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精神科の薬を飲む決断

気づいたら私の人生に嬉しくない色を添えていた「死にたい」「消えたい」という気持ち。
長年助けを求めることができない環境にいるせいで、いつしかそれが私にとっての当たり前になって、助けを求める気すらなくなった。
そんな折、健康診断で答えたアンケートの結果が少々まずかったらしく呼び出され、混乱したままあれよあれよという間に病院の予約を取られた。
いままでも同じように答えていたのに、なぜあのタイミングでつかまったのかはよくわかっていない。

きっと状況が“大いに”まずい人は、その場で病院にいくべきなのだろう。
“少々”まずかった私は、それでも普通に初診の予約を取ろうとしたら1ヶ月待ちなんてこともザラにある精神科ではなかなかの、6日先で行くことになった。

・・・・・・

今更もう誰かが助けてくれるなんて希望は捨てていたけど、社会常識を破って予約を無断でキャンセルするほどの強い拒否感もなかったので、案外何とも思わずふらっと行った。

だから、診察で色々訊かれたけど、どこか他人事だった。
初対面の人間に自分からあれこれ話すつもりもなかったから、ただ訊かれたことに一問一答で淡々と対応していった。

後に主治医となる目の前の医師は、少しの沈黙の後、

「うーんとね、双極性障害という病気かなと思います。」

と言った。


私はまず、すごい、と思った。
昔の私はそれなりに悩んで苦しんでインターネットでいろいろ調べていたから、双極性障害というものはもちろん知っていたし、そんなところだろうとも思っていた。
自分の見立てが当たっていたことにえらく感動した。
まだどこか他人事だった。

そして、何様だということに、医師に対しても、すごい、と思った。
一時期の気の狂ったようなネットサーフィンで一丁前に知識だけはあった私は、双極性障害が初診では診断されにくいこと、何年もかかって正しい診断になることが多いということも知っていた。
だから、この医師やるやんとか思っていた。
まだどこか他人事だった。


その矢先だった。

「お薬を飲んだ方がいいんじゃないかと思う。」

その一言で、今まで余裕綽々、医師の見立てに対して感動していたどこか他人事だった私は、一気に頭が真っ白になった。


私は親の教育によって、薬は体に悪いものだと無意識のうちに刷り込まれいた。
小さい頃から大学生になっても、診察室内まで親がついてくるような家庭だった。
薬は具合が悪くなって寝込んで、それでもどうしても耐えきれなくなった時にようやくもらえるものだった。
処方箋が出ていても、薬局に行ってもらえないことも多々あった。

だから、薬を飲むということにかなりの抵抗があった。
薬は、本当に苦痛で意識が飛びそうな時に使うもので、QOLのために飲むという考えがなかった。
ましてや精神科の薬なんて何が起こるかわからないのにという気持ちがあった。


後に信頼のおける主治医となる目の前の医師は、薬の重要性を一意見として伝えた上で、あくまでも私の意見を尊重してくれた。
「薬飲まなかったらここきちゃいけないってことはない」と言って、その場で次の診察の予約を取ってくれた。
だから安心して嫌だと言えたし、次も社会常識を破って予約を無断でキャンセルするほどの強い拒否感もなかったので予約通りに行った。
次も薬を出さないでもらって帰った。

その時、色々調べて、悩んで、葛藤していた頃の長文のメモが残っている。
その一部を。

薬飲まないでも大丈夫かもという一縷の望みを自分から否定するのが怖い
どこかで認めたくない自分がいる
どれくらいお金かかるか
副作用の方が学業に支障が出ちゃうのが怖い
酷い副作用でたら家族にばれる
ずっと一生これから付き合って行く覚悟が出来ない
誰かに言われたわけじゃないし、これをすることで誰かに褒めてもらえるわけじゃない、そういう自分に対しての決断がそもそも怖い
身体疾患の可能性は
純粋に毎日薬飲みたくない、めんどくさいし大変

