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「Jazzは民主的」「Jazzは禅」トーベン・ヴェスタゴーの世界 【その2】

”ジャズは実に民主的です それは、あなた、私、そしてみんなのものです あなたが心を開くほど、よりあなたを歓迎してくれる あなたと同じくらいに、生き生きとして”
トーベン・ヴェスタゴー ミュージシャン、作曲家、音楽教師・教育者

https://torbenwestergaard.com

トーベン・ヴェスタゴーのウェブサイトの表紙に書かれたこの文言。
彼の、ジャズ、そして音楽と向き合う姿勢を如実に表す言葉です。
デンマークでも、多くの人たちに愛されているジャズ。
サッカークラブやハンドボールクラブと同様に、多くの町にミュージックスクールがあり、気軽に楽器演奏や歌うことについて学び、生の音楽にふれる機会が身近なデンマーク。
こうした環境で、ジャズベーシストとしてだけでなく、ミュージシャン、作曲家、音楽を教える教育者としての役割も担うトーベン・ヴェスタゴーに、ジャズについて、音楽について話を聞きはじめたら、話は禅、そして教育にも広がっていきました。

少し間が空きましたが、インタビューの続きです。

Jazzは「イマ、ココ」を要求する音楽

ともこ:私の印象では、多くのデンマーク人は、ジャズをよりリラックスして楽しんでいるように思えるのですが、日本ではオタクっぽくなる人も少なくない気がするんです。ジャズを聴くには知識やウンチクがないといけない、というような。

トーベン:たしかにそういう人も中にはいますね。デンマークのジャズベーシストで、ニルス・ヘニング・ウアステド・ペダセンを知ってる?世界的にもトップレベルの人なんだけれど、彼が日本で演奏をした時に、日本の有名なコレクターが、ニルス本人ももう20〜30年も目にしていなかったような、古いレコードを持って来て見せたらしくて、彼はまさしく「オタク」コレクターだよね。それはそれでまたクールだと思う。

もうひとつの視点で見ると、ジャズというのは、「イマ、ココ」にあることを要求する音楽でもあると思うんだ。聴くなら、集中して聴く必要がある。そうすれば、得られるものがたくさんあるんだ。でも、他にも気をとられるようなことを同時にやりながら聴いたりすると、ジャズは途端に手に余る存在になる。ながら聴きの時は、予測可能性の高い音楽を聴く方がいいよね。集中して聴く必要がないから。我が家でも、よくP8のRadio Jazz(デンマークの公共放送DRのジャズ・チャンネル)を聴くんだけど、妻がなにか話しかけてきたりすると、ラジオを消してくれって言わざるを得なくなるんだ。ラジオからジャズが流れていたら、僕の耳は必然的にどうしてもそっちに引っ張られて、妻の話が耳に入らなくなるからね。流れているのがポップミュージックなら、そういうことはないんだけどね。ジャズの場合は、すでに始まっている音の旅に出ているから、それについていく必要があるんだ。少なくとも僕の場合はそうなんだけれど、おそらく多くの人にとっても、ジャズというのは、その場にしっかりとどまって集中することが必要な音楽なんだと思う。直感的だけれど、でも、「イマ、ココ」で起きていることに向き合える時間は、誰にとってもいい時間だと思うんだよね。

ともこ:ええ、本当に。多くの日本人が本当にいつも忙しくて、「イマ、ココ」で起きていることに100%向き合うことがとても難しくなっていると思うんです。だからこそ、とても興味深いのは、あなたのジャズの考え方が、禅やマインドフルネスの考え方ととても似ているということなんです。私たち日本人は、禅の考え方を文化的背景として持っていて、その重要性も知っているはずなのに、それをするのがどんどん難しくなっている。たしかあなたは、過去20年ほど禅を学び、実践していると言っていましたよね。なにがきっかけで、禅を学び始めたのですか?そのことと、ジャズとのつながりも興味深いと思うのですが。

トーベン:僕にとって禅は、早くから取り組んできた長い旅と言えるものだね。20代前半の頃、合気道を習っていて、その頃から瞑想はもともと稽古の一部として自然なことだったんです。その後、ニューヨークにいた時は、太極拳や気功、空手も経験しました。本当は合気道を続けたかったんだけど、そこには合気道クラブがなかったんだよね。いずれにしても、そこでも瞑想はの稽古の一部として自然にやっていました。

