになっていきます。

まずは自分が当たり前だと思っている事が本当に“当たり前”の事なのかを考える癖をつけてみましょう。

 ― 
感情を引き出す要素は共通か?

例えば、人の心理に影響を与える“色”という概念すらも国によっては真逆の解釈になったりします。
結婚式で着られるハレの日の純白のウエディングドレス。その白は、国が変われば葬儀の礼服になります。当然、そこで連想される感情は全く異なる事でしょう。また、紫の様に日本に身分制度があった時代に限られた人のみが纏えた色も、その時代であれば、感情は異なるものだっただろうと想像出来ます。

多くの日本人にとっては“おいしそう”な活け造りはオーストラリアでは残酷。
日本人にとって可愛い家族のはずの犬も国が変われば食材になる。
ピースサインは侮辱と取られるかもしれない。

文化が違うんだから“当たり前”ですか?では、その認識の違いをあなたは全て知っていますか?その認識の違いは何処からが違いで何処からが共通となるか答える事が出来ますか?

グローバリゼーションの中ではこの感覚の差は少しずつ減ってきているかもしれません。一方で日本の女子高生の言葉の様に世代が変わるだけで全くわからなくなるものも生まれ続けています。私は残念ながら“ぴえん”と書かれても感情は動きません。

 ― 
同じ国の言葉でも難しい

あなたにもし、点を打って下さいとお願いしたらどうでしょうか?
手近なペンを持ち出してペン先をトン、と紙につけますか?
それはみんなが知っている「点」だと思いますか?
仮に私が、それは点ではなく、面だと言ったらどうですか?
ミクロの視点で見れば点は面になります。ではそもそも点って何なのでしょうか?
あなたが点を打って欲しいと依頼した時、その回答は果たしてあなたがイメージするものでしょうか?
これは揚げ足かもしれなしいし、様々なパターンと出会ってきた上での、正確に再現しようとする誠意かもしれない。

 ― 
“当たり前”ですれ違っていないか

あなたの“当たり前”は、意識するとしないとに関わらず社会的、文化的、歴史的な背景の影響を受けていて、作るもの、依頼するものにもそれが現れます。一方で、受け取る相手もまた異なる背景を持ち、それを元にあなたの作ったもの、依頼などを判断します。

目次のnoteでも書いた様に 「あれっぽいかっこいいやつ」 の“あれ”はそもそも他の人にとってもかっこいいのでしょうか?どのくらいの人がかっこいいと思うのでしょうか?

 ― 
 デザイナー・ADは“伝わらない”と現場で向き合っている

デザイナーは人に伝える、心を動かすと言う点について何かしらの自信、覚悟を持ちその仕事を選択した人間です。
そういう人間のほとんどが、まず最初に、作ったものに修正を入れられ、選び抜いた色を変えられ、配置を変えられ、雰囲気が合わないと言われ…とても多くの自分の基準と他者の基準の差、それを合わせる難しさと向き合っていきます。

自分でカタチにするだけでも難しいのに、ましてそれを他者に依頼し、ArtをDirectionする。“当たり前”に依存していたらとてもじゃないけど回らないのです。

 ― 
 “当たり前”の疑い方

例えば、あなたにとってのその“緑色”は、ユーザーさんにとっても“緑色”ですか?
あなたにとっての“押せる”はユーザーさんにとっての“押せる”ですか?
あなたにとっての“安い”は、ユーザーさんにとっての“安い”ですか?
あなたにとっての“便利”はユーザーさんにとっての“便利”でしょうか?
そのユーザーさんはどんな当たり前を持つ人ですか❓

あなたがもしプランナーさんならあなたの言葉の中の形容詞を疑ってみて下さい。可愛いのに。。と言ったその可愛いは誰にとっての可愛いですか?

あなたがもしエンジニアさんなら高すぎるかもしれない自分のリテラシーを疑って見て下さい。わかるだろ。といったその機能はどんな知識があればわかるものですか?
多くのユーザーさんにとっての400 500 Errorはシンプルにサービスが起こした得体のしれない故障です。

そして、あなたがもし、デザイナーさんなら当然、自分のセンスを疑ってみて下さい。私たちが目指すべきものは、あなたの個人的な満足や達成感ではなく、ユーザーさんを幸せにする事です。「私のセンスがわからないやつは使わなきゃいい。」と言う方式は、ファインアートや一部のイラストレーターさん、フォトグラファーさんの仕事で、少なくともチームで取り組むインハウスデザイナーのする事ではありません。

 ― 
異なる “当たり前”同士で作る

ディレクター、エンジニア、デザイナーの様なチームの仲間が相手でも、思っていることの殆どは伝わらないのです。そして伝わらない多くの原因はお互いがお互いの“当たり前”を自分の“当たり前”と同じだと思っていることにあるのです。

あなたと完全に同じ人生を歩んだ人が他にいないように、あなたと完全に同じ見解を持つ人間など存在しません。だから、“当たり前”の基準は人によって変わります。

けれど人は(特に日本人は)それを忘れやすい。忘れて傷つく。
大学出の新卒であれば、大学に行ける経済力のある家庭で育った同年代が多い。“当たり前”を疑わずとも成り立っている様に感じる空間が勘違いをさせる。会社という塊も同様にバイアスを生む。

その“当たり前”と異なる世界で育った人の方が本当は多いのです。

そう思って見た時にあなたのユーザさんにとっての“当たり前”を正確に描く事が出来ますか?そして、ユーザーさんの “当たり前”でみた時にあなたのサービスはそれに応えているでしょうか?

まずは、あなたの“当たり前”を疑うことから始めて見て下さい。

 ― 
 次回のお知らせ

次回はここで記載した“当たり前”の差分を元にどうやって見極め、つくる時の基準にするかをお伝えしようと思います。

このnoteは下記のリンク先でインデックスしています。
ADのいないこの世界で若手クリエイターに伝えたい10の事
少なくともあと、8本書くので良かったらお付き合い下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?