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大都市に内藤多仲あり~東京タワーを造った男を追う~

皆様こんにちは。
本田拓郎(Takuro Honda)と申します。
この記事へお越しくださいまして、ありがとうございます。

 このnoteでは、今現在観光業に就いている私が、私の目線で、「観光・旅行・歴史・文化・教育」について、知識や新たな発見の提供、その他自論を展開し、「勉強になった!」や、「こんな考え方もできるなぁ」という、古代ギリシャでいう「アゴラ」のような場所を目指します。私が勉強していることを皆様とも一緒に学ぶというスタイルで、記事を創っていきます。

 私は、幼稚園、小学校、中学校を福岡県福岡市で、高校を佐賀県唐津市で、大学を早稲田で過ごしました。そんな学生生活の中で、内藤多仲という建築構造家を知り、気になって調べてみると、日本各地の観光や、私たちの生活に欠かせない人物だということがわかったんです。今回はそんな彼が残した建築物を紹介していこうと思います。ぜひ、旅行プランに組み込む参考にしてみてください。

拙い文章力と乏しい考察力ではありますが、
最後までお付き合い、お願いいたします。

1.内藤多仲って何した人なの?

 そもそも、内藤多仲って人を皆さんは知ってますでしょうか?中学や高校の日本史では出てこない偉人の1人です。では初めに、内藤多仲の基本情報をご紹介しましょう!

出身:山梨県
生没:1886年ー1970年
最終学歴:東京帝国大学(現:東京大学)
職歴:建築構造技術者、早稲田大学教授

 もう、スーパーエリートですね(笑)多仲は、アメリカ留学中に経験したことから、「耐震構造建築」の研究を始め、その研究で工学博士号を取得しました。日本は地震大国ですよね。彼の研究がなければ、現代の日本における建築の基礎は大きく変わっていたのかもしれませんね。そんな彼の功績はやはり偉大で「日本耐震構造の父」と呼ばれています。日本における「〇〇の父」って本当に偉大な方にしか付かないですし、特に「耐震構造」って、私たちの生活にとって、とても重要であり、とても身近なので、感謝すべきですね(笑)

 しかしそんな彼、「耐震構造」だけではない、大きな偉業を残しているんです。

2.内藤多仲が残したもの

 前述の通り、多仲は「日本耐震構造の父」ですが、もう一つの通り名を持っています。それが「塔博士」。それは、多仲が構造設計に関わった作品の多くが、かなり著名な「塔」ばかりだからです。では、どのような「塔」の作品を残したのか、北から順に紹介していきましょう!

さっぽろテレビ塔(北海道札幌市)
大通公園にそびえる、札幌のランドマークの1つ。非公式キャラクターの「テレビ父さん」も人気を博しています。
東京タワー(東京都港区)
芝公園にそびえる、東京の、というより日本のランドマークと言って良いのでは。美しいオレンジ色が日中も、夜間のライトアップ時にも人々の目を引きます。サッカーワールドカップ中は、「SAMURAI BLUE」にちなんで、ブルーのライトアップになるなど、トレンド発信の役割も担っています。
名古屋テレビ塔(愛知県名古屋市)
久屋大通公園にそびえる、名古屋のランドマークの1つ。多仲の設計した「塔」の作品の中では最古のものです。
通天閣(大阪府大阪市)
新世界にそびえる、大阪のシンボル。エッフェル塔と凱旋門を組み合わせたモデルとなっています。実は現役の通天閣は2代目。初代の通天閣を設計したのは実は多仲の父なんです。
博多ポートタワー(福岡県福岡市)
ベイサイドプレイスにそびえる、博多港のランドマーク。元々は民間レジャー施設の一部として利用われていました。
別府タワー(大分県別府市)
別府観光のシンボル。展望台からは別府湾と別府市内を一望でき、壮観な眺望を楽しめると人気が高いです。

 以上の6作品をまとめて、「タワー六兄弟」とまとめられ、タワー建築の傑作とされています。しかも、いずれも、超人気観光スポットとして、地元の方々だけでなく、日本全国から愛される存在になっているのが、すごいことですよね!全てに足を運んだことがある方も多いのではないでしょうか?

 これらのタワーのほとんどの用途は、電波通信です。高度経済成長期に建てられ、テレビ放送の黎明期に、日本の発展に大きく寄与したのは間違いありません。では、なぜ内藤多仲がその役割を担ったのでしょうか。

3.多仲の作品は生活必需品

 大きな理由は「耐震構造」研究の第一人者であることです。前述の通り、日本は地震大国。さらに、高度経済成長期であるということは、いかに世界基準の情報伝達力と、処理能力、そして、発信力が必要な時代です。それを担う建築物が天災ですぐに壊れるようじゃ、意味がないですよね。地震に強く、絶対に壊れない建物を造ること。多仲がその仕事を果たすのに適任だったというわけです。

 多仲は塔の他にも、絶対に壊れてはいけない建物の構造設計を行いました。現存しているもので言えば、多仲の故郷である山梨県の「山梨県庁舎」(山梨県甲府市)や、「長者原発電所」(山形県小国町)、教授を務めた早稲田大学の「早稲田大学大隈記念講堂」(東京都新宿区)など、国民の暮らし、若い学生の暮らしに欠かせないものを残しました。

 今まで読んできておわかりになったと思いますが、いかに、内藤多仲という男が、現代の日本を生きていく私たちにとって、日本の歴史において、とても重要な人物であったか。社会科の授業では出てこない偉人として、皆さんにもぜひ覚えておいてほしい方の1人です。

4.経済発展の影の立役者

 もちろん、日々の暮らしだけでなく、情報産業への貢献、そして、観光産業への貢献にも高い評価を与えなければいけないでしょう。多仲の作品があるから、テレビを見ることが出来るわけですし、所在地の観光資源として、その自治体に利益をもたらしているわけです。

 つまり、本業とは異なるところで、日本に経済効果を与えていたと考えることが出来るでしょう。副産物として著名になるものって結構多いですよね。電子レンジとか。でも多仲はそれも計算していたのではないでしょうか。全てに展望スペースを設けていること、街の中心に据えていることがその根拠として挙げられると考えられます。

 テレビの電波塔って基本的に高い山頂に建てられますが、大都市の中心に置くのって不思議だとは思いませんか?まぁ人口が多い分電波の供給が必要でもあるし、条件は色々揃っていたってわけですね。

 今は緊急事態宣言等で、越境の移動が好ましくない状況にあります。地元に多仲の作品がある方はぜひ、地元再発見として、地元を学び、多仲を学び、様々な所にアンテナを張り、色んなものを吸収してみてはいかがでしょうか。

 考えることは人それぞれなので、何が正しくて、何が間違ってるかとかは置いといて、自分の中で一定の学びがあれば、それが収穫だと思います。

今回も最後まで読んでくださいまして、誠にありがとうございます。
また次回お会いしましょう。
Ciao...

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