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「シザー・フレンズ・バタフライ」第一話

【あらすじ】近い未来をある程度見通すことができる、ラプラスの悪魔とも似た不思議な計算力を持つ宇佐悠理。江藤由麻は、そんな宇佐に中学時代から片思いしている。 ある日図書室で宇佐と鉢合わせた由麻。宇佐にとって由麻は、なんと「人生で見てきた中で唯一予測とは異なる行動をした人物」だった。 宇佐の同級生の自殺未遂を止める、由麻の友達の抱えていたものを吐き出させるなど、宇佐と協力して未来を変えるよう動き始めた由麻。 「自分には予測した未来を変えられない」と思い込んでいた宇佐は、次々と未来を変えていく由麻の姿を見てようやく前に進み始める。 恋が未来を変えていく、切ない片思い青春ファンタジー。


 中学一年生でヘルマン・ヘッセの車輪の下を読んでいたあの人は元気だろうか。
 図書室で見かけて興味本位で開いてみたけれど、当時は面白さが分からず数ページで読むのをやめてしまった。彼は私が今読んでようやく理解できるような代物を、すました顔して十二歳で読み切る可愛げのない同級生だった。
 フランツ・カフカの変身も、森鴎外の高瀬舟も、与謝野晶子のみだれ髪も、大して興味もないのに文学の有名どころが今でも私の部屋の本棚に並んでいるのはあの人の影響だ。

 何を考えているのか分からない彼の中身が知りたくて、彼を追うように本を読んだ。いつの間にか、私たちの学校――中高大一貫校の桜ヶ丘付属でエスカレーター式に高校進学した彼とコースが離れて、一年程が経っていた。
 私と彼の関係は中学時代の最初から最後まで他人に近いただの同級生に過ぎなかった。だから、彼に恋人ができたという噂を初めて聞いたのも、彼の元友人の友人からだ。噂の内容は不確かで、髪の長い大和撫子だとか、意外と派手めなギャルだとか、彼の恋人に関する情報は聞くたびに内容が変わっていった。

 ろくに話したことがないうえ彼の興味を引ける程の中身もない自分が彼と恋愛関係になれるなどと考えたことはなかった。そのようなことを夢見たことだってなかった。
 それでもショックだったのは、自分が確実に介入できない間柄の女性が彼にできてしまったことへの寂しさ、元から遠かった彼をより遠く感じてしまうことへの切なさがあったからだ。
 彼は昔から頭がよかった。高等部に上がる際は普通科でなく特進コースに進むであろうことは予想できていた。折角同じクラスだったのに、中学の三年間一度も自分から話しかけなかったことを酷く後悔した。

 高校二年生になる頃、付属大学の図書館の椅子で彼が何やら難しげな本を読んでいるのを偶然見かけた時は余程話しかけようと思った。そのような偶然は滅多に起きないことだと分かっていたし、今度こそ後悔をしたくなくて、どう声をかけようか迷いつつも彼を見つめていた。
 しかしその時、すらりと背の高い女性が私の横を通り過ぎていった。彼は声をかけられる前に彼女の存在に気付いて顔を上げ、分厚い本を閉じて立ち上がると、並んで外へと歩き始めた。
 その二人はどう見たってお似合いで、それこそ私の入る隙なんてなく、私はさっきまで見ていたことを悟られぬよう、言い訳するみたいに俯くことしかできなかった。
 派手なギャルなんて嘘じゃないか、と、どこへぶつけていいか分からない虚しさを覚え、噂に左右されて明るい茶色に染めた自分の髪が、どうしようもなく惨めに思えた。

 忘れもしない中二の冬。「あんた、本が好きなんだ?」と、図書室で借りた本を鞄に入れて帰ろうとする私を見て、まるで私が活字を苦手としていることを知っていたみたいに意外そうにそう聞いてきた彼のことを思い出す。
 本じゃなくてあなたが好きだったと、もう言えなくなってしまった。

 ◆ ◆ ◆

 受験は高二の夏が頑張り時だと言う。しかし、江藤由麻《えとうゆま》は中だるみを感じていた。内部生のため、エスカレーター式で付属大学に上がることができる見込みが高いからだ。
 六月下旬、じりじりと茹だるような暑さが続く。一学年で十クラスある、人数の多い桜ヶ丘大付属高等学校。そのうち由麻のクラスの教室のクーラーだけが効きが悪いと生徒の間で有名だった。

