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長編小説 「扉」1


     序


 私はこの十数年余りソムリエを目指し、日々分厚いソムリエ教本なるものの表紙を横目で眺めながら、隠れ家みたいな小さなフレンチの店を任されていた、一介の取るに足らない成年男子であった。
 幼少の時分から溢れる正義感に苛まれ、そのため現在に至るまで人生が真っ直ぐに進んだことがない。断崖を踏み外すような挫折を経験し、濁流に飲み込まれるような苦しみを乗り越え、数え切れぬ悔しさや辛さも踏み越えてきた。理不尽な偽善をくぐり抜けることが出来ず、体当たりで向かい合ってしまう。
 そんな正義感溢れた私が、立ち向かわなければならなくなった巨大な山、いや巨大な穴というべきか。それは分かっていても落ちなければならない、愛すべき父が最後に掘って掘って掘りまくった底深い落とし穴。この後の私の人生において、この穴を這い上がることが出来るのだろうか。私に蜘蛛の糸は降ろされるのだろうか。いや、何としても這い上がってみせよう。


 愛すべき父が死んだ。
 厚手のセーターがそろそろ必要かと思われる十一月、七十六年の生涯であった。
 その晩遅く帰宅した私は、階段下で冷たくなっている父の驚くべき現実を把握するのに、一杯の水を口にすることさえ思いつかなかった。
 少し前から険悪な関係に陥り、暫く連絡を絶っていた姉に、この信じ難い事実を伝えるべく電話をかけた。何度も唾を飲み込み言葉が選べないまま一言、
道央みちおが死んだ」と告げた。
 電話の向こうで数秒の無音の後、姉の動揺する低い息遣いが聞こえ、やがてそれは意味を成さないヒステリックな問いかけの悲鳴になっていった。
 姉がタクシーで到着したのは、警察官や鑑識が現場検証を行っている最中であった。魂が抜けたかのように床にへたり込んだ姉は、息をするのも忘れてまるで動かなかった。シートに包まれた父がストレッチャーに乗せられる際に警察官に促され、分かりきっているほど冷たくなった父との対面を無理矢理果たした姉は、唯々父に謝っていた。
 翌日、横浜での検死の義務を終え、父は静かに葬儀場の一室に横たわっていた。健康であった父の突然の死は、周囲の人々を驚かせた。とはいえ、この一年余りで急に老いてしまったようだ、という囁き声も聞き逃しているつもりはない。
 名もなき書家であった父の葬儀の祭壇には、代表作「扉」を掲げた。全紙の掛け軸である。パリでの展覧会に出品した自信作の一つであった。傍らには愛用の大筆も掲げた。喜寿を迎える翌年の個展に向け力を注いでいたであろう創作活動も、やむなく終わりを告げた。
 地元の嵐山あらしやま書道会の参謀であった父の死は会に衝撃を与えたが、意外な人物が一番声をあげて泣いていたのには少々驚いた。数多くの人々に見送られ、やがて父は白い煙になった。
 私は力の限り愛すべき父を、ここぞとばかり華やかに送り出した。姉はささやかな家族葬を望んでいたようだが、参列者の面々から立派なセレモニーだったと褒めそやされ、低姿勢に謙遜しながらも、私としては心では胸を張って大いなる自負をしていた。
 既に愛すべき以上に愛する母は失く、父が突然煙と化してしまった今、山積さんせきする問題はさらに上積みされ、容赦なく私にのしかかってきた。私は父への想いを引き摺ってはいられない。前を向かねばならぬのだ。
 そもそもの始まりは、一年半程前に遡る。


つづく





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まるでこの小説の前書きみたいな、友人で詩人の「せつこさん」のメッセージ

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