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チビを見てみろよ

母はいつも正しいけど、その正しさは冷たい。

先日父から連絡があった。

いとこの成人祝いで親族が集まるとのこと。

片道1.5時間ほどの移動と、

神社でご祈祷・振袖撮影。

その後は木曽路でご飯を食べる

という流れだそうだ。

生後7ヶ月の赤ちゃんを連れていけるか

確認の電話だった。
 

父は私に判断を託した。


「あーちゃん、どうする?行く?」

「うん、行きたいけど…」

わたしはいとこと仲も良かったから

心からお祝いにいきたいと思っていた。

でも授乳する場所や時間、助けが必要なことなど

様々なシチュエーションを描いて少し不安だった。

だからこそ

両親からの

「一緒に行こう」

の一言を期待してしまっていた。


しかし「期待」とは

期待が現実にならなかったときに

使う言葉のようだとすぐに感じた。

母は言う。

「やめといた方がいいんじゃない?

ほら、優くん人見知りするし、

泣いたら迷惑じゃない。」

「優くんのこと

あなた1人で見なきゃいけないってことだからね」

「行くならお祝い持ってかなきゃ行けないけど

用意できるの?」

「お祝いは、現金が一番。」

「私たちは行かなきゃいけないから、行くけど。」

と、、こんな言葉たちだった。


私の考え方が甘いのかな、なんか突き放されたように感じたのは。

赤ちゃんがいると、迷惑なのかな。

「当日一緒にいるから、何か手伝えることあればいって」

「今のうちにたくさんの人に会っておこう!」

「ぐずっても、だっこでも、みんないるから大丈夫」

「いとこちゃんが喜びそうなもの、考えておいてね」

「私たちも、一緒にお祝いしに行くね」


こんな風に言って欲しかった。

こんな風に、寄り添ってほしかった。


「一緒に行こう」と、ただ言ってほしかった。


電話を切った後のわたしは複雑で

もやもやした思いを抱えたまま

夫の布団に潜り込んだ。

黙って、静かに潜り込んだ。

夫は聞く。「どうした?」と。


一部始終を話し終えたころ

隣の部屋から優くん

がいびきをかいていることに気がつく。


夫は笑ってこう言った。

「優を見てみろよ」
「チビは楽しい時は笑って、嫌な時は大声で泣く。単純だよな。それでいいんだよな」


単純でいい。


大人になると

複雑なことを複雑な感じで考え込んでしまう。

習性なのか、なんなのか。はびっと。笑


勝手に嫌になって、

声を上げる前に、泣く前に、閉じこもる。

静かに少しずつ離れてく。


いつからだろうな、

こんな風にしか生きられなくなったのは。


いつまでだろうな、

単純に気持ちをまっすぐ表現できたのは。


でもまだ大丈夫なはず、

優を見れば、私だって…。

夫からの不意な言葉で、もやもやは少し晴れて

2人で入った布団の温かさを感じられた。

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