「あつぅい。マジ最悪ぅ」

 由麻のクラスメイトの吉澤茜《よしざわあかね》が机に突っ伏して生暖かい室内の温度に文句を言う。
 昼休み、由麻はいつも中等部から仲の良い茜と二人で机を合わせてお弁当を食べる。が、最近はそうもいかなくなってきていた。猛暑が続き、先生も対応するとは言っているが、クーラーはなかなか新しくならない。もはや窓を開けた方が涼しいのか、窓際の生徒が窓を開けているのが見えた。

「ほんとにまだ六月? 異常気象だよ、異常気象」

 赤色の下敷きでぱたぱたと自分に風を送りながら、茜が大きな溜め息をつく。

「食堂の方が涼しいよ、食堂行こうよ」

 茜に誘われるまま、由麻はお弁当袋を持って教室を出た。

「あそこにいるの長瀬くんじゃない!?」

 しばらく歩いていると、茜が渡り廊下の途中で中庭を見下ろし興奮気味な様子で鼻息荒く言った。茜はころころ表情が変わるため、見ていて飽きない。

 中庭に視線を移す。茜が密かに推している長瀬吉春《ながせよしはる》という有名な同級生が、男女混合グループの中心で友達と笑い合っていた。長瀬は確かに美形なうえ、女子から人気のサッカー部だ。文武両道で性格も優しいという。
 長瀬と同じグループにいる女子たちも、お互い仲良さそうに見えて実は長瀬先輩を巡って争っているらしい。
 恋愛に疎い優茉でも傍から見ていて彼がモテるのは理解できるし、イケメン好きの茜が彼の追っかけをするのも分かる。

「相変わらずかっこいいね」
「もう、めっちゃ棒読み。由麻ってば興味ないでしょ。由麻が興味あるのは宇佐くんだもんね~。宇佐くんいるかな~」

 茜がからかうように少し身を乗り出して中庭を確認する。先週の日曜日に髪を染めたらしい茜の、肩まで長いピンクベージュの髪が揺れた。

 ――宇佐悠理《うさゆうり》。
 この距離からでは見えにくいが、左右の耳に合計で四つピアスをしている同級生だ。中学の頃から長瀬と仲が良く、よく一緒にいる。

「あ、ベンチで本読んでる。あはは、友達といるのに本読むんだ」

 茜はケラケラと笑い、飽きたようにまた渡り廊下を歩き始めた。

「宇佐くんがミス桜ヶ丘と付き合ってなきゃ、由麻もアプローチできたのにね~残念」

 茜は由麻が中学時代から宇佐を好きなことを知っている。だから、宇佐が大学生と付き合い始めたと聞いた時から、由麻に新しい恋を勧めてくる。しかし、由麻はまだ宇佐のことが好きだ。
 付属大学のミスコンのパンフレットにでかでかと載っていた芸能人顔負けの美人。小顔で、よく手入れされているであろうさらさらの長い黒髪で、ナチュラルメイクの華奢な女性。当然のようにミスコン一位に輝き、大学祭の舞台の上でにこやかにお祝いの品をもらっていた人――それが、宇佐の彼女であるにも拘らず。

「そういえばミス桜ヶ丘、悪い噂よく流れてるよ。聞きたい?」
「いいよ。所詮噂でしょ?」
「言うと思った」

 茜は由麻の返答にけらけらと笑うばかりで、それ以上何も言わなかった。

  :

 食堂のテーブルで由麻はお弁当を、茜はハンバーグ定食を食べた。混んでいたので食べるだけ食べてさっさと出たが、五時間目が始まるまではまだ時間がある。
 茜は英語の単語帳を開きながら廊下を歩いていく。由麻は、茜が転けないかハラハラしながら付いていった。

「ねえ、またあの暑い教室に帰んなきゃいけないと思うとダルくない? 休憩室寄って暇潰す?」

 自動販売機やテーブルが沢山並んでいる休憩室は、気の強い三年生が屯していて入りづらい雰囲気がある。この前由麻が飲み物を買いたくて一人で入った時は睨みつけられたので、できればあまり入室したくない場所だ。

「あそこは三年生のシマみたいになってるから廊下でいいよ。廊下なら教室よりちょっと涼しいし」
「シマて!」

 由麻がヤクザのような言い方をしたのがおかしかったのか、茜はぎゃははと可愛い顔に似合わず下品な笑い方をした。

 教室の前の廊下で次の授業の英単語小テストのための暗記をしていると、向こうから派手な集団が歩いてきているのが見えた。――長瀬グループのうちの数人だ。

 由麻たちが〝長瀬グループ〟と勝手に呼んでいる集団は、長瀬を中心に仲良くしている色んなクラスの生徒の合同グループである。普通は同じクラスの者の間だけで仲よくしそうなものだが、長瀬という男の人気っぷりは他クラスの人間まで惹きつけ集めるるらしい。
 そのうち由麻たち六組の隣の教室、五組のメンバーは長瀬含めて三人。長瀬と、実は長瀬のことが好きで裏でキャットファイトしているらしい派手な女子二人だ。女子二人は今日も長瀬の両隣で高い声を出してはしゃいでいる。

