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私の活動理由 株式会社アウトバーン代表取締役 森山広大

はじめまして!
技術力人間力を磨き 、
目標達成し続ける人を輩出する」
をビジョンに掲げ、IT教育/開発を中心に株式会社アウトバーンを経営している森山広大と申します!

※先日 「5月30日(木)「野音起業フェス」ライトニングトーク2」というイベントに登壇しました!
僕の教育への思いをプレゼンしたので、ぜひご一読ください😆

現在までの取り組みと実績

  • 東京大学工学部機械工学科卒業

  • 先端技術を学ぶWEBサービスの立ち上げ (会員数20万人突破)

  • Googleサービス (firebase) のプログラミング大会優勝

  • 子供向けプログラミング教室の立ち上げ

  • 大人向けITスクールの立ち上げ

  • PMO業務

  • 企業向けIT研修講師

  • 23年11月に株式会社アウトバーン創業

  • IQ133 (MENSA入会資格はあったが、コロナのため入れず😭)

  • 偏差値と体重が84 (笑)

など様々な活動をしています。

アウトバーンでは、以下の事業に取り組んでいます。
企業教育事業:企業向けのIT研修やコンサルティング
開発事業:企業から発注を受け、受託開発や運用保守開発

本当に様々な方と関わっていただき、コラボをする中で楽しく活動することが出来ています。

私がこれまで歩んで来た中で「教育」「変化」「IT」というキーワードがとても大きいものでした。
この記事では私の生い立ちをお話しつつ、目指す姿についてお話します!

誕生から上京まで 〜変化〜

幼少期

私は1993年4月2日(金) に長崎県佐世保市で産まれました。
※この日は先勝でしたが、午後3時14分に生まれました。
生まれつき身体が弱く、1歳・3歳・5歳でそれぞれ入院をしていました。
とても内気な性格で、幼稚園でもできるだけお部屋で粘土をいじったりあやとりをしたりしていました。

小学校

小学生の頃は外で遊ぶのが本当に嫌で、休み時間も教室の隅でずっと自由帳に絵を描いているような子供でした。
勉強はできる方でしたが運動は本当に苦手で、小学三年生の時のシャトルランは20回でギブアップするほどでした。
ただ、地域の方とバドミントンを一緒にする機会があり、その時にシャトルがラケットに当たる感覚が本当に楽しくて、バドミントンならなんとかできるかもしれない!と気がつきました。

中学受験

そんな内気な小学校生活を送っていた小学六年生の夏頃に、母がとても真剣な顔をして「そこに座りなさい」と言われました。
何事かと思い話を聞くと、
「あんたは、コクリツに行きなさい」
という話でした。
コクリツって何…!?」と思っていましたが、どうやら国立大学のことでした。
そしてあれよあれよと中学受験のために塾に通うことになり、「もし落ちたら、塾代払わせるからね」と半ば詐欺のようなプレッシャーを受けながらも、何とか合格することが出来ました。(もちろん、今では感謝しています!)

中高一貫校

実際に中高一貫校に入り試験を受けると、平均そこそこでした。
体は弱かったですが、小学校の時の地域のバドミントンコーチの方に紹介いただき、中高一貫校の中学校で初めての男子バドミントン部立ち上げることになりました。
中学校ではバドミントンを頑張り抜きました。
体力や筋力、スキルが身につくのがとても面白くてのめり込み、
中学三年生の時にダブルスで県3位になることができました。

東大を目指すきっかけの話

子供の頃からずっと悩んでいたことがありました。
それは「夢がない」ことです。
仕事をそもそも知らなかったのもあり、なぜ周りのみんなは将来や志望校を決めれるんだろう?とモヤモヤとしていました。
それで三者面談を受けた時に、先生から「東大を目指してもおかしくない」と言っていただき、東大を意識するようになりました。
東大ははじめに学科が決まるわけではなく、二年の夏学期までの成績で学科を選べるという「進学振り分け」という制度があります。
まだやりたいことも決まっていないし、せっかくなら「東大卒です」と言えるとかっこいいなと思い、東大を目指すことになりました。
ただ現役の頃には調子に乗っていたため、あと9点足りず落ちてしまい、一浪の末東大に進学しました。

大学生活 〜プログラミングとの出会い〜

浪人後東大に入ってみて

一浪して一年遅れたという焦りから、いわゆる「意識高い」団体に入りたいと考え探していました。
いろんな学生団体の面接を受ける中で、ビジネスコンテストを運営している団体に加入することになりました。

