atelier_relie

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最近の記事

ありがとう。

46の誕生日、最悪だった。 2度目の大失敗。 修復可能だったけど、傷は残った。 悔しくて、惨めで、無力で、思いっきり凹んだ。 そういう時は、その他の身の回りのいろいろなことが「待ってました!」とばかりに一気に攻め込んでくる。 何もかもいやーーーーーー!!!!! 時は冬。 フランスは日が暮れるのも早い。 こうなったらセーヌに助けを求めるしかない! 相方に電話をかけながら泣く。 目の前のセーヌは濁っていて、お世辞にもきれいとは言い難いけれど、たくさんの観光客を

    • マギーB

      夏休み明け、久しぶりにFのアトリエで一人仕事していると、 ふと、「アトリエは船なんじゃないか」と思った。 もちろんFが船長で、私は船乗り。 船長の舵取りに従って、私が船を漕ぐ。 凪の時もあれば、心地よい風が吹いて、船が順調に進む時もある。 へんなお客さんがやってきて、ちょっとした荒波を起こしたり、 大雨でアトリエが水没した日には、文字通り大嵐だった。 船長が機嫌のいい時もあれば、悪い時もあって、船乗りも然り。 長所も短所もひっくるめて、それでもやっぱり、彼女と仕事

      • アトリエの神様

        私はカトリックの教育を受けていたけど、信者ではない。 でも、アトリエの神様は信じている。 辛い時、失敗しそうで怖い時、素敵な本に出会えた時、私はアトリエの神様に祈り、感謝してきた。 そしてそれは、これからも変わらないだろう。 一番最初の、私がまだ幼かった日のお絵かき教室のアトリエから、私のアトリエ経験は始まったのだった。 そして大学生の時の美術部のアトリエ。 いつもぽっかりと、そこには私の場所があって、「居ていい」のだった。 でも本当の本当の一番最初のアトリエは

        • やってきた。

          1928年出版のボードレール「悪の華」がアトリエにやってきた。 これは初めてのことじゃない。 でも、総革装の、ほぼ完璧な状態の本がやってきたのは初めてだ。 私の掌より少し大きいぐらいの、茶色(フランス式に言ったら栗色 marron)の皮の本。 革にとんと疎い私には、これがなんの動物の皮だか見当もつかないが、背には4本の背バンド。 そのバンドとバンドの間には作者名とタイトルの他に、点と線のシンプルな装飾が施されている。 天小口には、金で仕上げ断ちされており、コワフにも

        ありがとう。

          トカトントン

          「死んでも、ひとのおもちゃになるな!」 朝から太宰治のパンチをくらう。 正確に言えば泉鏡花のものらしい。 製本を始めてからめっきり視力が落ちた。 歳のせいもあるのだけれど。 でも実際の製本の仕事では、二つの眼球を使うというより、 第三の目を使うことの方が多い。 「第三の目」 ちょうど、おでこの、前頭葉の部分。 そこを集中させて、本全体を見ているように思う。 第三の目に意識を集中させると、耳からの情報もはいりやすい。 「いい音、出てるな」 は、製本をしていて大

          トカトントン

          いきているもの

          アトリエの中 過去と ほこりと 光の中で 息づくものは私だけ 生きているのは私だけ 本作りは 墓作りなのかもしれない 私の手を 生命の方へ 私の思いを いのちの方へ タマシイ ノ ホウ ヘ

          いきているもの

          飛ぶアトリエ

          わりと長めのトンネルだった。 次から次へと躓きがあって、なかなか立ち直れないのだった。 製本をしていても、味のしなくなったチューインガムを クチャクチャただ噛んでいるだけのようだった。 音楽を聴いても、私の心のエンジンはかからないのだった。 それでもアトリエの行き来に、しがみつくように本を読んでいた。 メトロの中で読む本は、それがたったわずかな時間でも、ぎゅうぎゅう詰めの人混みの中でも、疲労困憊して目が虚な帰り道でも、私に残された居場所だった。 数年前にも、こうや

          飛ぶアトリエ

          履歴

          ある秋晴れの土曜日。 路面電車から見える「あの時」と同じ風景を見ながら、数年前の出来事を思い出す。 あの時、私は先輩の製本職人から裁断機(シザイユ)を購入し、えっちらおっちら公共交通機関を乗り継いで自宅へ持って帰ったのだった。 決して小さくない、しかも、ものすごく重い「それ」を、その先輩であり、MOF(フランス最優秀職人)でもある彼女は、私がバカみたいにケチくさく「タクシーなんか使わずに持ち帰ります!」と言っているのを心配し、丁寧に丁寧に何重にもくるんで、「無事に家に着

