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2年ぶり、ボリビアへ向けて出発(後編:ボリビア入国)

2021年11月25日 viernes 23:00(アメリカ時間)_ マイアミ出発
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ここまでまったく睡眠が足りていない私は、時差を合わせるためにもこの深夜発のフライトでは席についてすぐに寝てやろう、と固く心に決めていた。いや、心に決めるまでもなく私の眠気はとてつもなく、気がつくと意識がなくなっていた。目が覚めると薄ぼんやりと空が白んできている。やった!ようやくまとまった時間の睡眠をとれたーーー!!!こんなシンプルなことで人間は幸せを感じられるものなのね。そんなことをぼーっと考えていると、ついにその瞬間がきた。着陸。ボリビアと接しました。

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ボリビアは、いま夏。飛行機を降りると蒸し暑く、二重に履いていたパンツ(デニムの上に薄いコーデュロイパンツを履くスタイル)が鬱陶しくて仕方ない。上着を脱いで半袖になり、汗をかきかき入国審査へ進む。必要書類を提示しパスポートをスキャンされた。なんだかあっけなく入国でき、スーツケースを引き取りにレーンの脇で待っていると、さっきの入国審査官が「おーい!」と近づいてきた。またなんかあるん?!と思ったら、「パスポートのスキャンができてなかったからもう一回貸して!」と。なんじゃそりゃ。はいどうぞ。

マイアミで、最終地ラパスまでのフライトをチェックインできていた私は、スーツケースだけを再度預けて国内線出発の方へ向かった。入国審査から荷物を預けいれる、この最後の乗り継ぎ作業に必死になっていたあまり実感が湧かなかったが、もうボリビアにいるのだ。見渡せば確実に、周囲にはボリビア人率が上がっている。そしてトイレに立ち寄った際、この旅で初めてのチョリータさんに会う。二本の長い三つ編みの毛先の部分が背中でつながっていた。

この空港も例に漏れず閑散とした様子。2020年3月の一時帰国の際、ボリビア出国もここからだったが、正直、空港の様子はあまり記憶にない。それくらい慌てての脱出だったのか、同行者が30人程いたので、ざわざわして覚えていないだけか。

そろそろ搭乗の時間になり、出発ゲートから歩いて飛行機へ。チケットを見せると「Detrás.」と言われたので、私は後ろの階段から乗り込む。

この機体は左右に3列ずつの座席構成。私は機体の前を向いて左3列の通路側の席。通路を挟んで横と私のすぐとなりに、連れと思われる中国人男性ふたり。彼らが一緒にいた方がいいんじゃない?と私のとなりの席に移ったのは、アメリカ・ワシントンから友人の結婚式のためラパスを訪れる女性だった。離陸するまで彼女といろんな話をした。(私は離陸後すぐに眠ってしまった・・・)
話をしていると、私と同い年ということがわかり、急に親近感。彼女は、学生の頃5年付き合った彼とかなり若い時に結婚したが1年で結婚生活が終わったこと。いまの旦那さんとは3ヶ月付き合った後、結婚して15年続いていること。「だから本当にわからない!」と言っていた。14歳になる息子もいるらしい。あなたは?と聞かれ「結婚してないよ。」と言うと「Not yet ね。なんでも Not yet で、いつ何があるかわからないから。」と言われた。彼女の旦那さんは、母親が日本人。来年には日本に行く予定もしているという彼女が「日本食で何が一番好き?」と聞くので、迷ったあげく、焼き鯖寿司の紹介をした。日本での最後のお昼ご飯に、東京行きの新幹線の中で食べた、大好物の焼き鯖寿司。

1時間少しの飛行で(ぐっすり眠れたのもびっくり)ラパスに到着。着陸直前に、となりの彼女に起こされ、私はぼーっとした状態でラパス入り。前の席から順に荷物を降ろし飛行機から出ていく。だいぶ後ろの席だった私たちは少し話をして順番を待つ。彼女は「ワシントンに来ることがあれば私が案内するよ!」と言ってくれ、最後に連絡先を交換した。

