見出し画像

愛すべきストーカー男の偏愛ひとり語り 第五話 (全六話)



愛すべきストーカー男の偏愛ひとり語り



 日が暮れてきた。赤く固まった空はいつの間にか普段の夕暮れに戻っていて、雲は動いている。ひとまず運転しながらの深呼吸。
 葉流は未だ狐面を被ったまま、大人しくしている。
「あのぉ、お面を外してもらえたらありがたいんですけど」
「……」
 やっぱり眠ってしまったのか。だけどお面は外してほしいなぁ。夕陽の角度で不気味なんだよ。お面被って眠る葉流も不気味だけどね。
「葉流さん、眠ってるならお面外しますよ」
 僕は紳士だから声をかけてから、そっと面に触れようとすると、葉流は素早く面を外してうしろの狭いシートにひょいと放り投げた。
 起きてるじゃないか。それに、あんなに気に入っていた面を、何の感情も表さずに放り投げるなんて。
 咳払いをして話題を変える。
「夕飯食べて帰ってもいいかい? 昨日誕生日だったからさ、何かおいしいものを」
 なるべく抵抗感低めの会話をチョイスした。
 葉流は現実味を帯びた静かなトーンで、
「どこが真実だと思う? 毎日毎秒万物は流れ続けて、その全ては認知も記憶も不可能で、でも全ての瞬間が真実で。まやかしなんてない……あたしは、澱んで流れてくれない望まない記憶は、粉にして塗り潰してしまうのです……帰る」
 突然意味のわからんことを口走ると、帰ると言う。夕飯の誘いは失敗したが、紳士的に彼女をアパートまで送り届けたら、今日のミッションはまあまあ成功だ。焦りは禁物。
 ただ、どうしても葉流に訊きたいことがあった。今朝からずっと思っていたことだ。

「……訊いていいかな。なんで今日は付き合ってくれたの?」 
 助手席の葉流は、長いストレートの黒髪を手で梳いている。
「どこまでも自己中心的で強靭で執拗な、あんたの見事なまでの楽観的執念のみなもと。尽きないその筋金入りのエネルギーのからくりを知りたくなった」
 どういうこと? ていうか、やっぱりあんた、、、なのか、ていうか、何でここでロングヘア? ていうか、何言ってるのか分からない。
「あんたは百万遍無視されても挫けない、その械よ。
 あたしはずっと好きでいたかった人には、たぶんもう必要とされてない。だから心臓が曖昧にずっと痛い。だからばかみたいって思ってしまう前に、記憶が浄く流れることを祈ろうとしてる。
 あんたは無益な執念を果てなく繰り返して痛くないの? 苦しくないの? いいえ、むしろ楽しんでる」
 好きでいたかった人? 必要とされてない? じゃあじゃあ僕もされてない……? そんなはず……
「葉流……僕は……」
 思わず葉流の右腕をガシッと掴んでしまった。三年もの間、触れることのなかった葉流の細い腕にだ。
 葉流はすかさず僕の手を振り払うと、切り揃えた前髪の下の目を鋭く尖らせて、
「二度と触るなって言ったのに!」
「ご、ごめん」
 僕の謝罪の言葉よりも早く、葉流は長い黒髪をさらりと翻して、走行中の車から飛び降りた。
 葉流! またやってくれたな! 怪我するじゃないか! 後続車に撥ねられたらどうするんだよ! どこだ葉流!
 ショートボブの隙間から蜘蛛のピアスが揺れた。助手席の葉流が、金色の目を剃刀のように細めて僕を見ている。何だよ、これ!
 葉流の不安定な変幻と超現実な幻惑に、今日一日考えないようにしていた頭の中が、ついに激しく渦巻きはじめてしまった。どこまでも蔓草みたく絡まっていく。グミ攻撃をされなかったのは不幸中の幸いだなどと考えられている脳みそに、必死に救いを求める。

