おばあちゃんのミシン
とてもとても後悔していることがある。
幼い頃、おばあちゃんの家に行くと、私の遊び場は二階の薄暗いミシン部屋だった。
狭くて薄暗い小さな空間に、大きな足踏みミシン。
小さな子どもの私には、とっても大きかったおばあちゃんのミシンは、足を伸ばして漕ぐと手元の針が上下した。
それが面白くて面白くて。
まだ私は年齢も小さくて、糸で縫うとか何も分からなかったけれど、ひたすら針だけを上下させて遊んでいた。
おばあちゃんは独身時代、女学校の家政科の先生をしていたとのことで、和裁も洋裁も得意だったらしい。
おばあちゃんの部屋の鏡台の側には、針や糸が入った入れ物があった。
そして私は、何故か裁縫関係のものがとても好きだった。
その、おばあちゃんの娘である私の母も、和裁も洋裁も得意だった。
私の服は、母の手作りが多かった。
「作って欲しい服ある?」
と母に聞かれて
「お姫様みたいに裾が広がるスカートが欲しい!」
と頼んだら、すぐに全円のスカートを作ってくれた。
くるくる回るとスカートがふわっと広がって、本当にお姫様みたいになるのが嬉しくて、履いたその場でくるくる回っていた記憶がある。
そして、その娘である私も、それほど上手ではないまでも、見様見真似で和裁も洋裁もするようになった。
元々、お裁縫に興味津々だったこともあり、わからないことは何でも母が教えてくれていたから、家庭科の被服の時間も楽しくて仕方がなかった。
中学生の頃、宿題でクッションを作るように言われたときは、ギター型のクッションを作って行ってクラスでめちゃくちゃ注目を集めたこともあった(笑)
そんな私が、今でもとても悔やんでいて忘れられないことがある。
おばあちゃんがまだ健在だった頃。
高齢で一人暮らしだったおばあちゃんの様子を見がてら、年末にひとりで遊びに行った私に、
「なんでも好きなものを持って行っていいよ。」
と、言ってきたことがあった。
いや、90歳を過ぎていたとはいえ、おばあちゃんはその時、まだまだ元気いっぱいだったので、突然そんなことを言われて、その時私は結構ビックリした。
年寄りからものを取り上げるようなことなんてできないよ!
と、心のなかで叫びながら
「有難う。でも何も要らないよ。」
と答えた。
おばあちゃんは、それでも何度も私に好きなものを持っていくように言ってくれたのだけど、あのときの私には、タオル一枚だって貰っていく気にはなれなかった。
その後、おばあちゃんが亡くなり、私の母は既に他界していたので、我が家は葬儀の後の遺品整理にも参加せず、私はただぼんやり座っていた。
そして何年も経ってから、ふと気がついた。
私は、おばあちゃんのあのミシンが欲しかった。
子どもの頃たくさん漕いで遊んだ、大きな足踏みミシン。
足で漕がなくても、右側の大きな車輪を回しても針が上下して、とても面白かった。
私は、あのミシンが欲しかった。
他にはなんにもいらないけれど、あのミシンが好きだったと、思い出したときにはもう全てが遅かった。
おばあちゃんが何かくれるといったときに、ミシンの事を思い出せなかったことを、今でもとても悔やんでいる。
あのミシンはどうなったのだろう。
遺品整理のときは、誰もミシンしかないあの小部屋を見ていなかった。
裁縫をしない人にとっては、粗大ゴミでしかないあのミシンは、廃棄処分になっただろうか。
今でも思い出す。
あのミシンが、欲しかった。
私は今、2台のミシンを持っている。
1台は刺繍ミシンだ。
だけど、電子ミシンではあの喜びが湧き上がってこない。
足で漕いだら針が上下するあの楽しさ。
たくさんの作品を生み出していたであろう、
懐かしい、
おばあちゃんのあの、足踏みミシンが欲しかったなぁ。