![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/100932124/rectangle_large_type_2_0672f0a548a8c8f69a54194e62541e92.jpeg?width=1200)
やってきた。
1928年出版のボードレール「悪の華」がアトリエにやってきた。
これは初めてのことじゃない。
でも、総革装の、ほぼ完璧な状態の本がやってきたのは初めてだ。
私の掌より少し大きいぐらいの、茶色(フランス式に言ったら栗色 marron)の皮の本。
革にとんと疎い私には、これがなんの動物の皮だか見当もつかないが、背には4本の背バンド。
そのバンドとバンドの間には作者名とタイトルの他に、点と線のシンプルな装飾が施されている。
天小口には、金で仕上げ断ちされており、コワフにも背と同様のシンプルな点が箔押しされ、それに続くようにして、表紙の厚みの部分にも点と線の装飾が施されている。
見返しには、マーブル紙。さらに、金の線で縁取りされている。
この本を装丁したのが一体誰なのか、いつのなのかも、わからない。
残っているのは、誰かの手で、いつだか箔押しされた刻印と、紡がれた本の名残だけだ。
でも、その余韻が、その人を想わせる。
誰だかわからない貴方が「いた」ということを。
そして、貴方のセンスは100年近く経った今、日本人の一製本職人の私に呼びかけている!
あぁ、師匠!!!!!
貴方の作品は、まるで日本の「湯呑み」のようであります。
手にとって、愛でずにはいられない魅力があります。
角が取れて、ワビ・サビの域に達しています。
貴方の入れたヘラの一先、一先や、切り込みの一刀一刀が、今、私の心に刺さっています。
貴方は名も残さず、ただ、「生きていた」という証を残したんですね。
私はしかと受け止めました。
この本を持って来た、21世紀の愚かな依頼主が、たとえ貴方の生きた証を消し去ってしまい、新しい装丁を施そうとしたとしても、私は覚えています。
貴方はしっかりと生きていました。
美しく、生きていました。
ただ、それだけです。
ありがとう。
時は春。
お隣の花屋はますます花盛り。
一方で、パリの街はゴミの山。
21世紀、なんたるカオス。