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まさな編集長より (無料購読)

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渥美半島の地域雑誌を創ろう。を吹かそう。

昨年の夏、その企てに加わるよう要請をうけた。全国的に認知されるものにしたいという。

渥美半島は、というか、そもそも半島とはそういうものだが、三方を海に囲まれている。北に三河湾、西に伊勢湾、南に太平洋だ。豊かな自然に恵まれ、三千年前の縄文晩期の頃には、ヤポネシアでもっとも人口密度が高かったらしい(もっとも全体で30万人足らずだったらしいが)。

万葉の時代からは歌枕として知られた景勝地、西行が訪れ、芭蕉が来た。明治の頃には若き日の柳田國男が滞在し、そのときの逸話をきいて、藤村が詩を書き、「椰子の実」の歌が生まれたという。伊勢神宮へ食材を奉納する御厨の地であり、ここ半世紀ほどは生産高日本一を誇る農業地帯として知られている。トヨタの田原工場をかかえる工業地域でもある。

その半島からを吹かそうというのである。どんなになるか、見てみたくなった。吹かれてみたくなった。

誌名はすんなり決まった。10年前の合併以来、渥美という名が消えていた。和銅6年(713)の、いわゆる好字二字令以来、1300年の歴史を刻んだ名前である。太平洋の荒波に抗し、伊吹おろしの寒風に耐えてきた。このまま忘れられてしまうのはなんとも惜しい。

最初の特集は「海」にしよう。私が網元として三人の猛者をえらんだ。猛者たちは慣れない言葉の海へ出て、見ようみまねで格闘し、ひょっとしたら溺れそうになりながら、やがて獲物をかかえて帰港した。強欲な網元は、しかし「もっと大きな、生きのいい魚をもってこい、君たちならできるはずだ!」と突き返した。これを何度も繰り返し、ようやくここまでたどり着いた。

ほかの執筆者の方々もほとんど日頃文筆をこととしていない。慣れない仕事を押し付けられて、あるいは迷惑であったかと危惧している。

当初は四月発刊の予定であったが、編集方針の齟齬が露呈して、数本の文章を書き直すこととなり、また数本を採用しないこととなった。不採用になった寄稿者の方々には、ここでお詫びを申し上げる。次号以降にご協力を願えたら、と虫のいいことを思っている。

激しいことばの遣り取りもあったが、全体としては楽しい編集作業であった。空中分解の危機もあったのかもしれないが、半島特有の楽天性で乗り越えた。こぼれ話をふたつ添える。

雑談時に、石井君(創刊号の著者の一人)が15歳のときにカーネギーホールで踊ったときいた。エレベーターが金網で覆われていたのが一番記憶に残っているという。自分の偉業に気づいていない!

「太田洋愛」(創刊号5話の人物)の冒頭で、画伯の肖像をはじめて見て、私の見知った顔であることに喫驚した。「ロージナ」は私が籍をおいていた大学の、いわば門前喫茶店。そこでよく見かけた老齢の紳士を、私はその店のオーナーと思い込んでいたのである。まさかその方が、太田洋愛さんだったとは!

(編集長 小川雅魚)

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