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舗装されたストリートの未来

東京・渋谷に新しくできた注目スポットのひとつ、宮下パーク。

旧・宮下公園がリニューアルされ、公園×商業施設×ホテルが一体となった、渋谷の新たなランドマークであるが、特質すべきは公園の機能を含めたことである。

公園をリニューアルするのはわかりやすい、一方で公園を潰して商業施設をつくることには社会的な役割の補完を見つめ直す必要があり、そこに配慮せずに強行すれば結果として歪みが生まれることにもなる。

その中で公園×商業施設×ホテルという新しい概念が若者の街・ストリートの街、渋谷に大きな変化を満たすことだろう。


居場所

公園という場所は多くの人にとって活動場所になったり、交流を生んだり、癒しを与えたりとみんなにとっての居場所になり、それは社会から少しはみ出した人にとっても居場所になりうる場所になっている。

元より渋谷区はそうした社会的弱者と呼ばれる人たちへの理解を高め、法や都市の整備によって居場所づくりをしてきたからこそこの宮下パークの構想も実現できたのだと思う。

そんな中で社会的弱者の立場で若者やストリートの居場所を見ていくと、見えてくるものがある。


一昔前は若者たちの居場所というものが理解されずに行き場を失った少年少女たちが路上に溢れて、非行とされていた。

居心地の悪い学校、仕事場、家などが居場所とされ、それに反くようにカルチャーを取り入れ、活動場所を変えてアイデンティティを作り、守ろうとしてきた。

そうした時代背景の中で生まれてきた作品もあり、共感できるものもあるが、そうした中でこの時代の変化にも注目しておくべきだとも思う。

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理解が進んだ先にあるもの

渋谷区の試みは若者の居場所も同時に整えようという姿勢が見えてくる。スケートボードや広場が整備されていたり、開放的な空間ではあるけれど、小グループで自分たちの空間を作れるように様々な箇所に様々な角度のブース(座席やスペースなど)があって、ダンスの練習をしたり、仲間たちだけで会話をできたりなど居場所がわかりやすく作れている。

だからといって完璧ではないのだが、ひと昔の理解ができていなかった時代と比べれば大きな発展を遂げていて、いい空間であることは理解できる。

その中で生まれてくるものはなんなのか?新たな楽しみ方やあり方なのか、それともアンチテーゼ的なものなのか?

この数年で渋谷から出てくるアーティストにどんな影響を与えて、どんな作品が生まれるのかがいまから心待ちである。

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