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本当にそれって信じられるの?
”信じたい“と人は言う
だが本当に信じているだろうか?
信じること
信じ切られるだろうか?
信じる心が失われると失われるものがあり、わたしたちは物体ではない。
信じることとは目に見えない行為である。
その行為が行動になり目に見えるようになるかもしれないが実態はない。
また人は集団の中で意識を感じとる。思っているよりも感覚や五感、六感を感じ取って生きていて、そういった心で生きているわたしたちはつまるところ物体ではないのかもしれない。
そもそもわたしたちが言う信じるってなんなんだろうか。
信じことは簡単だろうか。
信じているものってなんなんだろうか。
それは存在するのだろうか。
言葉に出すことは簡単で、ありふれた言葉がたくさんあるだろう。
そんな言葉をどれほど知っているのかと言われれば、ほとんど知らないし行動はともなわない。
そもそも言葉が何かすらも知らないのではないか。
わたしたちの口からはいったい、なにが流れ出しているのだろう?
見ているつもりで実は何も見えていないのかもしれない。
それは見ようとするからだ。
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