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#1 いつか終わる日々のはなし

はじめまして、-古本屋アトラクト- です。
このたび、noteを開設しました!

店主・吉野シンゴとスタッフ・みほが
お送りしているYouTube「はんそくラジオ」の
副読本のような気持ちで
お楽しみいただけると幸いです!
よろしくお願いします☺︎


#1 『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』を語られた、その後のはなし



12年前。
3.11の発生した当時、わたしは10歳だった。
東京でも大きな揺れを感じたあの瞬間、
もう何もかもがだめになってしまうんだ、と
幼いながらにもそう確信したことを覚えている。
明日という未来は当たり前にやってくるものだと
信じて疑わなかったあの頃のわたしにとって、
はじめて死を自分ごととして認識した瞬間だった。

ただ、ちいさな机のしたから顔を出したとき
教室の窓から見えたのは、拍子抜けするほどに
変化のない、見慣れた景色だった。


あの日を境に故郷をうしなった人々がいる。
多くのひとの生活が一変したことも知っている。
当たり前にそこにあった「日常」は、
わたしたちが予想もしなかったかたちで
一瞬にしてそのすべてが奪われるのかもしれない、
あの頃、誰もがそういった危機感に対して
当事者意識を持ったのではないだろうか。

ただ、小学校の教室の窓から見えた景色が
今までと何も変わらなかったように、
机のしたに潜っていた数分間で恐れていたほど
何もかもがだめになったわけではなかったように、
東京という街に存在していた「日常」は
思っていたよりもずっと早く取り戻されたことも
また、たしかなことだった。


「日常」が思うよりずっと早く戻ってきたように、
あの日たしかに抱いたはずの当事者意識も
忙しなく過ぎていく日々のなかで薄れていった。
12年の時を経て、東京に生きるわたしたちは
今日も呑気に「日常」を謳歌している。

じぶんの手のなかにある当たり前のしあわせを
これがしあわせだ、と認識するのはむずかしい。
ただ、当たり前が当たり前ではなくなる瞬間は
いつかまた突然わたしたちに襲いかかるのだろう。
だから、わすれずにいたい。
つまらないと感じるような平凡な日々も
しあわせで、愛おしくて、
二度と取り戻すことはできないのだと、
できるだけながいあいだ
わすれずに生きていきたい。

(以下、ネタバレを含みます。)






『デデデデ』の登場人物たちは、
じぶんたちの過ごす「くそ平和」な日々が
どこまでも続いていくことに対して
なんの疑いを持たずに過ごしている、
ように見える。

それは、明日もあさっても10年先も、
未来は当たり前にやって来るのだという
「くそ平和」な前提をひっくり返すような
できごとに対して、当事者意識を持つ
きっかけがなかったからだろう。

ただ、おんたんは違った。
彼女だけは、じぶんの「日常」を築く
家族や友人たちへの愛おしさも、
いつかすべてが奪われるのかもしれない
という覚悟も、ひとりで抱えて生きている。

それは、紛れもなく彼女が
「日常」がうしなわれることへの
"当事者"意識を誰よりも抱いていたからに
他ならない。

いつか「日常」は消えてしまう。
そうと分かっていながら、
たったひとりのとくべつな友人へ
じぶんの愛のすべてを向ける。
そう決断した彼女の勇気を思うと、
なんとなく過ぎ去っていったはずの
「くそ平和」な日々が愛おしく感じられる。

すべてを知ったうえで1~3巻を読み返して
おんたんに対する見方が変わるのは、
読者であるわたしたちも彼女とおなじ
"当事者"意識を持った証拠だろう。
この作品には、うしなわれてはじめて
二度と戻れない過去の愛おしさに気付かせる、
そういう呪いが込められている。


どの瞬間も、二度と戻ることのできない
人生の一部であることに変わりはないのに、
何気なく過ごしてきた日々が
いつか突然うしなわれることでしか、
ほんとうの価値に気付くことができない。

『デデデデ』における読書体験は、
つまらないと感じるような平凡な日々も
しあわせで、愛おしくて、
二度と取り戻すことはできないということを
わすれずに生きるための警鐘として、
読者であるわたしたちのなかに存在している。

(文・みほ)


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