          夏の終わり

          右の耳から音楽が入ってくる。 ニナ・シモンの歌声は私の体を駆け巡り、指の先、口の先から出ては、アトリエの空気に消えて行く。 音楽がモーターとなる、この感覚! でも頭の中は、忙しくいろいろな思いを反芻する。 残念ながら、ありそうでない、アトリエの「今、ここ」。 手を動かしつつ、絶えず「過去」に思いを馳せながら、音楽だけが「今、ここ」に私を繋ぎ止めているのかもしれない。 長めの夏休み明けのアトリエは、Fとのおしゃべりに花が咲く。

          夏の終わり

          ある日のアトリエ。

          こんなことがあった。 それはメキシコの詩の本だった。 いつもように、最初の作業の「解体」(本を冊子の状態に戻すこと)から始める。 冊子の真ん中のページを大きく開くと、黒い綴じ糸が出て来た。 「かっこいい!」 本来の綴じ糸は、読者から見えることなんてないし、大抵は白い麻糸だ。 綴じ糸をわざと見せるようにデザインした製本や、アーティストブックでしか、「意図した糸」は使われない。 普通の読者には見えないページの谷底に、言ってみれば、製本職人にしかわからない所に「意図した

          ある日のアトリエ。

          七つ道具 その2

          Etaux こんな道具、日本では見たことがなかったし、フランスに来てからも製本するまでは見たことがなかった。 エトー 日本語では「バッキングプレス」というらしい。 一言で言えば、「本を挟んで固定し、作業するための道具」。 シザイユ(裁断機)と同様、これがなければ製本職人の仕事は成り立たない。 大抵のエトーは木製で、本の背をぎゅっと締め上げ、丸みを帯びた背にmors(モール)と呼ばれるハードカバーの厚み分の「耳」を金槌で叩き出す部分と、プレスのハンドル部分は鉄ででき

          七つ道具 その2

          行ったり来たり。

          縁あって、もう一つ別のアトリエでも仕事する機会を頂けることになった。 そのアトリエはパリのど真ん中、「心臓」とも言える場所に位置している。 仕事始めの日、日中なら観光客で賑わう界隈は、まだ朝が早くて 人もまばら。 地元の人がカフェでコーヒーを飲んでいるのを横目に、 「私はこれから働きに行くんです!」と鼻息荒く通り過ぎた。 セーヌ川を目の前にして、信号待ち。 目の前を過ぎて行く車や自転車、向かいで信号を待っている人をぼんやりと眺めているうちに、「ここはパリなんだ」とい

          行ったり来たり。

          今日の本。

          しばらく前に次男から 「今日の本は おもしろかった?」 と聞かれたことがある。 以前、私とFでお直しした本が、あまりに素敵で楽しくて、仕事が終わってからも家でその話をしたからだった。 多分その時、私があんまり楽しそうに話したので、その日も、お母さんが楽しい仕事ができたのか、いい1日を過ごせたのか、彼なりに気を遣って聞いてくれたのだった。 あの本は、たいそう大きな、19世紀の鳥の図鑑だった。 図鑑というより、絵画集といえるほど、ひとつひとつの絵が精密なだけでなく、本

          今日の本。

          七つ道具 その1

          Cisaille シザイユ 製本を始めてから、たくさんのフランス語を覚えた。 この単語もその一つ。 裁断機 はじめて出会ったシザイユは、私が製本を習ったアトリエのもの。 そこには、その上で人が一人寝てしまえそうな大きなシザイユが一台と、 中ぐらいのすこぶる切れ味のいいシザイユがあった。 シザイユはアトリエの主といっても過言ではない。 その一台の佇まいが、アトリエの雰囲気を決めるし、 私たち製本職人はこれがなければ仕事を始められない。 役目としては単純そのもの。 ボ

          七つ道具 その1

          魚の骨

          月の初めは新しい本に取りかかることが多い。 今日も常連さんから預かった3冊の本に取りかかる。 この依頼主のこだわりは強い。 でもそのこだわりは、一冊一冊の本の中身に対する愛着ではなく、 彼の本棚を美しい装丁の本で飾る、ということにより重きがおかれているようで、私はなんとなく悲しい。 今回彼がアトリエに置いていったのは全てYves Bonnefoyの本。 どれもあまり痛んでおらず、比較的新しい。 すなわち、まだ糊が新しい。 一見、「解体作業」(本をまずバラバラの冊

          たかが糊、されど糊。

          糊がなければ、製本の仕事は成り立たない。 製本では大まかに2種類の糊を使う。 いわゆる「でんぷん糊」のようなものと「ボンド」のようなものがある。 場合によっては、この2つを混ぜて「第三の糊」を作って使用することもある。 「でんぷん糊」は小麦粉から作ることもでき、戦時中のアトリエでは、糊を作ると子供達が盗み食いすることもあったそうだ。 その頃の子供たちのように、本も糊を「食う」のである。 本を一冊作るのに、かなりの糊を消費する。 私たちのアトリエでは、毎月2kgは軽く使

          たかが糊、されど糊。