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妻に恋愛感情なんて感じてない。

「もう、夫に恋愛感情を感じられないんです」

女性からそう言われたことが何度もあります。

夫を好きだと思えない。もう、恋愛感情なんてどこにもない。

だから、もうダメなのだと。

恋愛感情がなくなれば、本当に夫婦は終わりなのでしょうか?

ただ、生活を共にするにし、育児をシェアする、名ばかりの「パートナー」へと成り下がるのでしょうか?

ぼくにはそう思えません。

なぜなら、ぼくは妻に誰よりも深い愛情を抱いていますが、恋愛感情なんてこれっぽちも感じていないからです。

初めて出会った時からぼくは妻のことが大好きでした。

13年前、恵比寿の韓国料理屋で開かれた合コンで知り合いましたが、その日の妻の顔を今でもはっきりと覚えています。

大きな口を開け元気に笑い、仲間からちょっと小馬鹿にされると途端にムスッとする。

楽しい時は思いっきり楽しみ、嫌な時ははっきりと態度にあらわす。

自分の気持ちに正直に生きる彼女に、太陽のような明るさを持つ彼女に、ぼくは一晩で恋に落ちました。

初夏の明治神宮をあてもなく歩き、ドキドキしながら手を繋いだこと。

紫陽花が咲き乱れる鎌倉の街を探索し、江ノ電に揺られ、寄り添いながらいつまでも海を見つめていたこと。

今でもその時の様子と、ぼく自身の恋による心の高揚をはっきりと思い出すことができます。

ぼくは恋をしていた。

まるで中学生の初恋のように、ぼくの妻への恋心は張り裂けそうなほど大きなものでした。

ですが、結婚し、子どもが生まれてから、少しずつその気持ちは変わっていったのです。

異変に気がついたのは、確か上の子が3歳になった頃だと思います。

どれだけ妻と会話をしても、どれだけ妻を見つめても、以前抱いていた恋心を感じることができなくなっていたのです。

ぼくは激しく戸惑いました。

これは一体なんなんだ……?

ぼくはもう妻のことが好きじゃないのか?いやそんなことはない。だけど、以前のような胸のときめきをどうしても感じることができない。

どうしてなんだろう……?

ぼくらは生活を共にし、育児と家事をシェアする同居人のような生活をしていました。

当時、ぼくは毎月1週間は海外出張があり、妻が家事育児の負担の多くを担っていました。

子どもが生まれて2週間後には三泊四日の社員旅行にさえ出かけていました。

揉めることもありましたが、なんとか子どもが3歳を迎えることができ、ぼくらの生活はやや落ち着きを取り戻したように思えたものです。

そんな矢先の出来事でした。

嵐のような2年間が過ぎ去ったからこそ、ぼくも自分の気持ちの変化に気がつけたのかもしれません。

ぼくは一体どうしたらいいのかさっぱりわかりませんでした。

妻のことが嫌いなわけではありません。ですが、以前のような恋愛感情は心のどこを探しても、これっぽちも見つけることができなかったのです。

このままだと一体どうなるんだろう?

冷めた夫婦になっていくのだろうか?

当時、女性が多い職場だったこともあり、このままでは婚外恋愛に足を踏み入れてしまうんじゃないかという恐怖心もありました。

戸惑い揺れ動く心を、ぼくはどうにかして落ち着かせようとしました。

はじめにしたことは、妻を好きだと「思い込む」ことでした。

ぼくは以前と同じように妻のことが大好きなのだ。恋愛感情がないなんて、そんなことはない。

そう自分に言い聞かせるように、妻に「大好きだよ」と伝えるようになりました。

妻に言っているのではなく、ぼくは自分の心にそう言い聞かせようとしていたのだと思います。

妻のことが「好き」なのだから、困っていることは解決してあげないといけないと思い、ぼくの家事の負担率を上げ、進んでやるようになりました。

ですが、いくらやっても妻から感謝されることはなく、以前のような暖かなコミュニケーションは戻ってきませんでした。

ぼくの心は何度も折れそうになりましたが、おそらく、妻も同じだったのだと思います。

妻のぼくに対する恋心も、どこかに消えてしまっていたのです。

もしかしたら、妻の方がその変化は早かったかもしれません。

子どもが二人(双子でした)もいて、育児が大変で、そんなことを気にかける余裕なんて、なかったはずですから。

ぼくは、自分の消え去った恋愛感情に戸惑っていただけでなく、妻から消えてしまった恋愛感情にも戸惑っていたのかもしれません。

以前はあったはずの暖かな絆を取り戻したくて、ぼくは妻を好きだと「思い込み」続けました。

好きだから、家事を自主的にするのだ。好きだから、育児を自主的にするのだ。好きだから、妻の体調を気にかけるのだ。

ぼくの心に変化が生まれたのは、およそ1年後でした。

結局、妻に対する恋愛感情が戻ることはありませんでした。

ですが、ぼくは妻のことを気にかける生活を送るうちに、妻に対して深い愛着を感じるようになっていったのです。

この人を大切にしたい。この人を守りたい。

強くそう思えるようになっていったのです。

家庭の行事を決める際にも、妻の体に触れる際にも、ぼくは妻のことを一番に考えるようになりました。

妻のことを好きだと「思い込む」ことで好きになったのではなく、妻をケアし続けるうちに、妻のことを誰よりも大切な存在として、ぼくの脳が認知するようになったのかもしれません。

そして、その認知が、ぼくの心に妻に対する深い愛着を生み出したのかもしれないなと思うのです。

心なしか、妻のぼくに対する態度も柔らかくなり、ぼくらの心理的な距離はどんどん近づき、気がつけば新しい命が妻のお腹に宿っていました。

もう、ぼくは迷いませんでした。

妊娠がわかった翌日、上司に3ヶ月間の育休を取りたいと伝え、育休明け後、もう海外出張には行かないと宣言しました。

それ以降、会社の飲み会にも社員旅行にも参加していません。

妻を好きだと「思い込む」ことで、妻を意識してケアするようになったことで、ぼくらは二人で一緒に課題を乗り越える機会が増えました。

ぼくが妻よりも家庭にコミットしていなかったこともあり、妻を苛立たせることが何度もありましたが、次第に慣れてきて、ぼくらは「チーム」のような感覚さえ感じられるようになりました。

背中を預け合い、戦場を駆け回る特殊部隊のように、ぼくらの関係はバディそのものでした。

飛び交う弾丸を交わし、ぼくらはぼくらの関係性を一番に考え、すべての判断を下すようになってきました。

ぼくらに「恋愛感情」は戻ってこなかった。

ぼくらが、出会った頃のようにお互いにときめくことはもうないでしょう。

ですが、恋愛なんかではたどり着くことができなかった場所に、今ぼくらは立っている。

はっきりと、そう感じることができるんです。

妻を心から大切だと感じる。誰よりも慈しみを感じる。妻が生きていることに、そばにいてくれることに、計り知れないほどの喜びを感じる。妻のためならなんでもできる。

ぼくは、誰よりも深い愛を、妻に感じている。

そう、これは愛なんです。今ならば自信を持って言えます。

ぼくは妻を愛している。

心が張り裂けるような恋愛感情で満たされていたあの頃、ぼくは妻を愛していたわけではなかった。

ただ、恋をしていただけなんです。

恋が終わったからこそ、愛を手に入れることができた。

きっと、そうなのだと思います。

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