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新陳代謝

私が高校の時に通っていた街が、再開発の波に飲まれている。
訪れるたびに変わってゆくその街を見て思ったより寂しさを感じないことに、一抹の寂しさを覚える。

・・・・・・

その駅から高校は、基本的にはバスを使う距離だった。
その距離を徒歩で帰るのは、放課後の教室を追い出された生徒が、名残りを惜しむかのように歩きながら雑談の延長戦を繰り広げる場合くらい。
どうせまた明日も会うのに、そんな他愛のない話でよくも飽きないものだ。

それでも、毎日のように歩いている人は見かけたことがなかった。
毎日歩いていた私が言うのだから、きっと正しい。

きっかけは、もうよく覚えていないのだけど、きっと拒食になったことだと思う。
あの時は、1日の摂取カロリーは基礎代謝の8割、その上で1日に10km以上歩かなければ気が済まなかった。

元々の特性もあって数字への執着が異様に強かった私は、最悪なことに摂食障害との相性が抜群だった。
体重が減ると嬉しいというのももちろんあった。
しかし、いずれ下げ止まりというものがやってくる。
そこで私が依存したのが、歩く距離だった。
歩けば歩くほど数値として記録される。
昨日の記録を下回るのに耐えられなくなり、エスカレートしていった。

さらに、家にいたくなかった私にとっては、「歩く」という名目で、学校が始まる前と終わった後の時間が潰せるのはちょうど良かった。
朝は家族が言い争いを始める前に家を出て電車に乗って、駅から学校まで歩く。
帰りは下校時刻の限度まで学校で過ごして、歩いて駅に向かう。
帰る気がしなかったり、もっと歩かなければならない気がした時は、そこから電車の路線に沿ってさらに先の駅まで歩いてから電車に乗って帰った。

とにかく歩いた。
日差しが強い日も、雨の日も、雪の日も。
朝も、夜も。
もう、なんのために歩いているのかもよくわからなくなった。

・・・・・・

その街は、誰も私に目もくれないような場所だった。
だからこそ、私は街に存在することが許されていた。
家の方だったら、そんな朝や夜に高校生が一人で歩いているなんて、と思われるかもしれない。
ただ、あの街は、優秀そうなサラリーマンから、夜に働きにくる人、そこで生活している人、日本人、外国人、ともかく多様な人が、昼夜、行き交っているのだ。
身一つに目が二つでは、いちいちすれ違う人に構っていては日が暮れてしまう。
だから、誰も私のことなんて気にしなかった。
たとえ泣きながら歩いていたとしても。

冷たい街だと、多くの人は思うかもしれない。
あの時の私にとっては違った。
泣いていても良かった。
一人にさせてくれた。
それがあの街の暖かさだった。
人々が絶え間なく行き交うあの街でしか一人になれなかった私は、家でも学校でもないあの街で、空気として、しかし確かに存在していた。
あの街は私を受け入れてくれたわけではなかったとしても、決して私を追い出しはしなかった。
私は、学校を出る頃には真っ暗になった真冬の街を歩くことで、この世界に残された最後の温もりを感じて、自分を繋ぎ止めていた。


その街が、いま、刻々と変わろうとしている。

・・・・・・

それでも、あの街に、それほどの執着はなかった。
再開発の話を聞いた時も、実際に変わりゆく街を見ても、あまりにも他人事な自分に、驚きすらした。

確かに言われてみれば、寂しさがないと言ったら嘘になってしまうかもしれない。
あの頃の私に寄り添ってくれる人がいなくなってしまうような、そんな感覚に近い。

ただ、どうやら、過去との決別の安堵の方が大きいらしい。
あの時の記憶は、あの街と一緒に、新しいもので上書きされていく。
それくらいでいいのだと思う。

計らずも、もうすぐ高校の古い校舎が姿を消すらしい。
私が過ごしたあの街はこの世から無くなって、そのうち私の記憶からも消えていく。
嫌だったことも、良かったことも、あの街と一緒に。
それでいいんだ。

・・・・・・

大人になった私は、今日もヘッドフォンをつけて、夢を追う若者たちが歌う横をかったるそうに早足で通り過ぎる。


あの街は、そういう街だ。

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