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黎明に叛くもの、アラクネの心

《北米トヨタ自動車セクハラ訴訟事件(ほくべいトヨタじどうしゃセクハラそしょうじけん)は、2006年(平成18年)、北米トヨタ自動車で社長アシスタントを務めていた日本人女性(42歳)が、前年に同社社長(当時)大高英昭(65歳)からセクシャルハラスメント(セクハラ)を受けたとして、同社や同社長などを相手取って総額1億9,000万ドルの損害賠償請求訴訟を提起した事件である。》(ウィキペディアより引用)
 伍子胥や商鞅の種付け料がオルフェーヴルと同じくらいならば、円卓の騎士ランスロットの種付け料は上述の「北米トヨタ自動車セクハラ訴訟事件」の損害賠償請求訴訟と同じくらいだろう。

 それはさておき。

《女優・深田恭子とタレント・優香はホリプロの二枚看板タレントである。2人はともに30代後半にさしかかったが、衰えるどころかますます磨きがかかり輝きを放ち続けている、いわば稼ぎ頭。だが、そんな二人は「犬猿の仲」として知られている。事の発端は15年以上も前の話だ。深田に生理用品のCM出演のオファーが来たという。しかし、深田は「(生理用品の)汚れ仕事はイヤ。優香ちゃんにやらせれば?」と、仕事を拒否。その言葉通り、CMには優香が起用された。深田の尻拭いをした形の優香は深田の発言が耳に入るなり激怒。その後は冷戦状態になったとの噂だ。》(ライブドアニュースより引用)
 うーん、宮城谷昌光氏が自らの『三国志』を西晋の滅亡まで描かなかったのは、まさか「西晋の滅亡なんて汚れ仕事はイヤ。塚本靑史さんにやらせれば?」なんて事情だったのではないかと、私は疑っている。というか、深田恭子と優香の百合エロキャットファイト同人誌なんて、一部の男性たちに需要がありそうだよな。

 そう、私は宮城谷昌光という歴史小説の大家に対して複雑な思いを抱いている。なぜなら、私が淮陰の韓信に対して判官贔屓的な同情心を抱いているのに対して、宮城谷氏は韓信を毛嫌いしているからなのだ。

 私は若い頃、大物歴史小説家の宮城谷昌光氏の本を何冊か読んで感動していた(一例、『重耳』や『孟嘗君』など)。しかし、ある日、私は気づいた。「宮城谷作品を読んで感動する自分自身に酔いしれる」という精神状態に対して、我ながら強烈な嫌悪感を抱くようになったのを。
 それ以来、私は自分自身のナルシシズムに対して自己嫌悪を覚えて精神的におかしくなった。私にとって宮城谷昌光氏の一連の小説とは、ギリシャ神話のメデューサにとっての「鏡」である。そして、宮城谷氏が嫌っている韓信とは、他ならぬ私自身なのだ。

 当時の私は、メガテンシリーズとバーバラ・ウォーカー氏の悪影響によって多神教優位論とミサンドリーをこじらせて、精神的にかなりすさんでいた。宮城谷氏の小説に描かれているような男性ヒーローたちは、私にとっては絵に描いた餅でしかなかった。そして、今の私にとって『ウマ娘』は悪い意味で第二のメガテンシリーズかもしれない。

【MISIA - Everything】
 良くも悪くも「歌姫版宮城谷昌光」という印象を決定づけた楽曲。

『キル・ビル』の女同士のドンパチよりも、『ウマ娘』のジェンティルドンナとヴィルシーナが静かに火花を散らし合う方がよっぽど怖いよな。これが孫臏と龐涓みたいな男同士なら、むしろ面白い見ものだが。しかし、私はニュータイプ2024年7月号の『ファイブスター物語』(以下、FSS)でミラージュ女子たちがヨーン・バインツェルの遺伝子に対して発情しているのを見てドン引きする事によって、相対的にウマ娘版ジェンティルドンナとヴィルシーナがマシに見えるようになった。
 思えば、FSSの騎士やファティマたちの存在自体が優生思想的な発想なんだ。私は30年以上FSSファンでいるけど、それ自体が、色々な意味で出来が悪い人間である私自身に対する蹂躙(精神的自傷行為)なんだ。そんな私が永野さんだったら、一般人たちの騎士やファティマたちに対する憎しみを強調してFSSを描きたい。
 でも、『ウマ娘』では一般人たちのウマ娘たちに対する嫉妬心や劣等感などの憎しみを描写するのは許されない。現実世界にネトウヨやトランスヘイターなどの差別主義者がいるように、あの世界に「ウマ娘ヘイター」がいてもおかしくない。だけど、現実世界の競馬界関係者たちに対する配慮ゆえに、そのような暗黒面の描写は許されないだろう。
 プレイヤーの分身としての女性トレーナーも含めた、ウマ娘たちと関わる「ヒトミミ女子」たちは、そんな「ウマ娘ヘイター」たちから「名誉白人」並びに「名誉男性」ならぬ「名誉ウマ娘」などと揶揄されてしまうのだろう。プレイヤーの分身としての女性トレーナーは、シナリオのいくつかのイベントを観る(読む)限りでは、並みの一般人女性以上の身体能力を持っているようだし、下手をするとウマ娘たちそのもの以上に一般人女性たちに妬まれそうだ。それと同じ事は、FSSの女性の騎士やファティマガーランドたちにも言えるのかもしれない。