 長瀬を見かけると、いないのは分かっていてもその近くを何となく目で探してしまう。宇佐は特進コースで教室が一階にあるため、二階にまでは来ないと分かっているのに。
 見すぎたのか、ばちりとこちらに歩いてくる長瀬と目が合った。慌てて茜が単語帳に視線を落とす。

 普通の相手ならそれで終わりのはずだった。――しかし、長瀬という人間は、いわゆる〝陽キャラ〟の代表格である。

「お前ら何で廊下でベンキョーしてんの?」

 わずかに目が合っただけの女子に声をかけるなんてことも、この男にはできてしまう。

「え、長瀬くん!?」

 そこでようやく長瀬たちの存在に気付いた茜が単語帳から顔を上げる。

「何その反応。ウケる」

 茜が過剰に驚いたのが面白かったのか、長瀬は白い歯を見せて笑った。そして、由麻たちのいる廊下の前の教室に目をやり、合点がいったように言う。

「ああ、六組クーラー効かないってマジなんだ?」
「そ、そうなんですー。ほんと困っちゃって」
「同級生なのに敬語使うなって」

 日頃からかっこいいと思っている長瀬に話しかけられてそわそわしている様子の茜の返答に長瀬はツッコミを入れ、「名前は?」と続けて聞いた。

「茜だよ」
「茜ちゃんね~。そっちは?」

 完全に油断していたところ話をふられ、由麻は少し驚いた。ちょっと廊下ですれ違っただけの相手に名前まで聞ける長瀬の陽キャラっぷりにだ。

「……江藤」
「ちげーって。下の名前」
「由麻、です」
「おっけぃ、二人とも覚えた。クーラー直るまで五組来ていーよ。一年で熱中症出たらしいし、廊下にずっといるの危ないっしょ」

 長瀬に促されるまま、由麻たちは五組の教室に入ることになった。長瀬の隣にいる女子二人が「よしはるやさし~い」と甘ったるい声を出す。
 由麻は他クラスの教室に入ることに抵抗があったが、茜が憧れの長瀬に誘われてうっとりしているので、水を差すのはよくないと思い黙って付いていった。

 五組の教室は涼しかった。もう二週間ほど学校では暑い思いをしながら過ごしていたので、教室のクーラーってこんなに涼しかったっけ、と思った。
 昼休み中は食堂へ行く生徒が多いためか教室はスカスカだ。由麻たちは長瀬の前の席にお邪魔させてもらった。
 由麻は長瀬の顔を初めてこんなに近くで見た気がした。明るい茶髪で髪色は目立つが、眉はきりっとしていてかっこよく、文句なしに顔が整っている。
 長瀬と仲良くしている女子二人に目をつけられたくなくて控えめにしている由麻とは違い、茜は積極的に長瀬に話しかけている。

「長瀬くんってすごい人気だよね!」
「んなことねぇよ? でもあんがと~」
「かっこいいって噂されてるよ。一年生の間でも話題になってたよ? モテるでしょ~」
「んー、でもガチ恋多いのはやっぱ宇佐じゃねぇ?」

 単語帳を見ていたところ、唐突に宇佐の名前が出てきたので由麻は何となく顔を上げてしまった。由麻が動いたのを見て、茜は「ガチ恋勢、ここにも一人」とニヤニヤしながらからかってくる。
 すると、ずっと茜と話していた長瀬が由麻の方に視線を向けてきた。

「由麻ちゃん、宇佐のこと好きなの?」

 誤魔化すか否か逡巡したが、嘘をつくのが心苦しく、頷いて肯定した。

「うん。言わないでね」

 由麻は宇佐から認識されていないので言われたところで問題はないのだが、一応釘を刺す。

「あいつはやめといた方がいいぜ」

 長瀬が即座に忠告してきたのが意外だった。人の恋バナは無条件に盛り上げてきそうな男であるためだ。

「彼女にべた惚れだもん。報われねーよ」

 ――そんなことは言われなくても分かっている。
 宇佐と彼女が一緒にいるところを何度か見たことがある。いつ見ても、宇佐は酷く愛しそうな目で彼女を見つめていた。友達といる時にはしない表情、仕草、触れ方で彼女に触れる。愛しくてたまらないという様子で。

