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心は外側に、鏡のように表れる①前編🪞✨〜生きづらさは変えられる〜

良い事もあれば悪い事もあるの繰り返しで忙しい。

でも、そんな人生が楽しかったりする。

と思えたのは本当に最近のこと。

こんにちは、こんばんは、おはようございますayaneです。

生きづらさは自分の中にあって
そのものが鏡のように外の世界に表れます。

今年の4月に適応障害のようになってしまったこと、そこから3ヶ月で変化していったことを、
今回お話します。


私は去年1年間、仕事でステップアップするためにいろんな業務を吸収して、自分なりに頑張ってきました。

いつでも戦闘態勢で
私は頑張ってる、こんなにも頑張れてると思う中で、自意識過剰になっていきました。

人に対してイライラする事も多く
他責な日々を過ごしていました。


そんな中で、
『こんな自分だといつか、いや近々痛い目に合うかもしれない。きっと今の自分では良くない。ブレーキを踏まないと』っていう心の声が聞こえてきました。

それでも傲慢に私は仕事をしていました。

そして評価の時期になり、
蓋を開けば、元の評価より下がっていたのです。

その時に、やっぱりそうだったかって思ったけれど
自分の責任じゃなく、評価をつける上司の責任だと思っていました。

本当に最低な自分でした。

そこから4月になり、
私は希望もしていない場所に異動することになりました。

なんで私が。
どういうことなのだろうと
どん底で奈落の果てに落とされた気持ちでした。

去年頑張って吸収したものが全く活かされず、
新しい上司には、この1年でステップアップは正直厳しいと言われ、頭も真っ白になりました。

私はなぜここにいて、何をやっているんだろう、、
私の存在価値はなんなのだろうと思うようになりました。

仕事を辞めたい。。
無理してでもあんなに頑張ってきたのに。
もう無理はしたくない。。
疲れてしまった。。

と、どんどん心がおかしくなり
毎日1人になれば涙が自然と出てきて
通勤中も休憩時間も家でも泣いていました。

夜は眠れないし朝起きるのも辛く、
それでも仕事に行かないとって
体と心に鞭を打ち
仕事に行きたくないと泣きじゃくりながら
化粧や髪の毛をセットしていました。

休日も家から出ることもしたくなく

出勤をすれば、周りに心配され無理しないでと言われ

その心配も自分の中ではものすごく嫌で受け付けず
ダメな自分なんかになりたくないと苦しんでいました。

そしてお母さんの誕生日に泣いて電話をかけました。
『もう無理かもしれない。お母さんには、私の気持ちなんて分からない!』とぶつけていました。

自分が死ぬ前に、一言言うとしたら
『もっとラクに生きたかった。』って言うと言ったら

お母さんは大泣きしていました。

『お母さんが、全部悪かった。ごめん』と言われ

私が大泣きしたいのに、、と思う反面

私が求めていた答えはこれではないと
自分の中で違和感がわきました。

そこで冷静になり
ここから私の心に変化が訪れていきます....

続きは次回の投稿で💓

一読していただき、ありがとうございます🤲

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