 私は昔、ツイッターで「君主制廃止論者とアーサー王伝説のファンを兼ねている私は矛盾している」と投稿した。しかし、当時相互フォローだったお方から「それは単に現実とフィクションの区別がついているだけではないのか?」というコメントがあった。
 さらに、YouTubeのある競馬動画に「競馬好きの人は優生思想との親和性が高そうだ」というコメントがあった。そうだ。私は「優生思想」という概念ものによって、悪夢を見続けているのだ。私が宮城谷昌光氏の一連の作品の世界観の根底を流れる「貴種崇拝」的な価値観を憎むのは、私自身が色々な意味で「劣っている」からなのだ。そう、宮城谷氏にとっては、韓信という人物は私と同じく「卑しい」存在なのだ。そして、宮城谷氏にとって私は「邪悪な狂人」なのだ。

 私は『ウマ娘』をプレイするたびに、FSSの「騎士の戦争」を思い浮かべる。ウマ娘のレースはあくまでも「スポーツ」なので、純粋にエンターテインメントとして楽しんで良いものだ。しかし、FSSのジョーカー太陽星団における戦争が事実上の「ショービジネス」として確立されている辺り、「反戦思想」並びに「反差別」の側に立つ私は、前述のウマ娘レースとの比較ゆえに、自分が30年以上もFSSファンでありつづけた事によって疑問や罪悪感を覚えた。 
 それゆえに、私はFSSのミラージュ女子たちがヨーン・バインツェルの「遺伝子」に対して「発情した」辺りに嫌悪感を覚えた。私はFSSの本質である「優生思想」の危険性に対してようやっと気付いたのだ。あの『ウマ娘』との比較によって、私のアイデンティティは揺らいだ。それゆえに、私は精神的により病んでしまったのだ。何だ、私は結局「肉屋を支持する豚」かよ?
 そう、結局私はフィクションに対して「現実」を見てしまうのだ。それゆえに、私は「君主制廃止論者とアーサー王伝説のファンを兼ねている私は矛盾している」と自己嫌悪に陥ったのだ。

 現実世界のオルフェーヴルは私より長生きしてもらいたいが、ウマ娘版オルフェーヴルはむしろ「ダムナティオ・メモリアエ」扱いしたい(あえて「人豚」などとは言わないのがせめてもの温情である)。私にとって自分がメガテニストだった過去だって、それと似たようなものだ。
 私は90年代、『真・女神転生II』の主人公とヒロインの正体を知って怒り狂ってメガテニストをやめたが、『ウマ娘』版オルフェーヴルの人物像はあの二人の関係以上のトラウマだ。『蒼天航路』の呂布と諸葛亮を足してバーナード・コーンウェル版ランスロットで3倍に…いや、3億倍にしたような壮絶な「解釈違い」の人物像は、私が「彼女」に対して「怨念」「殺意」レベルの激しい憎しみを抱かせるほどのものだ。それこそ、ロシアのプーチン氏やイスラエルのネタニヤフ氏並みに憎い存在である。もちろん、現実世界の「彼」には何の罪もないけどね。
 作家の姫野カオルコ氏は映画『プリティ・ウーマン』が大嫌いだというが、私のウマ娘版オルフェーヴルに対する日本三大怨霊クラスの怨念、もしくは伍子胥の楚の平王に対するほどの怨念と比べれば、むしろ『プリティ・ウーマン』の大ファンに等しい。伍子胥といえば、私はゲーム『雷子』シリーズに興味があるけど、ウマ娘版オルフェーヴルの存在と引き換えに復活してほしいな…。
 現実世界のオルフェーヴルには何の罪もない。ハッキリ言って大好きだ。しかし、私の妄想世界では、虚像としてのオルフェーヴルが『マルドゥック・アノニマス』のハンターのような恐ろしい存在になってしまっている。何しろ、自作小説シリーズの中心人物(『帝都物語』の平将門や『多重人格探偵サイコ』におけるルーシー・モノストーンに相当する存在)にからむまでの「怪物」にまで成長してしまったのだ。私はこれからも、あの美しくも忌々しい金色に輝く悪夢に悩まされ続けるのだろうか? シャロットの女にとってのランスロットのように。
 私の悪夢の始まりは永野護氏の『ファイブスター物語』であり、ゲーテの『ファウスト』でもあった。私は自分なりのファウスト伝説を書きたいけど、私は自分自身の物語に殺されたくないのだ。

