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あたためてみたのだけど【短編小説】

 駅から帰宅する途中、“Endless”という古い喫茶店が、閉店の貼紙を出しているのが見えた。コーヒーとホットサンド、この駅周辺に引っ越してからずっと気になっていたのに、行かずじまいだった。エンドレスでも終わることもあるのか。そうだ、そうだよね。妙に得心しながら通り過ぎる。
 その瞬間、藍からの手紙が来てもう三ヶ月近く経つことを、唐突に思い出した。
 返信を書こう書こうといつも思いながら、忙しさに紛れて後回しになっていた。今年はとくに公私ともに目まぐるしいせいもあって、文通の間隔は例年よりも長くなっている。
 今日こそは、と心に決めた。
 一人分の惣菜と日用品をスーパーで適当に買い込み、早々に帰宅する。久々に早く帰れたし、今日こそは、必ず。
 一人暮らしだけれど、バストイレは別。食事はそこそこに、とにかく風呂を沸かして全身をゆっくり温める。いつもより入念に肌の手入れ。髪も丁寧に乾かして、少しだけ足をマッサージ。自分のケアをすればするほど、言葉はあふれてくる。
 ベッドの上に折りたたみテーブルを出して、文房具屋で買っておいた水色の和紙の便箋を用意。いざ、と気合いを入れる直前、ベッドの端で丸くなっているタオルケットに気づいた。
「……あ、忘れてた」
 タオルケットをドラム式の洗濯乾燥機に入れ、セット。
 すぐにごぅんごぅんと唸りはじめた音を聞きながら、ベッドの折りたたみテーブルに着き、ペンに自分を任せる。仲間内のSNSでもつながってはいるけれど、藍とのあいだで個人的に10年続く文通は、ゆるやかになっても途切れたことはない。


「藍へ

今日、駅からの帰りに”Endless”っていう名前の喫茶店が閉店すると書いてある貼紙を見ました。どんな物事でも終わる時は終わるんだな、と思ったら、藍に手紙を書いてなかったことを思い出しました。……筆無精で間が空いてしまってごめんなさい。お元気ですか? お変わりないといいのだけど。
そちら、育児はどうですか? 今年生まれの光ちゃんはこれから初めての冬だね。子どもを育てるってどんな感じかなぁと時折想像したりするけど、実感の伴わない想像だからか、なかなか上手くいきません。何はともあれご家族皆さん元気で、大変なことが少ないといいな。

実は、前のお手紙をもらった頃、ちょうど比呂と別れることになってしまってバタバタしていました。で、別れました。それでこのたび、思い切って引っ越しをしました(住所変わってますので注意)。18まで実家で、大学の時は学生会館で、その後は実家戻って、そして比呂と住んで。また実家に戻ろうか少し悩んだけど、いい機会だと思ったので、ついに27歳にして初めての一人暮らしに突入です。
これまでほとんど身の回りのものだけの引っ越しばかりだったから、準備から本当に戸惑いばかりで。とくに引っ越して最初の日に気づいたのは、カーテンがない部屋ってこんなに寒いんだってこと。
それでニトリに行って、適当に合いそうなカーテン買ってきたんだけど、もう、本当に、どうしても寒くって。体じゃなくて心が冷えているのかなぁなんて考えてる間に、なんかもうとめどなく涙が出てきて。こんなに簡単にさびしさの底まで行けてしまうなんて、これが毎日続くなんてと思うとぞっとして。これから大丈夫かな、ちゃんとひとりで生きていけるのかなって、泣きながらカーテン抱えて帰ったのね。
部屋に帰ったら、ちょうどその時、一人暮らしにはちょっと大きいけどどうしても欲しくて買った乾燥機付の洗濯機(楽したいので奮発しちゃった……)が、初の洗乾仕上げをしてくれたんだけど。出てきたタオルが、もうほんと、ふわっふわで。やさしく抱きしめられたみたいな、しあわせなきもちになって。ささくれたさびしさに沁みるというか。ああ、こういうのもっと部屋にあったらって思って。

――それで、思いつきで。カーテンを乾燥機に入れて、あたためてみたのだけど。

そしたら。当たり前だけど、ちょっと縮んだ(笑)。でもごわごわとかにはならず、多少はやわらかくあたたかかくなって。柔軟剤の残り香がして、気持ちが和んで。わたしたち、何でもないことで簡単に凹んだり落ち込んだりもするけど、割と簡単にふくらんだりもできるんだなぁって。一人で暮らすっていうことは、こんな風に、自分の心の輪郭にちゃんと焦点を合わせられる機会が多いってことなんだって。
そう思いながら、記念すべき一人暮らしの初日、半ベソかきながら、あったかくて少し短いカーテンを吊るしたのでした。
まだまだ手探りだけど、失敗も恐れず楽しみながら、一人の快適さを積み重ねて行けたらと思えるようになり、それから二ヶ月半。もちろん淋しい時もあるけど、なんとかやれてるみたい、です。

ここのところますます寒くなってきているので、今夜はタオルケットをちょっとふっくらさせながら、これを書きました。
久しぶりに藍に会いたいな。そちらは育児しばらく大変だろうと思うけど、流行病が落ち着いたら京都に旅したいなと思っています。その時はぜひ。
この先しばらくは機会もないだろうけれど、横浜来る時はぜひ寄ってください。藍が来る日には、カーテンをたっぷりあたためてお迎えするよ。
それでは次のお手紙まで、元気で。
                                                            紫より」


 ペンを措くのと同時に、乾燥機がピー、と終了の音を立てた。
 ふかふかになったタオルケットを取り出して来て、顔を埋める。ふわり、お気に入りの匂いがする。折りたたみのテーブルを床に下ろしてベッドに横になり、書き上げた充実感と共にタオルケットに包まる。誰かを想って手紙を書くとき、いつの間にか自分の心の方があたたまっているのはどうしてだろう。
 あ、明日は5分早起きして、手紙を駅前のポストに投函するのを忘れないようにしないと。やりとりをいつの間にか終わらせたりしないように。失ってから大切さに気づくんじゃなくて、失う前から大切にしつづけられるように。……そんな願いが、あの駅前の店にもあったりしたんだろうか。Endless、行ってみたかったな。コーヒー、ホットサンド、巡りあうことのなかった味。
 あー……、明日は、5分、早起きして、――……忘れないように。これからも、……つづいていく、よう、に。

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この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』創刊号に寄稿されているものです。今月号のテーマは「あたためる」。この作品のほかにも、めっきり寒くなってきた今読みたい、こころがあたたまるような作品が集まっています。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひ訪れてみてください。

また、本小説は【連作】でもあります。お気に召した方は、マガジン「紫と藍のあいだ」からも本シリーズ作が読めます。どの作品からも読めますので、よかったらぜひどうぞ。

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