まとめてみると、

・精神疾患を認めたくない
・副作用が怖い
・毎日薬を飲むこと自体が無理そう
・どれくらいお金がかかるのか分からない
・以上のことに対して自分で決断することが怖い

というあたりがネックだったと思う。
その中でも、1番目と2番目、そして5番目が大きな壁だった。

・・・・・・

結局時間をかけて、私は服薬を受け入れるようになってきた。
コツコツと、日々のやり取りの中で、主治医を信頼した。
ただそれだけだった。
劇的な解決策なんて無かった。

当時私には目指している職業があった。
診断が就職に響いてしまうのではないかと心配した私に、主治医はその場でパソコンを開いてその業界のことを一緒に調べてくれた。
そして、「就職する時に提出する書類は他の病院に持って行って書いて貰えば通院歴は無しになる」という、限りなく黒に近いグレーなアドバイスをくれた。
(主治医と私の名誉のために言っておくと、それは私になんとしてでも治療を受け入れさせようとする主治医の方便としての嘘だったかもしれないし、今の私も当時話していた業界にいるわけではなく、現在の職場も障害者雇用ではないものの面接時に聞かれたので病名を伝えた上で採用されている。)


また、薬についても、
「自分で調べて納得してからでいいよ」「1錠だけ飲んでみようよ」「副作用が出たらすぐやめちゃっていいから」
という交渉をされた。
病気の人間が医師に薬を飲むようお願いされる、という訳のわからない構図だった。
服薬を拒むような人間など放置して治療に積極的な患者のために診療枠を空けた方が病院が儲かるのは明白だ。
しかも、医師が「ネットで調べて良い」と言い切った。
あれほど混沌とした、都合の良いものばかりが目立って誤った言説が流布するインターネットの情報を、専門家たる医師の話で首を縦に振らない人間が触れることにお墨付きを与えた。
今考えてもとんでもないことだと思う。
当時の私でも、自分のことを信用してくれたのだという自信になった。
これほど治療を拒む患者をこんこんと説得して、1錠という効果も儲けもなさそうな用量であってもなんとか治療を始めようとする医師は、私の人生のことを考えてくれていると信じても良いのではないかと、ぼんやりと思うようになった。


それに主治医は、正直だった。
もちろん私にとってプラスとなるような情報は伝えてくれたけど、ちゃんとマイナスな面も教えてくれた。
ある程度頻度の高い副作用を説明した上で、副作用が出たら自分の判断でやめていいと言っていた。


だから私は、ついに薬を飲む決断をした。
とはいえそれで心配事が全部なくなってハッピーエンドというわけもない。
そこからまた具合が悪くなるたび、同じような攻防を繰り返しながら、途方もない時間をかけて徐々に一般的な量に近づいてきた。
私が薬を飲むと言うまで気長に付き合ってくれる主治医のことを考えると、ますます信頼がおけた。
また、調子が安定している時は薬を増やそうとはしなかった。
若干落ちてくると処方を変える選択肢が出てきて、結構ひどくなると主治医の押しも強くなる。
それでも私が首を縦に振らない限りは無理に出すことはしなかった。
それによって信頼感が増す好循環で、私は少しずつ薬を受け入れるようになってきた。
調子が悪い時、振り返ってみれば分かるもののリアルタイムでは自分が落ちていることを自覚できないことが多いが、主治医がいつもより時間を割いて薬を飲むよう説得してくることで自分の調子を推し量る。

さんざん診察室で話して(渋々ながらも)私が説得されて飲むと言った薬でも、飲めなかったこともあった。
それでも怒られることは無かった。
まただめだったら減らしちゃっていいから、その次飲めなかったって教えてね、と言われるだけだった。

・・・・・・

結局私は、頼れる人がいなかったのだと思う。
私にはまだ、一人で決断する勇気が足りなかった。

ある時主治医に、
「どうやったらもっと過ごしやすくなるか一緒に考えていこう」
と言われた。
私は、あぁ、この医師がいれば、自分の病気を直視できるようになるかもしれないと思った。