僕自身、パソコンがすごく苦手というコンプレックスがありました。
どのくらいのレベルかというと、
・タイピングはキーボードを見ながら人差し指で打つ
電源ボタンがどこかわからない
・パワーポイントはテキストボックスの入れ方がわからず、デフォルトのタイトルと本文欄にしか書けない
というレベルでした。。

それを解消するために、あえてその団体のホームページを作る部署に入りました。ホームページが作れれば、他の人と一緒くらいにはなるだろうという狙いでした。

実際にHTML/CSSを用いてページを作ってみると、少し文字を書くだけで思った以上にハマってしまいました。2ヶ月ほど先輩に教わりながら、実際に団体のホームページの1ページをリリースできた時は、本当に達成感がありました。

友人とアプリ開発経験

その団体は1年半の任期で卒業となったのですが、その同期だった友人に「おもろいことやろうぜ!」と声をかけられ、一緒にアプリ開発をすることになりました。
といってもアプリ開発は経験がないので、本を買って一緒に勉強をしながら時には友人宅に泊まって開発するという地道な作業でした。
また友人は企業との繋がりがあり、アプリのプロトタイプを作っては企業に営業に行きフィードバックを受けるという経験をしました。
その中で、某就活イベント会社の方に気に入っていただき、200名規模のイベントでアプリを実際に導入していただきました。
そこでほんの数万円ですが、自分で作り上げたものでお金を得る経験をし、プログラミングを通じて仕事をする希望がわきました。

仕事

ベンチャー企業の立ち上げ

所属していた学生団体の先輩が元々起業をされていました。
友人とのアプリ開発の噂を聞いてくださっていて、ひょんなことから先輩の会社を手伝うことになりました。
初めは大学院に通いながらバイトとして働いていましたが、会社が社名を変えて本格的に自社開発に踏み込むことになりました。そのタイミングで、僕に「大学院を休学して、フルタイムで一緒に働かない?」と提案をいただき、2週間悩みましたが、今までのレールに沿った人生から抜け出したいという思いで飛び込んでみました。

これが本当に最高の決断でした。

実際にフルタイムとして入ってみると、社長25歳、僕24歳、大学を休学した
20歳の社員が3名のみでした。
そして僕は消去法でシステム開発部のマネージャーになることになりました笑
初めはわからないことばかりで、お手伝いいただいていた副業エンジニアの方から呆れられるほどでした。
そして副業エンジニアの方の契約を延長するかどうかというタイミングで先輩から、「森山くんには、システムのすべてを把握しているスーパーエンジニアになってほしい」と言っていただき、僕が本当にリーダーとしてシステム開発を牽引することになりました。
そこで役割があったことによって、リリースまで責任を持って学びながら形にする経験を積めました!

実績としては、会員20万人のwebサービスを立ち上げることができました。

初めはフルタイムインターンとして関わり、休学期間が終わった2年後に大学院を辞めて社員として働き始めました。

独立

仕事もバリバリ頑張っていたのですが、29歳の秋ごろに体調を崩したことをきっかけに、自分が本当にやりたいことは何なのか優先順位を考えるようになりました。
その中で、僕は元々自分がやりたいことが分からず悩んでいましたが、いろんな人と関わり様々な機会をいただく中で、自分の強み弱み向いていること、燃えるものを発見してきました。
この経験を他の人にも伝えたく、教育に力を注ぎたいという想いが強くなり、年齢的なタイミングもあって、独立をすることを決めました。

独立後は、ずっとやりたかった子供向けプログラミング教育をはじめ、ITスクール講師や、ITコンサル、SE、PMO、企業コンサルと幅広く活動をしていました。

法人化

その後、この経験をより多くの変化を求め未来をつくる人たちに伝えていくことが自分の使命だと考え、株式会社アウトバーンを創業することとなりました。
アウトバーンでは、「技術力人間力を磨き 、目標達成し続ける人を輩出する」をビジョンに掲げ、私自身も「顧客仲間を共に勝利に導く経営者」であり続けることを決め、プログラミング教育・開発を中心に活動しています。

将来像

私は教育とは「人に取られることのない技術力人間力を提供すること」と考えています。そのため、誰もが自分を表現する術を手に入れ、自己実現をのびのびとできる社会を教育を通して実現したいです。
そのために、日々目の前の人々の変化に貢献伴走します!

株式会社アウトバーンHP (2024年7月リニューアル予定です!)
https://autobahn.education/


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