合気道の魅力は、気の循環にあります。自分と、相手のエネルギーをコントロールすることを学びます。だから、相手が右側に来たいエネルギーを持っていたら、それをうまく避けることで相手の右に行きたいエネルギーを助ける、そういったことです。僕は実践者としての経験は浅いけれど、その哲学がとても好きなんです。例えば、空手は相手のエネルギーを止める動きです。でも、合気道は、僕自身の考え方ととても親和性があるんです。だから、今でも合気道という言葉を聞くと、つい反応してしまう。偶然であった合気道ですが、とても惹かれました。
君が少し前に話していた「シンプリシティ/単純性」、余計なものを排除して、ひとつのことに集中する。そこに、ジャズとの共通点がある気がするんです。ジャズを演奏するのは、その複雑性と、スピード感。音楽というのは、時間軸にのっています。もし、すでに起こったことに気を取られていたら、例えば、あ、あそこ間違っちゃったな、とか、「イマ」を演奏できないですよね。同様に、これから起こる未来のことを気にしすぎても、「イマ」いい演奏はできない。だから、一番いいのは、今、起こっていることに集中して、そのことだけ考えて演奏することなんです。私の僅かな理解から考えると、そういう意味で、禅とジャズは似ていると思うんだよね。「イマ、ココ」にある、ということが。

ニューヨークからコペンハーゲンに戻った時に、もっときちんと禅についてのトレーニングをしたいと思ったんです。One Drop Zendo、曹源寺の原田正道老師は、師匠である山田無文老師から、西洋に禅を広めるお題をもらった方ですけど、その原田老師も来られるドイツのリトリートに、僕も参加するようになったんです。そこで、なんとなく感じていた禅が、圧倒的にリアルな体験になりました。僕の禅の初歩的な理解は「イマ、ココ」ということだったのだけれど、誰にとっても、その大切さに気づくことができるのはよいことだと思うんです。多くの場合、過去に起こったことに囚われ過ぎたり、まだ見ぬ未来を案じてばかりいて、「イマ、ココ」に留まっていないことが多いんです。

デンマーク人と禅の親和性

ともこ:私も3年前から禅について少し学び始めて、そこで感じるのはデンマーク人の考え方と禅の親和性なんです。例えば、禅では「イマ、ココ」にある、ということに加えて、諸行無常という考え方があります。ものごとは、なにひとつとして同じところに同じようにとどまっていない、ということですよね。私が観察するに、多くのデンマーク人は、今のやり方に執着せず、こだわりすぎないという感じがするんです。デンマーク人は、ほとんどの人が禅とは無縁に生きているのに、なぜ、禅的に考えられるのだろう?というのが、今の私の探求テーマなんです。

トーベン:たしかにそうだね。自分の経験から話すと、どこの国でもそれぞれ表現する言葉があるんだろうけれど、例えば「親密さ」っていうのは、人間として誰でも知っている感覚だと思うんだよね。たとえ、文化が違ったとしても。まず、大前提として、世界中の人と地球と、そこにある存在すべてのものは、つながっている。もしそうじゃないと考えるなら、それは錯覚に過ぎない。つまり、地球に悪いことをすれば、自分にとっても悪いことになる。ある程度、それはわかっているはずなんだけど、今はそれをあらためて思い起こさなくちゃいけないんだろうね。例えば気候変動について考える時に。

ともこ:世界中の多くの人が、その基本的な、大事なことをわかっているはずなのに、実践できずにいるんですよね。多くの人や国が自己中心的になってしまう。でも、そんな中で、多くのデンマーク人がその「つながり」を意識できるのはなぜなんでしょうね?

トーベン:ひとつ言えるとすれば、民主主義の度合いが影響しているのかもしれない。ここでは、多くの人が、ひとりひとりに選択の権利があると理解しています。そんな中、自己中心的な人もいれば、欲張りな人もいて、近視眼的な人もいて、自分の興味関心に最初に目がいく人もいる。でも、そこには民主的な考え方の基盤があって、それぞれ違う意見があり、誰の意見も同様に尊重されることを理解している。他の国でも、それぞれの考え方がそれぞれの度合いで存在するんだと思うけど、デンマークは小さい国だから、幸運にも、つながりを意識しやすいのかもしれないね。

ともこ:この探求を深めるために、誰ともっと話したらいいんでしょうね。「デンマーク人の考え方」といったテーマで。日本にも幸福学というものがあるんですが、デンマークの幸せ因子と、幸福学の幸せの因子は似たようなところがありますし、禅の考え方と近いように思うんですよね。

トーベン:ピーター・ルン・マッセンはどう?

ともこ:確かに。

トーベン:それから心理学者もいいかもしれないね。

ともこ:そういえばアドラー心理学は日本ではポピュラーですが、デンマークでは全然知られていませんよね。でも、アドラー心理学の考え方も、実はデンマーク人の考え方ととても親和性があるので、不思議に思っているんですよ。

トーベン:それはぜひ知りたいね。

このあとは、デンマークの音楽教育学の話へと…【その3】へつづく。

【その1】はこちらから。









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