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キリング・ミー・ソフトリー【小説】04_幻のチケット

彼らは春に解散するロックバンド。
インディーズ界隈ではそこそこの知名度を誇るも、ヒットソングを産まずに去っていく。
メンバーが兄の通っていた高校出身という縁もあり自分は幸運なことに、ほぼ結成時からライブを観てきた。


最後に各都道府県を周る中で、〈原点の地〉のみキャパシティ200名にも満たないライブハウスで行われる。
メンバーがチビ、と可愛がった子供が未だにファンだとは思うまい。
何としてでも感謝の意を伝えたかった。


兄に手を引かれ彼らと出会わなければここまで音楽にのめり込んではおらず、様々な思い出が浮かんでは消え、緊張で吐き気をもよおしながらプレイガイドより届くメールを開き、〈当選〉の知らせが目に入るや否や大泣きしたのは人生で初だ。


因みにツアー最終日は東京・渋谷。
地方を訪れる必要などないではないか、わざわざ倍率を上げるな、と多少は文句をつけたい心境だがチケットが当たってしまったので仕方ない。
つまり、予想を遥かに超えた速さでLRさんと会う羽目になる。
更に、この街がよく分からないのでちょっと案内して欲しいと言われた。
お前のスマートフォンは何の為にある?勝手に地図アプリやブラウザで調べろ。
田舎の男子高校生をナメており、危機管理能力が甘過ぎる。


「食欲、なかったかしら?」
色々と頭を悩ませた末、夕飯のシチューにすら気付かず無意識で白米しか食べていない。
母が不安そうに尋ねた。
「あ、ううん。ごめんね、考え事。」
「大丈夫?」
「うん。母さんありがとう。」
人参が型抜きされており、じゃがいもや玉ねぎはきちんと染み込み、具材たっぷりでとても手間暇かけて調理されている。
母も仕事を終え、今夜は冷える筈と部屋を暖めその日に相応しいメニューを作り、家族の帰りを待ち風呂を沸かしておく。
細やかな気遣いが垣間見え、歯車の狂った関係は修復しつつあった。


要は時間が解決してくれた訳だけれど、諍いをきっかけに〈ありがとう〉〈ごめんなさい〉は勿論、気持ちを逐一、口にしようと決める。


目下、千暁なんて名前が嫌いでも歳を重ねれば好きになれるかも知れない。
苛立ちに任せ投げかけた罵詈雑言を悔やむ分、これで良かったと納得出来る瞬間が、必ず。



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