他にもさまざまな要因はあれど、主治医を信頼したことによって一歩先に進んだことも多い。
それに、仕事としてでもちゃんと自分のことを考えてくれる人がいる、という風に思えたことで、医師だけでなく看護師や薬剤師、心理士、ソーシャルワーカー、さらには地域のNPOの力も借りられるようになった。

今の自分から数年前の自分に、状況を報告しておこうと思う。

・精神疾患を認めたくない

今の私も完全に受け入れられたとは言えないかもしれない。それでも、私にとって自分が精神疾患であることは他のさまざまな特徴のうちの一つでしかない。
最初に疑ってかかった身体疾患は、実はあった。でも、精神疾患と身体疾患、どちらの治療をしても症状が完全になくなるわけではなくて、併存しているらしい。同じ服薬という方法で一つの病気を抑えるのと二つの病気を抑えるのは、そこまで大きく変わらなかった。
一生付き合っていく覚悟は……。正直まだできていない。でもしばらくは、今日も薬を飲んで、同じように明日も飲むんだろうなぁ、という生活を受け入れられる。まぁ、こんな病気じゃ“一生”がどこまでかも分からないしね。

・副作用が怖い

一つ副作用が出たけど、すぐやめたので今は何ともない。
それ以外でも、睡眠薬が合うものがなくて、眠れないか、眠れるけど翌朝眠いか、みたいなことはあるけど、副作用の眠気は睡眠不足での眠気よりマシなので使う時は使う。そうやって賢く使うことができている。
主治医も薬剤師さんも、危ない副作用の兆候とか生活の注意点とか丁寧に説明してくれるし、恐る恐る飲んでみたら大丈夫だった、の繰り返しでだんだん飲めるようになってきた。
ちなみにこれまで飲んだ薬の中で一番副作用がひどかったのは向精神薬ではなく花粉症の薬。精神科の薬だからどうこうとかではなく、その薬と合うか否か。

・毎日薬を飲むこと自体が無理そう

正直、数年経ってもいける気がしない時はある。最近の服薬までの最長記録は4時間。
それでも同じような病気がある友達が薬を飲みやすくする方法とか、あの薬はああいう味がするとかを教えてくれる。
そして主治医も私が単純に薬を飲むことが苦手ということを分かっているので、処方を変える時も極力数を減らす方向に持っていってくれている。

・どれくらいお金がかかるのか分からない

これに関しては、最初は不安だけど、診察料とかシステムは行くうちにこんなもんかというのが分かってくるし、薬は値段が決まっているので調べれば計算できる。
主治医は私が金銭的な余裕がないことを知っているので、最近は高い薬だと「1錠◯円くらいなんだけど〜」と先に提示した上で決めさせてくれる。

・以上のことに対して自分で決断することが怖い

今はむしろ、精神科に行って、支援者を頼って、というのを決定することは、今まで私を苦しめてきた諸々とは分離された、自分だけの領域だという安心感がある。
そこに至るまでは、自分の決断についても主治医が一緒に考えてくれるし、何かあったとしてもそこから全て自分で何とかしなきゃいけないわけじゃなくてまたそこで誰かを頼る選択をすればいい。そしてそこの選択肢に、主治医をはじめ、複数の職種の支援者がいることを分かっている。

・・・・・・

薬を飲む決断によって、完治するような、そんな単純な病気ではない。だったらそもそもそんなに逡巡していないはずだ。
ただ、私にとって薬を飲む決断は、さまざまな選択の結晶で、さらに次の選択に導いてくれる中継地点のようなもの。

今の日本では、精神疾患のない人で精神科主治医やかかりつけのカウンセラーをもつ人はほとんどいないと思う。
私でさえ、精神科に通いはじめてからも精神科の薬に対する不安はあったし今も完全に払拭しきれてはいないのに、精神疾患のない人たちが持っている偏見を解決する機会はそうない。
だから、私一人の経験を、インターネットの海に放り込んでおく選択をした。

過去の私と、それから過去の私と同じような考えの人に、届きますように。

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