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呼び掛けても聞こえない

それほどの集中ができることは良いことでもあるのでは・・・・・。

子供が携帯電話で恐竜クイズをやるのですが、呼び掛けても返事がない。
3回くらい大声で呼び掛けてようやく反応。
妻は子供に「次返事しなかったら携帯取り上げるよ!」と言った。

だいたい親はそう言うだろう。
私も「そうだな。」と最初は思った。

いや、そもそも保育園児に携帯電話を触らせるなよという家庭もあるだろう。 我が家の場合は節度ある使い方であればいいと考えている。 他でも危険なものを排除した(危険なものに触れさせない) 教育は行いたくない考えだ。 そうでないと何が危険で何が危険じゃないか自分で考えて判断することができなくなる可能性があると考えているからだ。 それぞれの家庭での考えというものもあるだろうが、 我が家はそうである。

しかし、当人はすごく申し訳なさそうにしているが、どうしたらいいかわからないといった様子だった。

何せ呼び掛けられている自覚がないのだから。
呼び掛けられたことを認知できないのに、どうやって返事をするのかということだ。

本人にきいてみるとやはりそこに困惑している様子であった。

私も小さい頃、同様の理由で母におこられていたものだ。
ASD傾向である特性ゆえだろうか。
私の息子もそうであると感じることが多い。
言葉の遅れ、ピースが逆、文字・数字・生物・地図に対する興味の持ち方、味覚嗅覚や食感の敏感さ、勝ちへの執着、妙なこだわり等々。
一昨年くらいまでは結構悩んでいたが、今は保育園でも友達と馴染めているようだ。
逆に生き物への興味から何も教えなくても、生き物そのものだけでなく、ひらがな・カタカナ・関連する漢字・億までの数字・足し算・地理(生息地関連から)・絵・ブロック等々勝手に覚えていっている。
保育園で覚えて来ることもあるだろうけど。
我が子ながら凄い才能であると感じる。

それほどの集中力があると言うことである。
そこまで集中できることは一種の才能であると思った。
そういう子供は結構いるだろう。
しかし、怒られ続けていつの間にかそこまでの集中ができなくなる人が多いとも感じる。
私もその一人であると感じる。

その集中が良いことでもあることを認めていきたい。

ただ、いつでもどこでもその状況だと、社会生活を行う上で苦労することも多くなると感じるから、そことのバランスが大事であると感じる。

そこをどうとらえて認め、育てていくか。
そんなことに思いを巡らせていた話でした。

巡らせた結果は、何も反応しなくて良い時間を1日10分もうける。
それ以外の時間も今までどおり使って良いよ。
ただし、呼び掛けに3回連続で反応できなかったら取り上げるから、周りを気にしながらクイズをやってみる練習をしていこう。
ということに我が家ではなったし、子供はスッキリした様子だった。

良いのか悪いのかわからない。
良い悪いがあるのかもわからない。
だから子育ては難しい。
子育てだけではないんだろうな。
人生って難しい。
でも、だから楽しいのか。
そんなことにも思いを巡らせた。

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