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やってきた。

1928年出版のボードレール「悪の華」がアトリエにやってきた。

これは初めてのことじゃない。

でも、総革装の、ほぼ完璧な状態の本がやってきたのは初めてだ。


私の掌より少し大きいぐらいの、茶色(フランス式に言ったら栗色 marron)の皮の本。

革にとんと疎い私には、これがなんの動物の皮だか見当もつかないが、背には4本の背バンド。
そのバンドとバンドの間には作者名とタイトルの他に、点と線のシンプルな装飾が施されている。

天小口には、金で仕上げ断ちされており、コワフにも背と同様のシンプルな点が箔押しされ、それに続くようにして、表紙の厚みの部分にも点と線の装飾が施されている。

見返しには、マーブル紙。さらに、金の線で縁取りされている。


この本を装丁したのが一体誰なのか、いつのなのかも、わからない。


残っているのは、誰かの手で、いつだか箔押しされた刻印と、紡がれた本の名残だけだ。

でも、その余韻が、その人を想わせる。

誰だかわからない貴方が「いた」ということを。

そして、貴方のセンスは100年近く経った今、日本人の一製本職人の私に呼びかけている!


あぁ、師匠!!!!!


貴方の作品は、まるで日本の「湯呑み」のようであります。

手にとって、愛でずにはいられない魅力があります。

角が取れて、ワビ・サビの域に達しています。

貴方の入れたヘラの一先、一先や、切り込みの一刀一刀が、今、私の心に刺さっています。

貴方は名も残さず、ただ、「生きていた」という証を残したんですね。


私はしかと受け止めました。


この本を持って来た、21世紀の愚かな依頼主が、たとえ貴方の生きた証を消し去ってしまい、新しい装丁を施そうとしたとしても、私は覚えています。


貴方はしっかりと生きていました。


美しく、生きていました。


ただ、それだけです。


ありがとう。


時は春。
お隣の花屋はますます花盛り。
一方で、パリの街はゴミの山。

21世紀、なんたるカオス。