 葉流が他の男を見てるのは嫌だ。でも他の男が葉流を見てるのはもっと嫌だ。だから、僕は葉流が可哀想だと思ってしまえる。いつでも葉流の空虚を埋めるのは僕なんだ。
「昔カラスを助けた。賢くて可愛かった。怪我が治ってから毎日ベランダにやってきた。ビー玉やボタン、綺麗なプラスチックやガラスの破片を咥えて持ってくる。でも、やがて生ゴミや虫、叫んじゃったのは、鼠のむくろ。純粋満たん、精一杯のお礼のつもり。
 でもだめ。無理。褒めてなんてあげられなくて、追っ払った。再び来た時に、ごめんねって思ったけど可哀想って思ったけど知らん顔したら、賢い子だから二度と訪れなくなった。カラスは自分の立場を清く潔く受け入れた」
「僕は、違うだろ! 僕は……」
「あんたのは、自己都合の善行を感謝されるまでアピールし続ける愚行。恩のお仕着せ。あんたのいう思いやりには、相手のためを装った優位的自己満足と承認欲求的見返りが計算されてる。
 生きてる以上、誰しも少なからずあるのかもしれない。でもその自己中心的利益の種類と取り立てが、あんたはえげつないのよ。あたしは、ずっとずっと望まない恩をお仕着せられ、あんたのすこぶる度を超えたえげつない恩返しの取り立てに、脳の奥の虫歯まで勝手に侵入されて、その神経を麻酔なしにほじくられ続けたみたいに、壮絶な失神を何度も繰り返した。あたしがその歯で噛みちぎったあんたの右母指の傷痕は消えてないはずよ」
 葉流は三年前みたいに、靄の発生する車内で吐き続ける。今宵は犬歯がちらついてる。
「……酷いよ葉流……僕の前では、いつも素敵な葉流でいて欲しかっただけなんだ。君を守ってやりたかっただけなんだよ」
「守りたい人を殴る? 守りたい人を罵る? 守りたい人を脅す? 守りたい人を窓のない部屋に閉じ込める? いくら正当化したって正当じゃないことはバレてる。嫌がる他人の虫歯をほじくって穢れなき歯に優しく毛布かけてやったつもりでいる間があったら、愛する自分の歯の裏側の真っ黒を削りとるといいと思うわ。いずれにせよ、あたしにはあんたの覗き見は必要皆無なのです」
 葉流は最後まで僕の名を呼ばなかった。

 車は僕の意識とは別に、身体が覚えている葉流のアパートに到着してしまった。
「葉流……僕はどうしたらいいんだよ……」
「あなたはきっと真実が分かるとせめて思うわ。あなたに巻きついてる蔓はきっとほどけて解放されるとせめて思うわ。きっとあなた次第だとせめて思うわ。この長い長い年月がどうぞ報われますように」
「葉流、待って」
「さようなら、二度と来るな!」

 何だよ、この展開。葉流を取り戻すために、抑えて抑えてとことん抑えて、今日だってずっと紳士でいたのに。くそ! 葉流のやついい気になって。真実が分かる? 解放される? おまえから解放なんてあり得ないし、僕もおまえを解放なんかしない。
 うしろのシートに葉流の忘れ物を見つけた。肌身離さずのお気に入りだったのに忘れていくとは。
 いや待て。違う、これは葉流の芝居だ。僕の愛情の深さを試してるんだ。やっぱり葉流は可愛い。
 急いで狐面を手に取ると、アパートの中に消えていく葉流を追いかけた。階段を軽やかに登っていく下駄の音が聴こえる。僕の足は一段一段が鉄下駄を履いてるみたいに重い。
 ようやく追いつくと、葉流はドアの鍵を回すところだった。
「葉……」息が切れる。
 葉流は振り向かない。
「葉流、わかってるよ。もうお芝居はいらないんだ。ほら、これ」
 狐面を差し出しながら、
「わざとだろ?」
 僕はためらうことなく葉流の肩を後ろから抱き寄せた。が、するりと僕の腕の中をすり抜けた葉流は、グミのありったけを僕の顔に両手でなすりつけ、素早くドアの向こうに消えてしまった。
「くっさー! 口に入った、おぇ、おぇ、おええぇ」
 何だよこの仕打ち。忘れ物を届けただけじゃないか。いや、それよりも葉流の思わせぶりだ! わざと忘れたんじゃないのかよ! 
 何度もチャイムを鳴らしドアを叩いたが、葉流は出て来なかった。
「勘違いさせるような真似するな! 女狐!」
 悔しさと恥ずかしさでドアに向かって捨て台詞を吐いた。嫌な視線を感じると、隣の部屋の住人がドアの隙間から僕の様子を伺っていた。うわ、恥ずかしい。葉流のやつめ、僕に恥をかかせて。くそ! 
 逃げるように階段を降りて葉流の部屋を見上げると、灯りは点いていなかった。けれど、隣部屋のカーテンの隙間……覗いてんじゃねえよ、隣の住人!
 助手席に置いた狐面が、月明かりの下でますます不気味感を増している。思わせぶりめ! まぁいいや。グミ攻撃には閉口したが、僕は諦めない。むしろ狐面という口実ができた。また来ればいいさ。
 後ろから眩しいライトが近づいてくる。警邏車だ。急いで車を出す。何にも悪いことはしてないけど、職質されてもますます気分が悪くなるだけだ。駐停車禁止の道路だし、罰金取られるのも癪だ。 
 大いに苛立つ心持ちで自室に戻り、狐面をその辺に置いてベッドに転がりながら、今日の怪異的一日を反芻した。
 葉流の面への執着。急に面に興味を失くした葉流。消えた列車に乗っていた髪の長い葉流と、車から飛び降りた葉流。隣でぶすっとしていた葉流が葉流? 何だこれ……そもそもあの思わせぶりな態度がフェイクだったなんて!
 考えるうちに、またしても脳みそが蔓でぐるぐる巻きにされかかった僕は、葉流を懐柔する次の算段を練ることだけに集中した。
「ばかみたいって思ってしまう前に、記憶が浄く流れることを祈る」葉流の幻聴がした。


最終話につづく

最終話





あたしはあたし



#創作大賞2023


この記事が参加している募集

スキしてみて

私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?