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ATMANの暗黒日記パート⑥

また、ダメだったか・・・。

この半年、なんども仕事を変え、かつ、自分の家と実家を行ったり来たりする中で、自分自身が自分自身に翻弄されていた。

緊急事態宣言で不意打ちを食らわされ、完全に自分の軸を失っていたのだ。ぼくはそこでまた冷静になって自分自身を見つめてみた。

一体、自分は何がしたいのか?

自分自身は今後、何をすべきなのか?

この問答に、ぼくはようやくその答えを見つけ出した・・・


やはり、あのアーティストにアクセスしてみよう・・・


前出のぼくの暗黒日記にすでに書かせて頂いているが、ここでSINONさんへのアクセスを試みてみたのだ。

このアーティストとの出会いは、ぼくの仕事場である軽トラの中であった。

軽トラの中でのぼくの楽しみは、自分の好きな曲をスマホから聴くことと、以前の地鎮祭の仕事の時から聴くようになっていたFM YOHOHAMAを聴くことで、そこには慣れ親しんだパーソナリティーの軽快なトークと、やはり、そこにもナイスミュージックということで、その日も、ラジオはFM YOKOHAMAにチャンネルを合わせていた。

と、そこから、最近、あまり聴いたことのない、なんだろう、無理がないというか、自然というか、ほんとうに押し付けがましくない、リラックスしたメロディーと心地い歌声が流れてくるではないか・・・

それがこの曲「どこにいたって」という彼女のオリジナル曲で、ぼくは直ちにこの曲をダウンロードし、自分の感が正しかったことを確かめ、その後、調べて、彼女のライヴに足を運んだのだった。

がしかし、彼女は当時、事務所に所属していた。事務所に所属していれば、当然、マネージャーもいるわけで、当たり前のごとく、彼女をプロモーションしてくれるスタッフもいる。

ぼくがメジャーの会社にいる人間であれば、その事務所と契約し、彼女の作品をリリースすればいいが、ぼくは完全にひとりなのだ。

事務所に所属している時点で、基本、ぼくの出る幕はない。

が、色々調べるにつれ、満足のいくようなプロモーションがされていないように感じられたので、ぼくはまずはFBから直接本人にアクセスをしてみた。

無回答。

もちろん、失礼のないよう丁寧に書いたし、最悪、所属事務所のひとが見ても問題ないような内容にもしていたのだが、残念ながら、彼女から返答を得ることができなかった。

でも、ぼくはFBにそのアーティストが自分の先輩と友だちになっていることを見逃さなかった。

早速、先輩に連絡し、彼女との関係性を聞いてみたのだ。ようは、先輩から彼女を紹介してもらおうと考えたのだ。

どうやら、その先輩のメジャー時代、彼女をリリースしようとする動きがあったようで(さすが、ぼくの大尊敬する先輩だ。ちなみに、彼はブルーハーツのディレクターだったひとである)、だから、事務所ももちろん知ってると。

が、君がどういうスタンスで彼女と仕事をしたいのか、それがわからないと事務所に紹介はできないな・・・

わかりました・・・

ぼくはそれから彼女をどう売るか具体的なプロモーションプランを速攻で書き上げ、それを先輩に見てもらった。

が、よくわからないという・・・

フム。

ぼくはその内容にかなりの自信があったので、では、この案を直接、事務所に提案させて頂いてもいいか、という了承をその先輩に得、ぼくは、早速、事務所にこれらの案を自分の売り込みの手紙とともに送ったのであった。

先方からの回答。

ユニークなプロモーション内容と、SINONに対する熱意は重々承知するが、いま、ひとを募集していないので、残念だが・・・

という返答だった。

その中には、外部スタッフとして、という提案もしていたと思うのだが、残念ながらの一点張りの内容だった・・・


やはり、縁がなかったのか・・・


と、その結果にぼくは愕然とし、そんな彼女のことをほとんど諦めていた時、なんと、彼女がその所属事務所を辞めるという情報を耳にしたのだ。

それと同時に例の先輩からも同じような連絡をもらい、これは再度アタックするしかないと、ぼくは例の彼女用に作ったプロモーション案5案!をまずは先輩の知り合いの、彼女の当時のマネージャーに目を通してもらうこととなった。

それが通り、そのマネージャーから本人に連絡いき、ようやく、自分と会ってくれることとなったのでだった!!

この前にぼくはやはり奥秩父の三峰神社にて、彼女の歌声でこのコロナ禍に疲れた世界を癒やしたいので、是非、一緒に仕事をさせてください、などと、壮大なお願いをしていたのだけれど、それに叶えてくれたようで、その当時も三峰神社のご霊力にはいたく感動したものである。


そして、その日は、来た。


その日彼女は、護衛(笑)の為、最近、音楽のパートナーとして一緒に仕事をしているという男性アーティストと一緒に来た。

席には、ぼくと、先輩と、元マネージャーと、彼女たち。

ぼくは、その彼が彼女の今後のプロデューサーになるとふんだので、先に送ったプロモーション案の有効性を彼に熱弁したのだった。

彼女が事務所を辞めたのは、いろんな理由はあると思うのだが、体を壊したのが基本のようだった。

彼の活動拠点である大阪に一緒に行き、静養しつつ、できる範囲での音楽活動を続けたいとのことであった。

実は、ぼくが提案していた案には、彼女が体を壊していたのは知っていたので、彼女が実際活動しなくてもできるプロモーションを考えていたので、大阪、東京と遠隔でもできるものなので、是非、これらの案を検討して頂きたい。

もちろん、売れるまでは無報酬でかまわないと。

と、無事、初の顔合わせは終わり、彼女たちは大阪へ向かったのだった。

ぼくの中ではいままでにないくらい冴えたアイデアで、かつ、経費もほとんどかからないので、即実行に移せるような具体的なものを考えていたので、これらの実施には非常に自信があったのだが、数日後、彼から届いたのメールには、このようなことが書いてあったのだ・・・

「ATMANさんの熱意はうれしいのですが、現状、彼女の様態があまりよくなく、大きく広げようというATMANさんの考えと、できる範囲からという、我々の考えには少し隔たりがあるように思ので、とにかく、いまは様子を見て欲しい・・・」

もちろん、これは彼との何度かに渡るやり取りの結果なのだが、まずは現状、自分たちでできる範囲で活動がしたい・・・

ということだった。

非常に残念だったが、実はぼくはこの時、このSINONさんはじめ、やはり、前出の昔から関わりたかったShifoさんと、やはり、前出の魂の歌い手:新井英一氏の3人と仕事をすることにより、音楽復帰への道を、心に決めていたのだった・・・

自分に半年間、猶予を与え、これら音楽の仕事をしながら、夜、スーパーの仕事をすると・・・





なかなか、暗黒日記、終わらないじゃないか!!





早く終わらせないと、次、行けないよね(苦笑)

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