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キリング・ミー・ソフトリー【小説】01_ギター少年の憂鬱


あなたに殺されてもいいなどとうそぶく詩は理解できないけれど、あなたになら騙されても構わないと心から思う。
あの頃の自分にはそんな感情の欠片すら見当たらなかった。



朝から使い古されたフレーズをこれでもかと詰め込んだラブソングがリビングで流れている。
テレビに映るは最新のヒットチャート、よくまあ恥ずかしげもなく大声で愛を叫ぶ。
食パンを齧りながら溜息を吐くと、
千暁はこういうの聞かないわよね。
すかさず母がチャンネルを変え、気まずい沈黙が続いた。
父さえいれば冗談の1つや2つで場を和ませてくれるのに、父は市街地の百貨店に勤めており土曜でもパリッとしたスーツ姿で颯爽と出かけて行く。
やむを得ず逃げるようにして自室へ戻る。


広瀬千暁(ひろせちあき)、高校3年生。
こんな名前、大嫌いだった。
幼少期よりいじめっ子達がチアキちゃーんと揶揄い、名簿などで女だと決めつけられては一方的に期待、勘違いされる。
他人のガッカリした表情にもう飽きた。
ひいては秋生まれでもない為、いちいち由来を説明するのが面倒臭い。
10歳離れた兄が千治(ちはる)なのでその響きの可愛らしさに比べればマシ、と密かに平穏を保って生きてきた。



それがあろうことか大学の推薦入試における面接で酷く嫌な目に遭い、何故こんな名前を付けたと母に散々当たり散らしてしまった。
無事に進学先が決まろうと腹の虫が治まらず、親子としての関係に亀裂が入る。
何不自由なく裕福な家庭で育ち、せいぜい短期のアルバイトを休暇中に少々、両親をはじめ兄からも甘やかされ、だいぶ遅い反抗期?今更か。
周囲は受験一色、センター入試諸々とは無縁な自分は学校にも行き場を失い、運転免許を取得すべく教習所へ通う。


ベッドに飛び込み、イヤホンを装着する。
ノイズキャンセリングがこのどうしようもない感情ごと消してくれたら、なんて。
何年も前に解散したバンドの曲が脳天に突き刺さる。趣味の殆どは兄に影響を受けたもの。
やがてムズムズしてきて、起き上がり6歳から習っているギターにそっと触れる。
兄が吹奏楽をやっていれば、弟が楽器に憧れるのはごく当たり前の現象。
但し、導かれたのはピアノやトランペットではなかった。



いずれ兄の友人グループと連みライブハウスに足を運ぶロック少年と化し、贅沢にも県外の野外音楽フェスティバルに誘って貰ったりしていたせいなのだろうか、高校の軽音楽部は1週間で辞めた。
自分の好きな音楽と今時の高校生が好むそれがあまりに異なる(所謂、方向性の違いという代物が初めて分かった瞬間)。



以降、SNSを通じ趣味の合う友人を探す。
このままヘッドフォンアンプを付け思い切り掻き鳴らそうか否か考える最中、テーブルの上に置かれたスマートフォンが震える。
つぶやきアプリからダイレクトメッセージが1件届いたらしい。


『おはよ、仕事ホントだるい。今日も頑張ろうね!』
LR〉さん。
好きなジャンルや音楽についての捉え方が似ており、自分が本当に何気なく呟いたマイナーバンドの新譜の感想を見た彼女がこちらに声をかけてきたのをきっかけに仲良くなる。
こうして毎日やり取りを繰り返すうちに身近な存在に感じてしまっていたが、東京都在住で毎週ライブへ行くアクティブさ。



少なくとも社会人なので友人とは呼べない曖昧で不思議な間柄、SNSのフォロワーとはそういう形ではないだろうか。
単純な一言で背中を押され、身支度をし階段を降り、玄関で靴を履きつつ
「ちょっと走ってくる!」
と掃除機をかける母に一応告げた。



ここはとある港町だ。
海と山、他には何もなく、しょっちゅう知り合いに鉢合わせしてしまう世間の狭さこそあれど、電車に乗れば市街地はすぐ側。
すれ違いざま、近隣住民に何度か話しかけられながら住宅地をすり抜けて海岸通りを目指す10時過ぎ。



立ち込める冬の香り、空は清々しい程に晴れていた。やがて寒さを忘れ目的地に辿り着くと、犬の散歩をしている人がぽつぽつ現れ、そこを道沿いに進む。
身体を絞り体力をつけたい、などとは特に考えておらず、ただ10代独特のどこか満たされない物足りなさ、溜まりにたまった鬱憤を発散させる方法が他に思いつかないだけ。


ついペース配分を見誤り、疲れ切って再び自宅へ帰る前に休憩がてらテトラポットに囲まれた海浜公園に寄り、太陽に照らされてキラキラ輝く穏やかな青をただ眺める。

あの先には一体何があって、自分はどちらへ向かうべきなのだろう。



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