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そこら辺の草でも食べておく

飛行機に乗ると、最近はどんな席でもモニターがついていて、機内プログラムで映画が見られる。

国内線ではまるまる一本を見ることはできないけれど、私が常用する福岡羽田便なら往復で1作品見ることができる。

先日、大阪に向かう機内で『翔んで埼玉琵琶湖より愛を込めて』を見てしまった。
あの作品を見てから大阪に到着することの、なんたる気まずさや(笑)
そんなチョイスを気づかずにしてしまっていた自分にほっこりしながら大阪の地に降り立つ。

飛行機を眺めるハムスターの兄弟

先日、珍しく吐いてしまった。
私の胃袋は好き嫌いがはっきりして居るのか、食べてはいけないものを食べてしまった時に盛大に拒絶感を出してくる。
胃に入れることまかりならんものを食べてしまったことに気がついたのは翌朝で、吐いたけれど殆ど消化されてしまっていて、そこから苦しい時間がはじまる。

こうなるのは例外なく、ファーストフードチェーンというかファミレスというか、そういうような所で食べてしまった時で、”え?! ここもダメなの?”という、一見身体に優しそうな所にも油断がならない。今回もそうだった。

そうなったらもう、痛みが治るまでは食欲すら起きないのでひたすら眠って過ごすことになるが、身体を横たえて居ると食べてしまったまかりならんものが居座るのでそれも辛い。

座っていても辛いし横たわっても辛い。そんなひとときをなんとかやり過ごし、胃袋が少し機嫌を直し始めてくれた。

その時、私が欲したのは庭の草だった。

我が家の庭には夏になるとドクダミが鬱蒼と茂る。
春先から芽吹き出し、あっという間に大きく育つ。摘んでも摘んでもぐんぐん育つので、大量のドクダミ茶が毎年出来上がる。

普段はそんなに飲みたいとは思わないのだけれど、この時はとにかくドクダミ茶が飲みたいと思った。
そして、胃袋がそろそろ試運転を開始しようぜと誘いかけてきた時に欲したのは、白米をドクダミ茶でお粥にしたものに、庭で採れた梅の実で作った梅干しを入れたものだった。

白米こそ庭では作っていなかったが、身体が弱った時身体が欲したのはまさに、庭に生えた草や木の実だった。


友人と災害の話をした時に、自分は避難所には行かないことに決めて居ると話した。友人にはとやかく言われたが(笑)私はそんな時には救援物資など受け取らず、庭に生えて居る草でも食べて生き延びるつもりで居る。
それでダメならそこで人生を終えるのもありだと思った。
特に今からの季節はドクダミが繁茂するので、食べるものには困らない。
避難所には、助けの手が必要な人たちが駆け込めばいいと思うから。

「埼玉県人にはそこらへんの草でも食わしておけ!」

が翔んで埼玉の決め台詞で、それは貧乏くさい残念なことだと作中で描かれて居るけれど、実はそこらへんの草を食べられることは、とても幸せなことなのではないだろうかと、そこらへんに生えて居る草木に助けられた病み上がりの私の胃袋はそう主張してくる。

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