 私はギリシャ神話のアラクネの「信念」に対して共感する。それゆえに、私は韓信に対しても共感する。私は『ウマ娘』版オルフェーヴルに対しては「どうせ『傲慢な性格』のキャラクターにするなら、アラクネや韓信みたいな方向性にしてほしかった」と思っている。そう、「黎明に叛くもの」のように。
 私は曽田正人氏のバレエ漫画『昴』や伊藤悠氏の歴史ファンタジー漫画『シュトヘル』のヒロインたちの方が、よっぽど「ウマ娘版オルフェーヴル」のイメージにふさわしい人物像だと思う。特に、宮本すばるは私にとっての韓信のイメージでもあるし、先輩バレエダンサーのプリシラ・ロバーツはまさにディープインパクトだ。そして、すばるは宮城谷作品のヒロインにふさわしい女性像ではない。「だからこそ」私は彼女が好きだ。

ああっ楽毅さまっ。

《馬を洗はば馬のたましひ冱ゆるまで人戀はば人あやむるこころ(塚本邦雄/『感幻樂』)》

 私はQuoraの上記リンク先でこう答えた。
【今一番言われたくない言葉は何ですか?】
《かつては好きだった作家の宮城谷昌光氏に「私はオルフェーヴルのファンです」と言われたくありません。私が判官贔屓的な同情心を抱いている淮陰侯韓信をけちょんけちょんに批判したお方に対しては「同担拒否」としか言いようがありません。まあ、あちらは古参の競馬ファンで、私自身は『ウマ娘』がきっかけの新参者ですので、私自身が悪いのですが。正直言って、グリーンチャンネルの番組の予告で宮城谷さんの口からオルフェーヴルの名前を聞いた際は、「割腹自殺したい」「オルフェーヴルのぬいぐるみを抱いて、小樽の海で入水自殺したい」という衝動に駆られて、絶望して泣きました。
 私はゲームのメガテンシリーズの悪影響を受けて、多神教優位論とミサンドリーをこじらせた結果、一神教信者同士の争いを冷笑してしまいましたが、意外なところで不意打ちを受けて罰が当たりました。『春秋左氏伝』の叔向ママの「美女嫌い」をバカにした報いも受けました。
 ちなみに私は実馬のオルフェーヴルは好きですが、『ウマ娘』版オルフェーヴルの方は「外見以外は」逆に大嫌いです。さらに、ウマ娘オルフェーヴルの一人称はなぜか「余」ですが、『韓非子』に出てくる「春申君の妾」である悪女の名前も「余」だと確認した時は思わずニンマリしてしまいました(笑)。やはり妲己や『マルドゥック』シリーズのノーマ・オクトーバーと同じく「九尾の狐」だったのでしょうね。》
 そのグリーンチャンネルで宮城谷昌光氏がゲスト出演している番組の後編を観たけど、私の希死念慮は杞憂だった。とりあえず、宮城谷先生がオルフェーヴルのファンだという証拠はなかったので、私自身は「同担拒否による憤死」をする必要はなかった。数日前は割腹自殺用の日本刀の値段をインターネットで検索してみたけど、とても私ごときに買えるような値段ではなかったので良かった。
 その代わり、私が思い浮かべる理想的な「ウマ娘版オルフェーヴル」のイメージであるヒロインが登場するバレエ漫画『昴』とその続編全巻セットを来月アマゾンで購入する予定だ。

 とりあえず私は、大平光代氏に対して顔向け出来ない。太平さんの半生の苦しみと比べると、私はあまりにもしょうもない。

【宇多田ヒカル - Stay Gold】

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