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芸術家を育てられるか?

増補社会原理序説  の増補部分で「才能とは何か?」について書きました。その自問自答に答える私には前著「直線は最短か?」で解説を書いてくれた河田学との会話のやりとりが下敷きにありました。その会話が前提となり河田学は解説を書いてくれたのだろうと思います。河田学は私の一学年下の後輩で学生クラブの運営を手伝ってくれた後輩でした。

私はレヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」を読んで作文を書いて京都大学経済学部に潜り込み、一回生のフランス語は「悲しき熱帯」を日本語に訳した大橋保夫にフランス語を習いました。

構造主義という思想潮流の中で学生時代を過ごし、そのような時代を生きてきたということだと思います。河田学は京都大学の大学院に残り構造主義的な研究をしてきたのだろうと思います。

日本の国文学は「読解と鑑賞」だと言われていますが、構造主義的な研究、言語学(構造主義的な物語論なども含む)では「読解と意味」なのです。

この「読解と意味」の創作への活用こそ欧米の文学や映画作りのメソッドの源流でした。私はこの構造主義のアプローチ、方法論の権化のような側面があるのですが、河田学も久しく会っていないのですが、同じようなものだろうと思います。

日本は小説も映画もこの国文学系の「読解と鑑賞」のアプローチが主流で構造主義的アプローチを認めない風潮が相変わらずあります。

解説で河田学は「さかはらはNoと言わない」と書きました。その背景を記したいと思います。

私は専門学校で教えましたが厳しく人気なく三年間でやめました。世界一等の映画を作りたいと思っていたので、その熱量をそのまま伝えようとしたのですが、学生にはついてこれなかったのだと思います。

それで「私には芸術家は育てられないよ」と言うと河田学は「僕はそれでも教えているのですよ」と言いました。その時には河田学には私が構造主義的アプローチを良く理解した上で言っているとは思っていなかったろうと思います。

それで私は「君はピカソを育てられるか?」と質問しました。私の「私には芸術家は育てられないよ」と言う言葉はそういう意味だからす。

その発言は「芸術家を育てられるというのなら、ピカソを育てられなければならない、そういう向き合い方を学生にしなければならない」という私の哲学があった、それに気づき河田学は「さかはらはNoと言わない」と言ったのではないかと思います。

その河田学の「さかはらはNoと言わない」に答えたのが増補社会原理序説の「才能について」です。

拙著二冊、この文章を背景に読んでみてください。

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