そしていよいよ機体の外へ。気圧よ、どんな感じや!と、体が重く感じるのを期待しながら外へ出ると、思ったほどでもなかった。期待はずれではあるが、まあ、ありがたい。階段を降りるとすぐ荷物引き取りのレーン。そこで待ってくれていた現地事務所の方ふたりが、私に大きく手を振った。
「おかえりー!!!」とハグで迎えてくれ、すぐに私の血中酸素飽和度をチェック。84〜85くらいだったかな。80を切っていないのでまずは大丈夫だけど、車で酸素を入れましょう、と言われる。「ゆっくり歩いて!」と、私は速い動きを制され、自分のスーツケースに指一本触れられないくらい、全てのことをやってくれるという手厚いケアで本当にありがたい。。。涙

空港を出ると外はあいにくの雨。(こちら、いまは雨季です。)そして寒い!(もう一度言いますが、ボリビアはいま、夏です。)景色がよく見えないけども、車で町へ降りていくと、だんだん懐かしい気持ちに。そして、慌てて脱出したあの日の記憶が蘇る。

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黙って外を見ている私に「車酔いしました?」と気遣ってくれるも「めっちゃお腹空いてて、お昼何を食べようかずっと考えてました。」と言う私に「よかった、元気だ。」と、一緒に笑う。
到着してすぐの、この週末は高地順応もありゆっくりと一人で過ごした。

とにかく無事に、何より元気な状態で辿り着けたことが本当によかったとおもう。ここまでサポートしてくれた現地事務所スタッフの方やJICA事務局の方、そして精神的に絶大な支えとなっている日本の友人(いつ何時もふざけさせてくれるあんたらのことやで!)には、感謝しかない。
¡ムチシマス グラシアス!
時差も季節も真逆の地から、こういう形でつながれることがおもしろく、ずれながらも共有できることが豊かだなーと感じながら、最後に、いま滞在しているホテルの窓からの景色をお届けします。

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この工事スタイル、すごく気になります。建設中か解体中かわかりません。

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そして改めて思うのは、酸素、めっちゃ大事。

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| ボリビア の 紹介 |

ボリビア多民族国は南米に位置する内陸国でペルー、チリ、パラグアイ、ブラジル、アルゼンチンと接する。公用語はスペイン語だが先住民も多く、アイマラ語やケチュア語といった先住民言語も数多く存在する。
ラパスは標高3600mほどの高さに位置するボリビアの実質上の首都。
アンデス山脈に囲まれた高低差の激しい町で、その景色は雄大。
2月にはカーニバル(スペイン語では「Carnaval=カルナバル」)もあり、ボリビア・オルロのカーニバルは南米3大カーニバルのひとつ。
多民族国と言われるだけあり、その土地により形式の異なる伝統的なダンス、音楽や衣装、その熱狂ぶりも堪能できる。また、ボリビアには先住民の血を引く「チョリータ」という女性がいる。長い三つ編みとかさ高の帽子、何層にも重なるスカートが目を引き、とても魅力的。
ボリビアには現代的な生活と先住民の伝統が入り混じる独特の空気がある。

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ATSUKINO(アツキーノ)

2006年〜日本でグラフィックデザイナーとして働いた後、2013年に渡英。スコットランドの The Glasgow School of Art で修士号(Communcation Design: Graphic Design)を取得。帰国後はアートディレクター、キュレーターとしてデザインディレクションとともに現代アートの展示企画制作なども行う。海外での生活、旅を通じて得られる新たな表現や人との出会いが次の可能性につながると信じて動く、旅するデザイナーでありアーティスト。
http://nakanoatsuko.com/
https://shadow-candle.com/

スコットランド時代、イタリア人の友人フランチェスカに「アツキーノ」と呼ばれていた筆者。ラテン系の文化圏では(?)恋人や自分の子供、愛しい人のことを「〜in(ñ)o=○○○ーノ(ニョ)」「〜ito=○○○ート」と語尾を変えて呼ぶ習慣があるよう。メキシコ人の友人も彼氏のパブロ(現だんな)を「パブリーニョ」と呼んでいた。スペイン語で「少し」にあたる「un poco=ウン ポコ」も「ほんの少し」と言いたい時は「un poquito=ウン ポキート」さらに「ほんのちょびっと」だと「un poquitito=ウン ポキティート)」と言ったりする。

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