「ま、俺はあいつの彼女嫌いだけど」

 軽い感じで付け足された言葉も、これまた意外だった。人に対してはっきり嫌いだというタイプだとは思っていなかった。長瀬は誰にでも優しいような印象がある。
 とはいえ、ちゃんと喋ったのは今回が初めてである。由麻の抱く長瀬へのイメージはかなりの偏見だったのかもしれない。

「宇佐さんが彼女にべた惚れなことくらい、知ってる。ずっと見てたから」

 淡々と返し、再び単語帳に視線を下ろした。知っていることだから、今更言われたところで別に何の感情も抱かない。

「そうそう、この子、中等部の頃から宇佐くんのこと好きなんだよ。宇佐くんが読書家だから図書室で本読み始めたらしくて。そのうち由麻も難しそうな本読むようになって、あたしは付いていけなくなっちゃった。あたし漫画しか読まないし」

 あまり初対面の相手に愛想よくできない由麻をフォローするかのように、茜が説明を付け足す。

「はは、由麻ちゃん、おもしれーね」

 長瀬がこちらの名前を出してくるので、無視するのもよくないと思い、英単語を覚えたかったがもう一度顔を上げる。
 コミュニケーション能力は茜ほどない。こういう時、なんと答えるのが正解か分からなかった。ありがとうございます? いや、違うか……などと考えて口ごもっていると、先に長瀬が口を開いた。

「由麻ちゃんが読んでる本、今度持ってきてよ」
「……本に興味がなければ面白くないと思うけど」

 長瀬は家に籠もって本を読むというよりも、毎日外へ出て友達と遊ぶタイプだろう。これもまた偏見かもしれないが。

「俺もそんなに普段本読むタイプじゃねーけどさ。弟が二人いて、もうすぐ夏休みだから課題図書? みたいなん読んでて。弟が頑張って読書してんのに兄の俺が読んでねぇのもな~って」

 由麻のような部屋に籠もって本を読むような根暗タイプにこんな風に優しくできる陽キャラも珍しいように思った。バカにされるのではと警戒していた分気分がよくなり、好意的に聞き返す。

「どんなジャンルが好き?」
「ジャンル? う~ん……俺も普段スポーツ漫画しか読まねぇからなぁ……でも、最近授業でやってる『こころ』は全文読んでみてーかも。教科書だと省略されてるし」
「ああ、文庫本持ってるよ。今度貸そうか?」
「マジ? ありがと~」

 隣の席に座っている長瀬を好きな女子二人からの視線が痛い気がして、それ以上話すのはやめた。

 しかし、そんな視線など気にもしていない様子の茜は、

「え、長瀬くんスポーツ漫画読むのぉ!? あたしも読む!」

 とその後も無遠慮に話しかけ続けていた。

 :

 その日の夜、塾が終わった後電車に乗って家に帰りながらスマホをいじっていると、Instagramにフォローリクエストが届いていた。

 Yoshiharu Nagase ――長瀬のアカウントからだ。

 どこからアカウントを見つけたのだろう、と不思議に思いながらフォローを返す。共通の友達に茜がいた。茜が長瀬を探してフォローし、由麻のアカウントも教えたという形なのだろう。

 長瀬のアカウントはイメージ通りキラキラしていた。友達と行った海やバーベキューの写真、家族との旅行写真なども載っている。
 その中に、長瀬グループのいつものメンバーが全員写っている写真があったのでアップしてみる。そこまではっきりした写真ではないが、肉を焼いている宇佐がいた。

(〝友達〟っていいなぁ)

 友達であればこのように一緒に出かけたり、間近でどんな表情をしているのか見られたりするのだ。由麻は長瀬グループの面々を羨ましく思った。


第二話:https://note.com/awaawaawayuki/n/n10494da18a25
第三話:https://note.com/awaawaawayuki/n/ncdfef0d18340
第四話:https://note.com/awaawaawayuki/n/nc9a0f4883c03
第五話:https://note.com/awaawaawayuki/n/n527da146d090
第六話:https://note.com/awaawaawayuki/n/na46e7367f261
第七話:https://note.com/awaawaawayuki/n/nfe42f284ab42
第八話:https://note.com/awaawaawayuki/n/n9702048c1aba
第九話:https://note.com/awaawaawayuki/n/na7caee9601a8
第十話:https://note.com/awaawaawayuki/n/nc1c56400f3f7
第十一話(完結):https://note.com/awaawaawayuki/n/n98f08af5743e



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